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 ナマエという男がいる。いつもにこにこ笑っていて、海賊らしからぬ穏やかな気性の控えめな男だった。いつも周りより一歩後ろに下がって見守っているような奴で、自己主張も少なく意見がぶつかることがあれば大抵他人に譲ってしまう。だけど決して気弱だったり臆病というわけではなく、戦闘時にはいつもの控えめさが嘘のように前線に立ち得意の銃で敵を次々と撃ち抜くし、いつもにこにこ笑っている分怒らせた時なんてあのオヤジでさえもバツが悪そうに口を閉ざすほどに迫力がある。隊長格ではないものの白ひげ海賊団の中では古株で、その首に賞金もかけられている実力者だ。

 そんな男が初めて自分から求めた存在が末っ子のエースだった。
 宴の席で酔った勢いに任せての告白は普段の穏やかな男らしからぬ熱い思いが込められていて、そんな素振りを見せてこなかっただけに告白された当人や周囲で聞き耳を立てていた全員が驚いたものの、エース自身もナマエを好いていたため、盛大に発火してメラメラ燃えながらも震える手でナマエの両手を握り、頷いた。
 ぽかんと口を開けてエースを見る様は、まさか受け入れられるとは思っていなかったと言っているようだったが、エースからすればまさか自分を好いてくれているとは思っていなかったと反論したい気分で、だけど恥ずかしかったから握った手に力を込めるだけにして顔は俯いたままだった。
 ようやく事態を把握したのか、恐る恐るといった様子でナマエがエースを引き寄せ、しっかりと抱きしめる。シャツを着ていないせいで素肌に触れた熱にエースは奥歯を噛み締めながら必死に能力が発動しそうになるのを堪えていた。恥ずかしくて、それ以上に嬉しくて、今だけは海楼石の手錠を身につけたいと思った。
 ナマエがエースを抱き寄せ、エースがナマエの肩に顔を埋めた瞬間、宴はその日一番の盛り上がりを見せた。出歯亀隊がヒューヒュー囃し立て、親たるニューゲートがこいつはめでてえ日だと特徴的な笑い声を上げ、何の意味も持たなかった宴がその瞬間新たに誕生した恋人二人を祝うものへと変わる。
 飲めや歌えのどんちゃん騒ぎの中、未だ戸惑った様子のナマエにほんの少しだけ不安がよぎったが、しっかりと握られた手が最後まで離れていかなかったのに救われた。もしもこれで冗談だったり、何かの罰ゲームだったとしたら死んでしまいたいと思った。

 罰ゲーム。
 そう、罰ゲームだった。

 いつだったか立ち寄った島の酒場で仲間内でポーカーをした時、ぼろ負けしたエースに命じられた罰ゲームは『次の宴で好きな奴に告白をする』という内容だった。
 この船に乗った当初からエースがナマエに惹かれているというのは船に乗る殆どの人間が知っていて、面白いことが大好きな自称お兄ちゃん達は進んでエースの恋を応援していた。
 特にナマエが所属する十六番隊隊長のイゾウと一番隊隊長のマルコ、四番隊隊長サッチはエースに協力的で、敢えてエースとナマエを二人だけで次に上陸する島の下見に向かわせたり、買い出しを任せたり、倉庫の整理を任せたりなど、後半は面倒な仕事の押し付けのようになっていたが、とにかくエースがナマエと二人で過ごす時間を増やせるように協力していた。
 例の罰ゲームを命じたのはイゾウだった。というのも、イゾウの見立てではナマエもエースに惚れているはずだからだ。他の二人にはそんなわけあるかと否定されたが、イゾウはこの船に乗っている誰よりもナマエと交流する機会が多いため、エースを前にした時のナマエの僅かな変化を正しく読み取っていた。
 あれは間違いなく惚れている奴の反応だと自信満々に笑うイゾウに、マルコとサッチは瞠目して顔を見合わせた後、海賊らしい悪い笑みを浮かべそれなら賭けるかと提案した。可愛い末っ子の淡い初恋を応援してはいるが、それはそれとして面白いことが大好きなお兄ちゃん達は、自分達が楽しめる時は全力で楽しむタチなのである。

 結局イゾウはエースから告白された場合ナマエは告白を受ける方に、マルコとサッチは受けない方に賭けた。やけに自信満々なイゾウのことは気になるが、基本的に誰にでも優しく控えめなナマエがエースを好きだというのが想像できなかったからだ。
 無論家族として好いてはいるのだろうが、その優しさを平等に全員に振りまくナマエがエースだけを特別扱いしている姿など見たことがない。いや、確かに他と比べてエースに構う時間が多かったような気もするが、それだってまだ船に馴染んでいない新たな家族を気遣ってのことだろうし、あれだけでナマエがエースをそういう意味で好いていると断ずるのは早計だ。
 この賭けは勝ったなと笑う二人を、イゾウも鼻で笑った。本質の分かっていない奴らめ。

 そして運命の日。
 目の前で起こった現実にマルコとサッチはぽかんと口を開けて固まり、イゾウはそれ見たことかと口元をニヤニヤ吊り上げた。

「賭けはおれの一人勝ちだなあ?」
「いや、いやだってよ!」
「……そんな素振り一切見せてなかったじゃねえかよい」
「ハハッ、ンなことないさ。ナマエは結構分かりやすく態度に出してたぞ?」

 例えば敵と交戦している時にエースが戦いやすいよう援護したり、例えば食事中に気絶するように寝てしまうエースのためにタオルを常備して隣に座ったり、例えば遠征から帰ってきて家族に土産を渡す時に毎回エースの好物が混ざっていたり、例えば、例えばーー。
 次々と挙げられる一見すれば家族や仲間への優しさとも言える類いの行為は、ことナマエに関しては確かに特別扱いそのもので、言われてみれば違和感しかない。
 何故気づかなかったのかと悔しげに顔を歪める二人に、イゾウはもう一度「賭けはおれの勝ちだな」と言って愉快そうに喉を鳴らした。

 正直ナマエから告白をしたのは予想外だったが、いつも控えめで遠慮しい人間が初めて自分から何かを求めたというのはそれだけその想いが本気だということで、家族としてはめでたく嬉しい話だったから、賭けに勝ったこともあり、イゾウは気分良く手元の酒を煽ってくっついたばかりの二人を見ていた。

 それが、今から二年前のことだ。





 手元に残ったシルバーの指輪を見て、イゾウはどうしたものかと眉を顰めた。
 見事なパイプロープガーネットが埋め込まれた指輪は相応の値段がしただろうに、それを必要ないと言った挙句本来想定した相手以外に簡単に手渡すなんて、イゾウがよく知るナマエからすればあり得ないことだった。
 それに加えてあの発言も。

「無理をさせるのが辛くなった、ねえ」

 傍目から見た限りでは、お互いに無理をしているようには見えなかった。好き同士で付き合ったのだから当然だ。
 ただ予想以上にエースが初心な反応をするものだから普通の恋人よりも関係の進展が遅かったように思うが、それに焦れることなく根気よく付き合っていたナマエの忍耐力は同じ男として賞賛に値する。
 一度よく我慢できているなと声をかけた時は「焦らなくても時間はたっぷりあるし、無理をさせたくないんだ」と困ったように笑っていたが、その声色には如何にも幸せですといった感情が滲み出ていて、思わず「惚気はいらねえよ」と額を叩いたくらいだ。

 そんなナマエに申し訳なさと焦りと、本当はもっと恋人らしいことがしたいという欲が抑えきれなくなったエースがイゾウを含めた何人かの兄に相談をしてきたのは、二人が付き合って一ヶ月が経つか経たないかといった頃。
 付き合いたての頃はだらしなく顔を緩めてふわふわしていたのに、日に日にトレードマークとも言える元気と明るさが失われていく末っ子を見たイゾウ達がエースを呼び出して話を聞いてみれば、そばかすの散った顔を今にも泣きそうにくしゃりと歪めながらポツポツと近況を語り出した。
 それによれば、あの宴の席での抱擁以来まともにナマエと直接的な接触ができていないのだという。最初の内は何だシモの話かとニヤニヤ笑ってからかいモードだったが、聞いていく内にこれは安易に突いていい話題ではないと思考を切り替え真面目に話を聞く。
 俯いたまま、そろそろ付き合って一ヶ月が経つというのに、キスやセックスはおろか、手すら繋げていないのだと語ったエースに、その場にいた人間はマジか、と顔を見合わせた。
 同じ男であるから、それがどれだけの拷問なのかをその場にいる人間達はよく知っている。海賊は欲望と本能に忠実な生き物だ。せっかく手に入れたお宝を前に我慢しろというのは何とも酷い話だった。
 勿論恋愛というのには各々のペースがあり、付き合ったその日に一気に関係を進めるタイプもいれば、ゆっくりと穏やかに進めるタイプもいるだろうが、それにしたって一ヶ月が経つのに手すら繋げていないとはどこの生娘だと、思わずエースを見る目が変わっていく。
 お前も男で海賊だろう、何身持ちの堅いこと言ってんだ乙女かよという視線を受けて、「おれだってこんな風になるのは初めてだっつーの!」とエースは一瞬メラっとしたが、すぐに鎮火して組んだ腕に顔を埋めてしまう。

「……ナマエに触られるとさ、能力が抑えきれなくなるんだよ」
「……おう」
「今までは全然そんなことなかったのに、付き合うってなったらなんか気恥かしくて、顔面熱くなるし、頭ん中も真っ白になって、そんで気づくと能力が暴走しちまってて……」
「あー、だからこの間海楼石がねえか聞いてきたのか」

 納得したように頷いたサッチに、腕に顔を埋めたままエースが頷く。能力者にとっての天敵とも言える海楼石を自分から求めるなんて。そこまで深刻なのかと一周回って可哀想に思えてくる。
 全くもって恋人らしいことができていない、このままじゃナマエに嫌われてしまうと、普段の快活さが鳴りを潜め、沈んだ様子で内に溜め込んでいた不安を漏らすエースに、ナマエはそんなことで嫌ったりなんかしねえし、お前を手放すこともねえと思うがなあ、とは思いつつ、このままじゃ埒があかないと判断したイゾウは、「おれらも協力してやるから泣くんじゃねえ」とエースの頭を叩いた。目に涙を浮かべ己を見上げるエースに、続けて「この船で現状ナマエと一番付き合いがあるのはおれだ。そうじゃなくても此処にいる連中はお前よりナマエとの付き合いが長ェ分、相談役くらいにはなるだろうさ」と告げる。

「……何でそんな協力的なんだよ」
「優しいお兄様達は可愛い末っ子と大事な家族には幸せになって欲しいのさ」
「……嘘くせえ」
「おいおい、失礼な奴だな。……ま、本音を言うと、あのナマエが初めて自分から欲しいって手を伸ばしたからなあ。何が何でも手に入れさせてやりたいのさ」

 そう言っていかにも弟を思う心優しい兄のような穏やかな笑みを浮かべたイゾウを、エースは胡散臭いと言わんばかりの顔で見ていたため、瞬時にそれが意地の悪いものに切り替わる。嫌な予感がしたのか逃げようとしたエースを捕まえ、「なんだ、何か言いたいことがあるのか?」と覇気を纏った手でグリグリこめかみを虐めてやった。涙目で悲鳴を上げるエースはとても面白かった。

 それから定期的にエースからナマエのことを相談されるようになった。
 開口一番毎回口にするのはどうすればナマエに嫌われないか、という話題なのだが、それに関しては何の問題もねえよと返すのがお約束になっている。
 心配しなくてもナマエはエースにベタ惚れだし、どちらが先に好きになったのかは知らないが、わりと早い段階からお互いに惹かれ合っていたのをイゾウは知っていた。
 だからこそいつも相談の最後に「とはいえ、そんな焦る必要はないだろ。あいつがお前を嫌うなんざあり得ないからな」と言っていたのだが、しかし。


「ひとまず話し合いかねえ」

 それとこれは返さねえとな、とシルバーの指輪を懐から取り出した小さめの巾着に入れ、懐にしまい直す。
 何があったのかは知らないが、先程のナマエの様子を思い出してみるに、おそらく二人の間で盛大な勘違いとすれ違いが発生しているのだろう。加えてナマエは物事をネガティブに捉える癖があるから、それを正してやる意味でも話し合いは必要だ。
 まずはエースを呼び出して話を聞いて、それからナマエも呼び出して二人きりで話し合いを、いやそれだと余計に勘違いが加速しそうだから一応自分もついててやるかーーそんなことを考えながら歩いていた時、焦りを含んだ大声で名前を呼ばれ、足を止めた。
 振り返れば、バタバタと足音を立ててクルーの一人が走ってきている。

「なんだ、何かあったのか?」

 立ち止まったイゾウに追いついたクルーは、荒くなった息を無理やり抑え込んでから、泣きそうな顔で口を開いた。

「ナマエさんがモビーから消えました!!」
「……あ?」

 どうやら事態は、イゾウが想定しているよりも悪い方向に動いていたらしい。