「三郎!こっちこっち!」


眩しい太陽を背にして、手招きながら私を呼ぶ雷蔵はいつもより幾分幼い子どものようだった。笑うとえくぼが出る雷蔵の顔を見ながら私は雷蔵の方へと足を進ませた。片手にはさっきの茶屋で買ったおまんじゅうが二つ。白くてまあるい体を寄せ合って笹のつつみに入っていた。まるで私と雷蔵のようだとぼんやり考える。


「何笑ってるの?」
「いや、何でも。しかしずいぶん奥に入るなあ」


山道を雷蔵の背中を追いながら登る。訓練しているし、別に苦ではないのだけれど、いつもの雷蔵にしては珍しいなあという意味も含めた言葉を投げかける。だって雷蔵はいつも用事が済むと「寄り道はだめだからね」と怒ったような顔を作って私を叱るのだ。その顔に、その言葉に、いつだって私は言いようもないしあわせな気持ちになるのだ。決して、怒られるのがすきだとかそういう変な性癖を持ち合わせているわけではない。そんなのあってたまるか。人を叱るというのは、その人を愛していると、そういう証でもあるのだ。その人になんらかの関心があるから、叱ってくれるのだ。だから、私は雷蔵の怒った顔もすきなんだ。笑った顔ももちろんすきだが。


「何を考えているの?」
「んー、君のことだよ」
「馬鹿だなあ」

もちろん、照れた顔もすきだ。
へらりと淡く色づいた頬を誤魔化すように笑った雷蔵は私の手をやさしく包んだ。雷蔵の手は私より温かい。それが心地よい。今日はいつにもまして心地よくて、それから愛おしい。


「今日の君は珍しいなあ。自分から手を繋いでくるなんて」
「そういうときもあるさ」


なるほど。今日の雷蔵は甘えたさんなのだな。ふむ、と考える素振りをして、それから繋いでない方の手に持っていたおまんじゅうを潰れないようにそっと懐に納めて、空いた手で、雷蔵のやわらかい髪を撫でてやった。


「うわ、何だよ。びっくりするじゃないか」
「喜ぶかと思って」


いつものように意地悪く笑うと、雷蔵があきれたように「もう」なんてかわいい声を出して眉毛を下げた。いつも雷蔵がよくする仕草だ。これも私はたまらなくすき。だからついつい調子に乗ってしまうのだ。


「こら、置いて行っちゃうよ」
「それは勘弁」


雷蔵の肩口に顔を乗せてそのきめの細かくてなめらかな頬に唇を落してやろうかとしていれば、裏拳が飛んできた。痛い。繋いでいたほうの手だったため尚更だ。すいすいと早い速度で進んだ雷蔵に置いて行かれないように、私も速度を速める。


「雷蔵、どこへ向かってるんだ?」


もうずぶん歩いているのだけれど、雷蔵はまだまだ奥に進む。木の隙間からこぼれる光の間隔が少しづつ小さくなっていく。風がふけば、ゆらゆら葉が揺れて辺り一面を賑やかな音であふれ返す。それがなんとなく私の心を愛おしくさせる。この空間には、私と雷蔵だけなんだなあと思い知るのだ。しあわせだなあ。
私の投げかけた質問に答えようと雷蔵は振り返る。ふんわりと雷蔵の匂いが風に流れて私の鼻をくすぐる。


「ないしょ」


今度は雷蔵が意地悪な顔をした。もとから幼い顔立ちの雷蔵の顔がより一層、子どものように、あどけなくさせた。きゅうっと雷蔵の繋いだ手の力が強くなった。
それからも奥へ奥へ私たちは進む。進むたび、緑はゆたかになっていく。こんなのも悪くはないかもなあなんて考えていると、私の名前を呼ぶ雷蔵の声が響いた。


「三郎、ここだよ。ここに君を連れてきたかったんだ」


繋いでいた手を離して、雷蔵は大きく手を広げる。もう少し繋いでいたかったなあ。それは口には出さずに、目の前の大きな川に目を向ける。
雷蔵が連れてきたかった場所はとても美しい風景だった。緑が一層に濃くて流れる川の音がやわらかく耳を支配する。


「僕の秘密の場所を君に託すよ。二人だけの秘密だ」


その言葉により私の耳はしびれる。二人だけの秘密。なんてあまい言葉なんだろうか。あまりにも美しい景色になぜだか、こみ上げる思いが目頭を熱くさせた。


「三郎」


また呼ばれた名前に雷蔵の方を見ると、先ほどと同じように手を大きく広げていた。本当に今日の雷蔵はめずらいしいなあ。私は助走をつけて雷蔵の胸に、思いっきり飛び込んだ。目を見開いておどろく雷蔵の顔が見えて、私は気分がよくなった。しあわせだ。


ばっしゃーん!!水にぶつかった音が大きく木霊した。私たち二人はそのまま川に落ちたのだ。笑える話だろう。冷たい水が服から染み込んで来る。懐に入れていたおまんじゅうなど気にならない。変装している顔のこともどうでもよかった。だって、これは、

「もう!三郎!」
「びっくりしただろう!雷蔵!」


倒れこむ雷蔵の脇に自分の手をつかせて、上かか眉間にシワを寄せる雷蔵を見つめる。少し水をかぶった髪からしずくが垂れて、雷蔵の唇に落ちた。なんと不埒な光景だ。抑えきれなくなった衝動をぶつけるように雷蔵の唇に食らいつく。それはもう、獣のように、荒々しく。何度も、何度も。
私は今、とても、しあわせなのだ。


「…っふ、三郎」
「雷蔵、雷蔵」


唇を離して微笑む雷蔵にもう一度口吸いをしようとしたのを止められる。起き上がれという意味か、肩を押されたので仕方なく立ち上がることにした。水につかっている雷蔵に手を貸すと素直に手を握られた。そのまま持ち上げて雷蔵を立たせると、雷蔵はその私の手を強く握った。私は嫌になって視線を下げて、雷蔵から逃れようと足掻いた。色が水のせいで濃く変わった雷蔵の服を見つめる。
雷蔵が口を開く気配を感じた。耳を塞ぎたいと思ってしまった。


「三郎、」
「言うな。何も、言うな」


分かっている。初めからわかっていたのだ。これは夢なのだと。私が悲しみの底から作り出した偽者だと。分かっていたよ。分かっていたんだよ。
太陽を背にした雷蔵が眩しくて、目に染みる。目をつぶってしまいそうなのを必死に堪える。嫌だ、消えないで。私を置いてなんか行かないでくれよ。


「三郎」
「雷蔵、雷蔵、雷蔵」


壊れたロボットみたいに、何度もひっきりなしに雷蔵の名前を呼ぶ。私の中の雷蔵を消してしまわないように、私の中の雷蔵をころさないために。雷蔵、雷蔵。しあわせだった心が崩れていく。


「三郎。人間いつかは一人になるんだよ。僕も、君も、ばらばらになるんだ」


あんなに一緒だった私たちもばらばらになる。分かっているけれど、雷蔵の口からそんなことを聞きたくなかったなあ。ゆっくりと雷蔵が私の体を包む。水に濡れたせいか、はたまた別のせいか、雷蔵はひどく冷たかった。泣きたくないのに、涙は無情にも頬を撫でる。


「だけどね、三郎。僕も君から離れたくないよ。同じでいたい。待ってるからね。僕、ずっとずっと、君が来るのを待っているよ」


やさしく、雷蔵の手が私の髪を撫でる。雷蔵と同じ、茶色の髪を撫でる。どこで待っているなんてのは愚問だから聞かないでおいた。きゅうっと口を結ぶ。これ以上雷蔵の前で失態など許されない。


「早く着たら承知しないよ。もう一緒になんかいてやらない」
「手厳しい、なあ、」
「ふふ、三郎にだけだよ」


ああ、そんなこと、言わないでおくれよ。君が愛おしくて嫌になっちゃうじゃないか。雷蔵の私を撫でる手がやさしくて心地よくて私は目を閉じた。きっとこの瞼を開けるときには雷蔵はいないんだろうなあ。考えて、それから雷蔵の言葉を思い出した。
そうすればなんだかとてつもなく私は叫びたくなったのだ。


「私はしあわせだ」
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