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 寝住の固有能力である『ねずみさん』は、百通りの確率世界を同時に体験できるチートじみた戦闘技術だ。
 ジャンケンでいう後出しーーではなく、いうなれば一人の相手に三つの手を出し、相手の手を見てから自分の手を確定できる特権。
 それだけ聞けばなんて便利な能力だと羨ましがる人間が多いだろうが、実際には百の選択肢をどう選んだところで大抵は似たようなルートに至るし、同時に百の体験をするーーゲームで例えるなら百個のゲーム機を同時にプレイしているようなものだーーから精神的な負担が大きく強いられ、常時脳みそがすり減っていくような強烈な眠気が付き纏う。
 おまけに行動シミュレーションと言っても、百通りの分岐での体験や記憶は全て寝住に蓄積されるため、失敗体験が百倍になるというデメリット付きであるーー寝住は昔好きな女の子に百通りの方法で告白し、百通りのパターンで振られるというとんでもない精神攻撃を食らった経験があるーーそのため寝住は、このチートじみた能力を、基本的にはジャンケンくらいにしか使い道のない特技だと考えている。
 とはいえ、寝住が何よりも重要視する己の死の回避には必要不可欠な能力であるため、基本的には常時発動させざるを得ないのが現状だ。

 閑話休題。

 あの死闘を繰り広げたーーと言えるほど寝住は苦労をしていない。ほとんどが誰かの手柄に乗っかり、最終的に美味しいところを頂いたようなものだ。さながら十二支の鼠の如くーー十二大戦を生き残っても、寝住の生活には大きな変化もなければ影響だってなかった。いつもと同じく戦場に赴き、本家からの仕事がなければ高校に通う。日々を惰性でただなんとなく生きるだけの日常。やりたいことなんてないし、夢や目標なんてのも勿論ない。
 ただ死ななければいいーー強いていうなら、それだけが寝住の目標のようなものだった。
 だから変化のない日常にうんざりすることもなく、「クズばっかり」の周囲の人間を守るために戦うことに嫌気がさしているけれど、十二大戦のような乱痴気騒ぎに再び収集されるくらいならこのままでいいとすら思っていた。
 しかし数年前のある日、変化のない日常は突如として崩れることになる。





 何が原因かは分からない。
 少なくとも、寝住はいつもと同じように過ごしていた。それなりに大きな仕事を無事に終え、学校も創立記念日だとかで休校だったため、疲れた体と脳みそを休めようと一日中惰眠を貪る予定だった。
 それが気づいた時には、透き通るコバルトブルーの波に足を撫でられながら白い砂浜に倒れていたのだ。
 まさか寝ている間に何者かに拐われたか、それとも新しい仕事先に強制送還されたのかーー他の戦士がどうかは知らないが、『子』の家は寝住の都合を考えずに強引に仕事を任せることが度々あるため、目的地へ強制送還されるのも珍しいことではないーーあらゆる可能性を考えてはみたものの、何のヒントもない状態で正解など分かるはずもなく、また既に起こった事象に対して『ねずみさん』は機能しないので、考えるだけ無駄だと余計な思考は放棄し、現状の把握に切り替えたーー瞬間、見知ってはいないが知っている生物が海から顔を出したことで、自分が今どこにいるのか寝住は知ることになる。





「まさか漫画の世界だとは思わねえよなあ……」

 肌を焼き焦がさんばかりの日差しが眩しい甲板の日陰で、寝住はデッキブラシを握りながら気怠そうにしゃがみ込んでいた。
 船上において、掃除を含む雑用等は基本下っ端の仕事だが、飲みの席での罰ゲームだったり失態を犯した際の罰として古株の人間が混ざることがある。それは船の船長とて例外ではなく。(ーーいや、この船が特殊なだけか)船長たる赤髪の男が顔を真っ青にしながら甲板を掃除する姿を日陰から眺める。本当なら今日の甲板掃除の担当は寝住だったのだが、昨日立ち寄った島の酒場で行われたカードゲームで赤髪の船長が見事最下位になり、その罰ゲームとして今日一日雑用をこなすのが決定したらしく、寝住が掃除を始めた頃に二日酔いでふらふらの船長と楽しそうに口元を歪めた古株のクルーがやって来て交代を言いつけられたのだった。
 寝住としてはこんな蒸し暑い夏の気候の中で掃除をしなくていいというのは有り難い話だが、だからといって仮にも船長に全てを任せっきりにしてぐうたらするのは周りの目も痛いだろうとーー実際に『ねずみさん』で試してみたら、古株のクルーはともかく、船長を慕う下っ端クルーからの視線が痛かったーーデッキブラシを片手に甲板に留まっている。尤も、事情説明のため船長と一緒に来た古株のクルーから手出し無用と言われているため、手伝うことはしないのだが。

「あ゛ぁぁぁ……頭いてえ……日差しが辛い……」
「……」
「ベックもヤソップも面白がりやがって……おれァ船長だぞ? こんな扱いはどうなんだっての」
「……」
「しかもよりによって夏島の海域とか……二日酔いには辛いっつーの」
「……」
「……おーい、寝住? お前に話しかけてるんだぞ?」
「え」
「えってお前……、おれがただダラダラ独り言喋りながら掃除してると思ってたのか?」

 突然話を振られ、暑さに辟易としながら早く船内に潜りたいな、とぼんやり考えていた寝住は目を瞬かせた。トリップしていた意識を戻せば、赤髪の船長がじとっとした目で寝住を見ていた。(そりゃあ口数が随分多いなとは思っていたけど……)まさか自分に話しかけているとは思っていなかったため、一瞬言葉に詰まる。

「……いや、お頭が下っ端にわざわざ話しかけるとは思ってなかったんで」
「おいおい、確かに立場ってのはあるが、おれはそんなので仲間を区別したりしねえぞ」

 ああ、確かにそういうキャラクターだよな、と記憶にある『知識』を思い浮かべ、一人納得する。

 赤髪のシャンクス。某少年雑誌で連載されている国民的人気漫画のキャラクター。主人公が海賊を目指すきっかけになった男。登場回数は決して多いわけではないが、その言動や活躍が印象的で、屈指の人気を誇っていた。作中でも、少ない登場シーンから見てもクルーから慕われているのが伝わってくる人格者。一方で不穏な動きを見せるシーンや噂もあり、謎の多い人物でもある。(まあ、おれには直接関係なさそうだからどうでもいいが)『ねずみさん』で試した百通りのルートの中で、死亡回数が圧倒的に少なかった二つのルートの内の一つ。この世界で死なないために仕方なく乗船しているだけで、命の危険が迫ればあっさり切り捨てることができる。
 赤髪のシャンクスは寝住の知識の中でもこの海においても重要な人物だ。所謂物語の核心に迫った時、この船はどこよりも危険地帯となるだろうから、そうなる前に船を降りようと考えている寝住にとって、シャンクスが実は黒幕だとか悪人であるとかーーそもそも世間一般的に海賊は悪人だから間違いではないーーそんなことはさして問題ではなかった。(下っ端として潜り込めたなら目立たないようにしつつ、良いタイミングで船を降りて、イベントが起きなさそうな島で適当に元の世界に帰る方法を探す)ーーあるいは、永住するのに都合がいい島を見つける。寝住の目的はそれだけだった。それだけだったはず、だが。

「なあ、寝住。ちょっとだけ手伝ってくれないか?」
「……ヤソップさん達に怒られるんで」
「ちょっとくらいならバレねえさ! な? 一人じゃキツいんだって。おれ片腕だしよォ」

 わざとらしい泣き真似をしながら掲げられた左腕は肩から下が存在しない。
 原作の有名なワンシーン。暇つぶし程度にしか読んでいなかった寝住でも覚えている物語の始まり。食われかけた主人公を助けるために失った左腕。腕の一本くらい安いものだと言い切った例のシーンを見て、腕が一本ないとおれなら致命傷になるな、とつい仕事脳で考えてしまった。『ねずみさん』というチートじみた固有能力を持っているとはいえ、寝住の戦闘技術はそこらの一般戦士と変わらないのだ。腕が一本ないだけで生存確率はグンと減ってしまうし、日常生活を満足に送ることだって難しいだろう。
 しかし流石漫画のキャラクターと言えばいいのか、シャンクスは片腕でも何のハンデも感じさせないほど当たり前に日常生活を送っている。戦闘面においても一切敵に劣ることはなく、そういえば世界最強の男とも片腕でやり合ってなかったっけ、と薄れかけている記憶をぼんやり思い出した。

 だからこんな掃除程度でキツいなんて弱音を吐くはずがなく、暇つぶしにからかって反応を見ているんだろうな、と寝住は察したーーので、『ねずみさん』で二通りの分岐を試す。
 このまま無視するという行動と、手伝うという行動を取ったところ、前者の分岐では余計に大袈裟に騒がれ、結果そのせいでお頭大好きな新人クルー達からの視線が痛かったため、げんなりしながら、後者の分岐を『真実』として確定した。

「……ヤソップさん達にバレない範囲でですからね」
「お、やってくれるか! ありがとうな、寝住!」

 満面の笑みが眩しい。真正面からそれを受けて、眉間に皺が寄った。ただでさえ太陽の光で目が潰れそうだというのに。しかしそんなことで文句を言えるはずもなく、口を一文字に引き結んだままデッキブラシを支えにしながら立ち上がり、日陰から出る。
 カッと照りつける日差しが剥き出しの肌をじりじりと焼くようで、すぐにでも日陰に、もっと言うなら船内に戻りたいと思ったが、この掃除が終わるまでは甲板にいなければならないため、渋々バケツにデッキブラシを突っ込んで濡らし、甲板を磨き始めた。

「にしても、甲板掃除なんて久しぶりにやったが、こんなにキツいもんだったかァ?」
「……」
「何十年ぶりとは言え、あの頃より体力はついてるはずなんだがなあ……。普段使わないような筋肉を使うから余計に疲れるのかねえ……」
「……」
「……おーい、寝住クン? お前に話しかけてんだぞー」
「えっ」
「えって、お前なァ……」

 デッキブラシに寄りかかりながら、呆れたような顔で見てくるシャンクスに戸惑う。
 また自分に話しかけてきていたのか、なんで自分なんかにーーそんな困惑が一瞬の内に脳裏に溢れ、動揺が顔に出た。
 明らかに戸惑っている様子の寝住を見て、シャンクスは拗ねたように唇を尖らせる。

「せっかくの機会だから気になってたクルーと親睦を深めようってんのに、寝住はおれと仲良くなる気がねえみてーだな。あーあ、おれ船長なのに。クルーに冷たくされて悲しいなー」
「いや、冷たくって……というか、え?」

 この赤髪の船長、今、何か己にとって不都合なことを言わなかったか。

 聞き間違いだと思いたかったが、いい歳して拗ねた子供のような表情を浮かべた赤髪の船長が、「寝住が今日の甲板掃除当番だって聞いたから、昨日のゲームもわざと負けたのによォ」と言ったことで、正しく聴覚が機能していたと突きつけられた。

「……大海賊団の船長が、クルーひとりを特別扱いするのはどうなんですか」

 苦し紛れの言葉に、「こんなのが特別扱いにゃならねえさ」と笑うシャンクスには、正しく寝住の思考が伝わっていない。
 有り難迷惑だ、と正直に伝えられたらどれだけ良いか。しかしこの場限りでの関係でもなし、まだしばらくは世話になる予定なのだ。それに馬鹿正直に本音を言ったら、本人は気にしなさそうーーむしろ余計に絡んできそうーーだが、何度も言うように周りの目が恐ろしい。『ねずみさん』で試さなくても結果は分かり切っていることだ。
 だから寝住は、「……そろそろ終わらせないと、ヤソップさん達に言われますよ」と聞かなかったふりをして、甲板を磨くことに集中することにした。不満そうな空気を感じるが、知らない。気にしない。気にしたら負けだ。(……いや何に対しての勝ち負けだっての)そう自分でツッコミを入れながら、ひたすら甲板を睨み続けた。

(ただでさえもう一個のルートも可笑しなことになってるって言うのに……)一番最初の分岐点。この世界で生き抜くために選んだもう一つの『真実』候補の分岐。あるかもしれない未来の話。過去形ではなく、現在進行形。何か不都合があれば確定される、いわば予備(ストック)の世界線。(……いや、向こうがストックと言えるかもしれねえけど)どちらがストックであろうとーーあるいはこのルートすらストックだとしても、寝住にとってはさして問題ではない。(ーーこのルートが最善であるか否か)いや、完璧で完全な最善なんてものはこの世の中にあるはずがないのだから、寝住にとっての最善ーーつまり、自分が死なないルートでさえあればそれで良いと思っているのだ、が。

 この分岐と同時進行中のとある分岐で、何やら自分らしからぬ思考や展開が繰り広げられている気がするのだ。よくある少年漫画的な展開というか、仲間と手と手を取り合って大団円を迎える青春劇というかーー具体的に言うと、自分の命を危険に晒してまで必死こいて他人のために何かをしようとするという、寝住にとっては無縁にも程があるだろう、そんな展開になっているようで。(バグか? バグなのか?)あまりに自分に似合わなすぎて全身に鳥肌が立つ。

 寝住の固有能力である『ねずみさん』は、例えば百通りのルートを、更にそれぞれ百通りに分岐させるように、基本的には際限なくその能力を使用することができるが、当然後々に何かしらの副作用ーー精神的な負担や、干渉力を過度に使い過ぎたことによる脳の疲弊に伴う眠気以外にも副作用は存在するーーが起こるし、最悪とんでもない落とし穴が待ち構えていたりするーーこの場合の最悪、もとい、寝住にとっての最悪はいつだって己の死なのだが、それは置いておくとして。
 そして、ゲームブックの誤植や乱丁とでも言えばいいのか、能力を駆使ーー否、酷使し過ぎたせいで、百通りの選択肢に百一番目のチョイスが生まれてしまうことも、ある。
 所謂バグだ。それも致命的な。(登場人物のキャラがちげえとか、致命的を通り越して破滅的にも程があるだろ……)自分の命を賭けてまで、なんて、寝住にとってはあり得ない選択だ。例え百通りの行動パターンを試せるとしても、絶対に試みない選択肢。寝住らしからぬ思考回路をする件のルートは、正しくバグと呼ぶに相応しかった。(その分岐のおれも間違いなくおれだけど、なんつーか、)(まあその分岐の自分が死んだらこのルートを真実として確定すればいいだけなんだが)そうなると、この分岐を『真実』として確定する可能性が高くなる。

 だからこそ、これからの言動にはより一層気をつけなければならない。(あのルートを消去したら、必然的にこっちをメインに進めていくしかないし)山程あったセーブデータが消えるのはもちろん、こうしてバグが発生したりというのも稀にあることで。(だからジャンケンくらいしか使い道がねえんだよな、この能力)しかしそんな風に思っても、『ねずみさん』に頼らなければ寝住が生き残るのは難しいのも事実。

「……ほんと、やってらんねえよ」

 シャンクスに聞こえないよう悪態をつく。
 やっぱり人生なんてクソゲーだな、と眉間に皺を寄せながら、寝住はこれからのことを考えた。
 まずはこの赤髪の船長から、誰かのヘイトを買うこともなく穏便に逃げる方法を、まずは百通りほど考えなくては。

 ーーなんて、百通りのパターンを試すだけで逃げられるほど甘い相手じゃないことを、この分岐の寝住はこれから嫌というほど思い知らされることになる。