全部が欲しいわけではない。そんなことは望んでない。ただ隣にいて笑ってくれてさえいればそれで。


「何それ?」


さも不思議だと言うような庄左ヱ門の真っ黒な瞳が僕を射抜いて、それから離さない。なんでって、なんで?口の中に溢れ返る疑問は声には出さないが、庄左ヱ門はそんな僕に気づいているらしい。右手に持っていた本をぱたんと閉じて、それからため息を一つこぼした。なんで、ため息なんか…。


「分かってないね、伊助は」


小さい子どもに諭すような、そんな口調。その柔らかい声色の中には少しの呆れが混じっているように思えた。その言葉は僕には到底理解しいえないような気がして情けなくなる。彼は、一体僕に何をわかってないないと言うんだろうか。彼のことは十分に分かっているつもりだ。伊達に六年という長い月日を共に生きてきたわけではない。そして長らく僕は彼を恋慕っていたのだ。気づいていただろうけど。それはもう、苦しいほどに。
そんな訳もあり、彼のことなら一等わかっていたつもりだった。わかっていたかった。しかしそれでも、僕には今の庄左ヱ門の言葉の意味も、ため息の理由さえ分からないのだった。それが僕をやはり情けなくさせる。
庄左ヱ門の言葉を拾い上げた左耳がじんじんと痛んだ。


「僕はとても隣で笑ってさえくれれば、なんて可愛いことは思えない」


庄左ヱ門の形のいい唇がつらつらと言葉を発する。その言葉は、とてもいかがわしいもののような、そんな変な気持ちにさせる。無意識に視線を逸らすと「伊助」と彼にしては力強い声で名前を呼ばれた。もしかして怒ってしまったのだろうか?
本当は、本当は、こんなことなんて言わないでおくつもりだった。ただただ、ひっそり胸の奥にしまいこんで、そのうち泡のように消す言葉のはずだったのだ。
しかし何故だか、今日はとても口にしておきたくて。消すはずの泡は思っていたよりも大きかったのだ。
いつものように読書をする彼の横顔を見ていると、胸があまい気持ちで溢れたから。
ああ、でも、それでも。言わなければよかった、なあ。


「やっぱり伊助は分かってない」


下唇を噛みながら、庄左ヱ門の顔を見ると、怒ってはいなかった。けれど何か別の色を含んだ瞳はゆらゆら揺れているように思えた。それを隠すように庄左ヱ門は唇の端を少しつり上げて自嘲気味に笑った。君は一体何を想った?


「僕はね、とても隣で笑ってさえくれれば、なんて可愛いことは思えないよ」
「それはさっきも聞いたよ」


もう一度同じ言葉を庄左ヱ門は発音した。たださっきと違うのは、やさしいやさしい声だった。君は一体何を想った?その声を聞きながら眠りの海に沈めたらどれほどいいだろうか。


「君の全部が欲しいんだ。そう、全部が。わかるかい?」


そう言いながらじりり、じりりと庄左ヱ門が僕に近づく。畳が僕の変わりにぎしりと悲鳴にも似た歓喜の声を上げて、心臓はそれに反応するかのよう動く。じりり、じりり 熱が身体中を縛るように熱くさせる。
だってだって、君、今自分が言っていることを理解しているかい? どうにもこの熱で浮かれた僕の耳にはその言葉は、愛を囁いているようにしか聞こえないのだけれど。


「僕ばかりこうも欲深いのは癪に合わないよ。もっと僕を欲してよ、伊助」


なんてことだろう。これが夢なら僕は僕を決して許さない。
本当は、本当は、ただ隣にいて笑ってくれてさえいればって言うのも嘘で、胸の奥にしまいこんで泡のように消すつもりもなくて。はなっから僕には庄左ヱ門の全部が、全部が、欲しかった。欲深く欲していたのだ。


「君の全部が欲しいよ、庄左ヱ門」


僕がそう言うと、庄左ヱ門は満足そうに笑みを浮かべた。
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