痛みっていうのは鈍い。ばちんと空気を震わせる音の方が先に響いて、後を追うようにじんじんと頬が痛み出した。
「いたい」 「しってる、いたくしてる」 「ひどい」 「ひどくしてるの」
目の前の彼女は涼しげに、掌にふうふうと息を吹き掛けていた。長めの前髪からちらちらと覗く瞳はきらきら。いつもの様子だった。
「なんでさ」 「なんでって?」 「どうしてこんなことをするんだ」 「こんなこと?」 「ビンタ」 「ああ、」
僕の頬はひりひりと燃えるように痛いのに、彼女は気にするそぶりすら見せてくれない。いったい僕が、なにをした。
「きみ、ずっと彼女のこと、みてた」
多分彼女の言う彼女は、彼女のことではなく彼女のことだ。目の前にいる真っ黒で重たい前髪をポニーテールに結った彼女ではなく、赤みのかかったショートヘアで、からからとよく笑うクラスメイト。クラスの人気者。
「見てたけどさ」 「彼女がすきなんでしょ」 「すきだけどさ」
そこではじめて、彼女の目が揺らいだ。真っ黒な目が、ゆら、ゆら。本当に些細な変化だったけれど、本当に大きな揺れだった。
「僕が誰を見ようと勝手じゃあないかな」
きみばかり見ていたら、視界がモノクロで寂しくなるよ。と僕は言う。 きっと、彼女は傷付いた。音が彼女に届いてから数秒遅れで傷付いた。ぱりんと、薄い硝子が割れるように、傷付いたんだろう 焼けた皮膚がいたい。多分、彼女も今傷付いている。
「妬かないでよ」
彼女は、多分、なにか勘違いをしているんだろう。僕は別に悪いことなんかしていない。むしろ被害者だ、火事にあったようなものだ。いきなり心を焼かれちゃ、たまったもんじゃあないよ。
「焼いてなんかないよ」
彼女は当たり前を嫌だと言っていたのに、今は当たり前の恋愛をしたがっていた。当たり前を当たり前に嫌がっていた彼女は、当たり前に女の子になっていた。
「じゃあなんで泣くのさ」
泣きたいのは、見も心も焼かれた僕だ。と言うと、きっと彼女はまた泣くんだよ。それを隠すために、また彼女は前髪を伸ばすんだろうなあ。
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