blockquote>私が雷蔵の顔をするのは自分の才能を誉めてもらいたいとか認められたいとか敬われたいとか、そんな小難しい理由じゃなくて、ただ雷蔵になりたいだけなんだよ。そんな簡単な理由なんだよ。けれど、そんなこと言うときっと雷蔵は呆れてしまうだろうなあ。


「雷蔵、そんなところで何をしてるんだい?」
「ああ、三郎。この猫がね、お腹を空かしていたから昼食の残りを上げてただけさ。おばちゃんには内緒に頼むよ」
「…まったく雷蔵は」


昼休みに庭の隅っこにいる雷蔵を見つけて駆けよれば、雷蔵は猫に昼に出ていたかまぼこや魚の切り身をあげていた。笑いながら口元に指をあててしーっと子どもみたいな仕草をする雷蔵に私は雷蔵らしいと思いながら隣に腰かけた。


「この子きっとメスだ」
「ああ、本当だ」
「きっと子どもを宿しているんだろうなあ。お腹が膨れてる」


そう言いながら、猫を撫でる雷蔵の指先はとてもいとおしそうだった。猫を見つめる目もやさしげだ。そんな雷蔵を見て、私はやはり雷蔵らしいなあと思うのだった。雷蔵はやさしい。そのやさしさは底無しだ。私はそのやさしさを羨ましく思っているんだよ。雷蔵は気付いているかなあ。いや私は雷蔵のやさしさだけじゃなくて雷蔵自身を羨ましく思っているのかも知れないなあ。だって雷蔵は誰からも愛されているから。誰もを愛しているから。


「そう言えば三郎、学園長先生に呼ばれていたんじゃないの?」
「そうだった。じゃあな、雷蔵」


雷蔵の言葉に昼休みに学園長先生に呼ばれていたのを思い出した。多分あのことなんだろうなあ。あまり気乗りしないが、仕方ないことだから渋々腰をあげる。雷蔵は私から視線を外して、口をきゅうっと結んでそれから眉を下げて笑った。きっと雷蔵も分かっているんだろう。それくらい私たちは共に生きてきたのだ。今にも泣き出しそうなその情けない笑顔がどうしようもなくやさしくて、私はやはり雷蔵になりたいと思う。


「行ってらっしゃい三郎」
「……ああ」


私は雷蔵と同じように笑ってみせた。




学園長先生が私を呼ぶときは決まってあの話しかいつものくだらない思いつきかだった。いつもが後者ならいいなあと思うが雰囲気でもう分かってしまう。周りの空気が重たい。胸の奥が冷たくなっていく。


「鉢屋頼んだぞ」
「…はい」


それも見ないふり知らないふり。私は雷蔵になんかなれない。底無しのやさしさなんてもはない。痛感するんだ。闇に溶けるとき相手の目を見るとき誰かに変装するとき。私は一生雷蔵にはなれっこないと誰かが耳元でささやくんだ。そんなことなんて、誰に言われなくとも、分かっているんだよ。
学園長先生に頼まれた忍務を終えていつもの森奥の湖の近くに腰かける。相変わらず夜のここは不気味だ。学園とはまるで違う。あんな明るくて暖かな場所に今の私のままでは帰れない。頭の中が淀んで胸はずんと重い。べりりと変装していた顔を剥ぐ。いつもの雷蔵の変装をした鉢屋三郎に戻る。湖に映る姿はいつも雷蔵の姿をした私だった。だけど私はとてもその姿が浅ましく滑稽で不様で仕方ない。だってだって雷蔵はこんな人斬りの目なんかしていない。頭のすみに残る雷蔵の笑顔を真似てもちっとも雷蔵に似ない。私の中の誰かがせせら笑う。
お前は雷蔵なんかにはなれない。


私はやはり雷蔵が羨ましくて雷蔵になりたくて仕方ないんだと思う。雷蔵になりたくて雷蔵の底無しのやさしさに触れたくて、雷蔵の仮面をつけてそれを主張しているのだと思う。きっと今ごろやさしい雷蔵は私の帰りを待っているのだろうなあ。帰ったら雷蔵は私を叱るかなあ。そして泣き出しそうな情けない笑顔でいてくれるかなあ。不器用な手でおにぎりを握ってくれるかなあ。


「三郎」


ふと雷蔵の声がした。ざわざわと森が揺れる。水面がざわめく。


「三郎!」


ひときわ雷蔵の声が大きくなって、瞬きをすれば、額にうっすらと汗を浮かばして息を切らす雷蔵がいた。私は夢でも見てるんじゃないかと思った。だって目の前にいる雷蔵は今まで一度も見たことないような顔をしている。頭の中で考えていた雷蔵はどこにもいない。あらゆる感情が混ざってぐちゃぐちゃになっているような顔でもう一度雷蔵は「三郎」と確かめるように私の名前を呼んだ。


「みんな心配しているよ」


吐き出すように一つの言葉を愛するように雷蔵はそう言った。いつもの雷蔵に戻ってそう言った。
そしてゆっくり私の目の前に手を差し出す。


「ほら、帰ろう」


ただ雷蔵はそう言っただけ。なのに私の胸の奥は次第に暖まっていくんだ。不思議だろう。暖まって暖まって、その暖かさが喉を押し上げて鼻をつんと刺激するんだ。途端に泣きそうになる。だけどそれを寸前に押さえた。だって今泣いてしまうのは恥ずかしい。指先がじいんと何かに触れたような感覚がする。雷蔵の手だった。いつまでも差し出した手を握らない私の手を雷蔵は強引に引いたのだ。そんな雷蔵は見たことない。だけど私は怖くなかった。強引なのに何故か私はそれを雷蔵のやさしさだと思ったんだ。やはり不思議だろう。

私が雷蔵の顔をするのは自分の才能を誉めてもらいたいとか認められたいとか敬われたいとか、そんな小難しい理由じゃなくて、ただ雷蔵になりたいだけなんだよ。そんな簡単な理由なんだよ。けれど、そんなこと言うときっと雷蔵は呆れてしまうだろうなあ。


「帰ろう三郎」


だってそんなことを考える私はとても下らない。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -