いつだったか、おれは、彼の声をどうにかして残しておきたいと思っていた気がする。彼の声、自分を呼ぶ声を、いつだって聞けるようにしたかった気がする。
その考えは、つまり、彼が側にいなくなってもいいようにという清算、のようなものだ。そうわかっていた。知っていた。そして勿論のことだけれど、それが目的だった。

(多分このレコードに、彼の声を刻みたかったんだ。でこぼこ、表面をなでる自分の指先が感じるように。彼の声を刻みたかった。彼がおれを呼ぶ声を)
(彼の声を吸い込む。おれの名前はそうして初めておれのものになるんだ。水のような彼の声を肺一杯にためて、ためて、ためて、溺死する)

彼の部屋の扉を開いたときに蓄音機とレコードが目に飛び込んで来たから、おれはそっと思い出したのだった。埃っぽい彼の部屋で薄い埃を被ったそれは、おれの思いつきを目に見える事柄で表したみたいだった。おれの中にあった、彼の声を保存するという子供じみた考えは、もうとっくに忘れ去られて脳みその隅で埃を被っていたのだし。

(バブルスって名前は、彼が呼ぶそれは、本当に何よりも滑らかな音だった)

彼が自分のために吸った空気が、震わせた声帯が、喉が、肺が!何よりも尊く感じる。そう言ったら彼は笑うだろう、私のすべてはなにもかもがあなたのためなんだと言うんだろう。
耳をすませて、朝焼けの呼吸を聞く。鳥が囁く、おれが声を殺す。埃まみれの部屋とがらくたにも、平等に朝日は昇るんだ。

(あなたにも、朝が来る)

こん、とノックが聞こえて、おれは扉を見つめた。今出るよ、今そっちにゆく。
レコードを本棚の隙間へ追いやって、部屋の隅にあった替えのシーツを蓄音機に被せて埃避けにした。こんこんと催促されてしまって、おれは振り返ることもなく部屋を出る。

「なんだい、テント・カント」
「なにをしているんですか?」
「さあね。なにかをしていて、なにかをしていないよ」
「そう。さあ、行きましょう」
「ああ」

今日一日がどんな日になるかを考えながら、おれは彼の部屋の中について鑑みた。もう開かれなくなってしまった本たちには同情するが、きっと彼はおれと同じ事実に行き着いたのだろうなと実感して嬉しかった。開かれない本は、聞かれないレコードと同じだ。彼もやっと、本のなかからおれの心を探すのをあきらめてくれたんだろう。
肺の奥で絡まった埃のせいで咳をしながら、おれはテント・カントの声を確かに聞くんだ。






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