「生き急ぎ過ぎだよい、ナマエ」
眉間に皺を寄せたマルコが睨む先にいる青年は、その言葉にきょとんと目を瞬かせた後、どういう意味かと訊くように首を傾げた。
「生き急ぎ過ぎって?」
「お前の戦い方だ」
「戦い方ァ?」
まるで心当たりがない、というような声を出し、片眉を上げ、橙色のテンガロンハットを被った頭を横に傾げた青年ーーナマエは、少しの間その状態で自分の行動を振り返るように考え込んでみたものの、やはり思い当たる節はないのか、「……そうかァ?」と不思議そうな顔でマルコに視線を戻した。
やっぱり自覚がねえのか、と深く溜め息を吐いたマルコは、つかつかとナマエの側まで近寄り、手のひらで剥き出しの肩を思い切り叩いた。
「いッで!!」
「この傷が何よりの証拠だろい」
マルコに叩かれた肩ーー正確には傷口の上ーーを覆うように押さえ、涙目になったナマエは、潤んだ目のまま「何すんだよマルコ!!」と声を張り上げる。
しかしマルコはナマエの悲鳴は聞き流し、顔を顰めて「こいつは本来負わなくていい怪我だったはずだ」とナマエを見下ろした。
「お前の実力なら、今回の戦闘を無傷で終わらせることもできただろい」
その言葉に、ナマエは「買い被りすぎだ」と首を振ったが、そんなわけがあるかとマルコは目を眇めた。
まだ白ひげ海賊団のクルーになって二年も経たないが、ナマエの実力は十分に理解している。船に乗った当初はもとより、この船のクルーになってから他のクルー達に扱かれ、当時よりも更に成長していることもマルコはよく知っている。
長年不在だった二番隊隊長の任を任せるに値する男だと、オヤジたる『白ひげ』エドワード・ニューゲートを含めたクルー全員がナマエの実力を認めているのだ。
そして今日この船を襲撃してきた海賊は、そこそこ名を挙げた海賊団ではあったものの、ナマエならば無傷で戦闘を終わらせることができる相手だった。
なのに、今目の前にいるナマエの身体には無数の傷があり、特にマルコが先程叩いた肩にはざっくりと刀で斬られた傷が残っている。
「相手が覇気を使えたとはいえ、お前なら一撃で沈めることもできただろうに」
「だから買い被りすぎだっての」
自然系の悪魔の実の能力者であるナマエに物理攻撃は効かない。だがもちろん例外があり、海などの水中に入っている場合や、海と同じエネルギーを発する海楼石に触れた状態、そして武装色の覇気を使える相手だと、今回のナマエのように物理攻撃が通用してしまう。
しかし、それでも今回の戦闘に限って言えば、ナマエがここまで傷を負うような相手ではなかったはずなのだ。
「自然系の実を食って自分を無敵だと勘違いする奴は間抜けだが、悪魔の実を食ってその力を有効に使わねえ奴はいねえ。どんなクソみたいな能力でも使いようによってはとんでもねえ力を発揮する。ましてメラメラの実なら当たり中の当たりだよい」
なのに何でお前は能力を使わない。
誤魔化しを許さない様子の問いかけに、ナマエは少し沈黙して、それからテンガロンハットを目深に被り直し、口を開いた。
「……能力に頼りきってばかりじゃこの海を生き残れねえだろ」
「一理ある、が、時と場合によるよい。特に能力者はその力を使いこなせなけりゃあ宝の持ち腐れだ」
「それでもあんまりこの力には頼りたくねえんだ」
「……確かにお前は実力がある。だがそれだけで生きていけるほど、この海は甘くねえよい。使えるものは何でも使うくらいの気概じゃなきゃやっていけねえ」
「それも、分かってはいるんだけどよ」
歯切れの悪い返答に、マルコの眉間に皺が寄る。
それを見て、ナマエは慌てて言葉を続けた。
「い、いや、これからは気をつける! 意識して戦うって!」
「本当か?」
「おう! ……一応」
「あァ?」
「だ、だってよォ、自分じゃよく分かんねえし……!」
困ったように視線を泳がせるナマエに、マルコは口を開き何かを言いかけたが、「……まあ、自覚がねえようだし、仕方ねえ」と溜め息混じりに言葉を漏らした。
「今後はおれらも気をつけてお前を見るよい」
「ンな心配しなくても……あ、いや、ぜひお願いします。自分じゃ分からねえし」
「おう、それで良い。つーか、自覚があってこれならぶん殴ってるところだよい」
「おいおい、怖えな」
「心配かけるナマエが悪りィ」
「そう言われると返す言葉もねえ……」
最後に冗談ぽく笑って、その時の会話はそれで終わった。
□
例えば、もしあの時もっと深く話を聞いていたのならーーナマエの心を覆う闇に気づけていたのなら、結果は変わったのだろうか。
橙色のテンガロンハットを被った墓を見て、拳を握りしめた。
時間が経とうと色鮮やかな花が絶えず献花され、墓は美しい白を保ったままだ。
毎日のように供えられる料理はナマエが好きだったものばかりで、料理人である男は、実際に食べられるわけではないのに、一切手を抜かずに料理を作り続けている。
偉大なる航路を航海する家族も、どれだけ遠く離れた場所にいようと、命日には必ずこの場所に訪れ、墓の前でナマエが好きだった宴を開いた。
父たる男は、元々持病があったこと、それに加えて頂上戦争と呼ばれる戦いで負った傷の影響で、もう航海はできないと自ら判断し、白ひげ海賊団は事実上の解散となり、男は息子が眠る地を守るようにこの島に居を構えた。
マルコは父たる男と弟分が眠るこの島を守るために海賊を辞めた。男はマルコの介助を必要ねえ、と断ったが、一人で生活するにはその身体が限界を迎えていることを知っていたため、無理矢理押し通した。そこについて来たのが料理人である男ーーサッチだった。
毎日サッチと二人でナマエの墓を磨き、花を供え、三人で食べるには量があり過ぎる料理を墓前に運んで三人ーー否、四人で食べる。
海の上にいた頃からは考えられない、そんな穏やかな毎日だ。
刺激は足りないが、不満はない。
だけど、今でも考える。
もしここにナマエがいたのなら。
ナマエが生きていて、一緒に航海を続けられていたのなら。
ありもしない未来だ。
ナマエは死んだ。
サッチを庇い、怪我を負って、ティーチに連れ去られて、インペルダウンに投獄された後処刑台に送られた。
そして、白ひげ海賊団や、傘下の海賊、義理の弟が連れて来た連合の奮闘も虚しく、そのままーー。
「……なのに、何でお前はあんな幸せそうだったんだよい」
今でも忘れられない、ナマエの死に際。
愛してくれてありがとう、と。
涙ながらに言葉を絞り出し、最期に父と慕った男とその家族、そしてただ一人の弟に満ち足りた笑顔を見せて死んでいった。
「お前があんな顔で笑っちまったら、恨み言のひとつも言えやしねえだろい」
冷たい墓石を撫でながら、空を見上げる。
風に巻き上げられた花弁が青空を彩り、とても美しかった。
「……できることなら、お前に直に見せたいねい」
ここで飲む酒は最高だぞ、と墓に向けて笑みを浮かべてみせる。
滲む涙と、痛む胸には気づかないふりをして。
□
当たり前に明日が来るのだとーー未来が待っているのだと。
何も気にせず、考えず、ただ信じられたらどれだけ良いか。
記憶も知識も、この世界で生きるには当てにならないものだと知っている。
痛いほどに。
苦しいほどに。
知っていた。
覚えていた。
だから変えようと足掻いた。
だけど結果は何も変わらなかった。
サボが死んだあの日、運命は変わらないのだと知った。
離れた手。
燃え盛るゴミ山。
撃ち込まれた砲弾。
燃える船。
忘れるなというように、今でも夢に出てくる光景。
だから炎は嫌いだ。
全てを飲み込み、焼き尽くす赤は、いつだっておれの大事なものを奪っていく。
だからこそ、できることならメラメラの実を食いたくはなかった。
だけど食べてしまって。
食べるしかなくて。
結局おれは、『火拳』と呼ばれるようになった。
記憶の中にある知識の通りの人生だ。
おれが何をしたところで、どう足掻いたところで、流れは何も変わらない。
ならばどう生きようと運命の日までおれは死なないのだろうし、どう足掻こうと、あの日あの瞬間にあの場所でおれは死ぬのだろう。
炎すらも灼き尽くすマグマの拳に貫かれ、たくさんの家族と、大事なオヤジの命を道連れに。
なら悔いを残さないよう、残されたあと数年を必死に生きるしかないじゃないか。
全てを出し切るようにーー燃え尽きるように。
そうして今まで生きてきた。
生き急いでいるつもりはない。
ただ限られた時間の中で、悔いを残さないよう、与えられたものを使い切ろうとしているだけだ。
自分の身を顧みないのは、どうせ今は死なないと分かっているから。
マルコには気をつける、と言ったが、その生き方は今後も変えるつもりはない。
仮に運命の日を迎える前に死んだならそれはそれで良いと思ってすらいるーー否。
むしろその方が良い。
おれが死ねば、あの戦争は起きないはずだ。
そうなればオヤジは死なないし、家族だって欠けることはない。
何より、運命は定まっていないのだと、その証明になるだろう。
それが確認できたなら、それだけでおれはこの人生に悔いはなかったと、幸せだったと笑って死ぬことができる。
おれの生きた証になる。
本当に、そんな未来を手にすることができるなら。