そっと吹き込まれた、恋心。
彼が『ここの干菓子は美味い』と言っていた、その店の近くを通りかかって、引き寄せられるようにお店の軒先で足を止めた。
桜の花をあしらった可愛らしい干菓子が目に留まって、今隣に彼はいないのに・・・『小娘には、こっちの団子が似合いだ』なんてあの日言われた台詞が聞こえた気がした。
傍にいない時でさえ、ふとした瞬間に彼の事を思う。
そんな風に私が彼を気にするようになったのは、多分、あの日・・・。
おつかいに出掛けた先で、寺田屋へ向かう途中だった彼と偶然出交して。
既に女将さんから頼まれていたおつかいを済ませていた私は、帰り道、自然と彼の隣を歩く事になった。
こんな風に2人きりで歩く事なんて初めてで(・・・と言っても、護衛の人が前を歩いていたんだけれど)隣に並んでみて気付いた。
身綺麗ですらりと背が高く垂れ目だけど整った容姿はどうやら人目を引くらしい。
さっきからなんだかチラチラ感じる視線の原因は彼に違いない。
嫌みで偏屈なトコに目を瞑れば、正しく格好良いと言えるのだろう大人の男性。
この人の隣には、私みたいな小娘じゃなくて清楚な大人の女性が似合うんだろうなー、と思う。
当の本人は我関せずといった様子で歩いているけれど。
『秀でた人物に見惚れるのは仕方がない事とはいえ、こうも不躾な視線を向けられては落ち着かぬな』
『え?』
斜め上に見ていた綺麗な横顔が、不意に口を開いて喋り出して、その内容に頭が追いつかずポカンとしてしまう。
そんな私に、彼は呆れたような視線を一瞬寄越して、再び前を向き歩きながら言葉を続けた。
『私に何か言いたい事があるなら妙な視線を寄越してないでさっさと言え。寺田屋に向かう間の暇潰しに聞いてやらんこともないぞ』
『・・・・・・』
『どうした』
『・・・えー・・・っと、あ!「清楚」って、どうやったらなれると思いますか?』
上から目線な彼の台詞にカチンときたものの、確かにさっきまで私が彼をじーっと見ていた事は事実で。
そのまま黙って歩き続けるのもなんだか居心地が悪い。
だから、思いついた質問をそのまま口にした。
特に他意は無い。
彼が言う通り、暇潰しの会話の切欠に過ぎなかった。
私の質問に、彼は暫く怪訝そうに逡巡した後、此方を見て口を開いた。
『小娘が、か?』
『小娘じゃなくて、ハルです!』
自分が小娘なのは承知の上。
それでもいつまでたっても名前を呼ばれない事が悔しくて、いつもの台詞を返すと。
『ふん・・・そうだな、生まれ変わるしかないんじゃないのか』
『なっ!もう・・・聞くんじゃなかった』
名前を呼ぶどころか、更に失礼な答えを返されて頬を膨らませた時だった。
きゅるるるる・・・となんとも間抜けで情けない音が自分のお腹から聞こえてきて。
(うわっ!)
並んで歩く人に聞かれては居たたまれない!と慌ててわざとらしくゴホゴホ咳き込んでみせたのだが・・・甲斐はなく。
きょとんと此方を見下ろしていた彼の口元が、ふっと震えたのを私は見逃さなかった。
(〜〜〜っ!やだ!やっぱり聞かれちゃった!?)
彼はその口を隠すように片手を翳しもう片方の手はお腹にあてて立ち止まると、堪えきれないといった様子で笑い出した。
そうしてひとしきり笑った後、恥ずかしくて立ち尽くしたままの私を心底愉しげに見て再びくくっと喉の奥を震わせた。
『「清楚」とはかけ離れた音がしたようだが、』
『そ、そんな嫌味な言い方しなくても良いじゃないですか!』
『何が食べたい?』
『へ・・・?』
『その顔は頭の悪さを露呈するから止めた方が己の為だぞ』
『なっ!』
『この先に美味い干菓子を置いている店があるな。干菓子は好きか?いや、小娘には団子が似合いか』
『え!大久保さんが、ご馳走してくれるんですか!』
『・・・くっくく・・・。それ程ひもじかったか』
思わず笑顔になった私を見て、一瞬目を丸くした彼はまた目を細めて意地悪く笑った。
意外な甘言にまんまと釣られてしまった自分が情けなくて恥ずかしくて。
彼が言う通り、私が清楚になるなんて生まれ変わるしかなさそうだな・・・なんて思って俯きかけた時だった。
意地悪な笑みを浮かべていた彼の唇が私の耳元に近付いて、発した声が真剣な色をして私の鼓膜を擽った。
『無理に背伸びをする必要などない。小娘は小娘のまま、そのままのお前でいろ』
一瞬、何の事を言われたのか分からなくて。
(『清楚』って、どうやったらなれると思いますか?)
だけど直ぐに私がした質問の答えをくれたのだと思い当たって。
自分でもよく分からない感情が溢れて、私の顔は見る見るうちに赤く染まった。
耳元から離れていった彼はちらりと此方に向けた視線を直ぐに逸らし、くるりと背を向けた。
『・・・次にその顔を私に向けたら、容赦せんぞ』
表情の見えない低く小さな呟きは、なんとか私の耳に届いていたけれど・・・
その意味を理解するまでには私の思考が追いついておらず。
歩き出した彼の背中を暫く呆然と見つめたまま、初めて会った日に大笑いされた事を思い出していた。
以蔵や慎ちゃんに向かって失礼な事を言っていた彼が許せなくて、初対面で怒鳴りつけた私。
その時不敵に笑ってのけた彼を、なんて偉そうでひねくれた人だろう、と思った。
・・・まあ、それは今でも同じように思っているけれど。
だけど、あれから何度か顔を合わせる内に知った大久保さんは、あの頃の印象よりも・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
具体的にどう変わったのかは分からないけれど、確実に変化している彼の印象。
元居た世界とは違う、私の知らない事だらけの世界で、龍馬さん達を頼ってなんとか今までやってきていたけれど。
いつの間にか、彼もまた私の頼れる人となっているのだろうか・・・。
相変わらず、何を考えているのかよく分からない彼だけれど。
『ま、待って下さい!』
慌てて追いかけた背中は、私が声をかけた瞬間、少しだけその歩みを緩めた。
ただそれだけで、ほんの少し、彼に近づけた気がして頬が緩んでしまった。
そっと吹き込まれた、恋心。それでも、いつか
彼に見合う『清楚』な女性になる為に
背伸びしたくなる時がくるのだろうか。
110427
130113/加筆修正
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