胸の奥底に、小さく芽吹く何かを感じたのは、時々屯所の縁側で惰眠を貪る沖田の姿を見かけるようになってからだった。
 ―――あれ以来、桜子は沖田を見かけるたび視線をそちらに向けてしまっている。一度困っていたところを助けてもらっただけで恋に落ちるなんて、少女漫画の中にだけ発生する事象だと決めつけていた。おめでたくて、勘違いも甚だしい。しかし、そのおめでたくて勘違いも甚だしい感情とやらは、自分の中にある乙女の部分にもしっかり装備されていることに気がついたのは、ここ最近のこと。

「良いもん食ってんな」
「ピノ食べてる人に一個くれって言うような人間にだけはなりたくないです」
「雪見だいふくよりマシだろィ」

 昼食の時間はとうに過ぎた八つ時。壁掛けされたテレビをぼんやり見ながら、冷蔵庫から引っ張り出してきたピノを摘んでいたのは梅だった。昼食を簡単に済ませた梅は今日、楽しみに取っておいたピノをゆっくり味わうべく、面倒な事務仕事も土方の指示による雑用も済ませてきたらしい。
 そんな梅の苦労も露知らず、目の前にふらりと現れた沖田は、背後から忍び寄ると梅の手元からピノを一つ奪って口の中に放り込む。

「あァァァ!!ちょっと!!今の星ピノだったんですけど!!」
「……うわ、これ何味?フツーのやつじゃねーのかよ。俺はフツーの味が一番好きなんでィ」
「期間限定なんです!!コラ!!人から奪っといてまずそうに食べない!!」

 仲睦まじいとは言い難くも、仲が悪そうには到底思えない。―――それもそのはず、沖田と梅が恋仲であることは桜子の耳にも届いていた。しかし、真偽を確かめるべく隊士ら数人にそれとなく聞いてみても、皆バラバラの答えが返ってくるのである。

『沖田隊長と梅ちゃん?付き合ってるんじゃないの?』
『兄妹ネコがじゃれてる感じじゃないの』
『うーん……とはいえ俺達の仕事は、プライベートより職務最優先だから。空き時間で楽しんでるみたいな、そんな感じじゃないのかな』

 最後のは山崎の一言である。
 桜子は山崎の見解こそが、どこか一番核心を突いているような気がしていた。仕事上の立場を一番に守っている。だから恋愛は二の次で、それこそ恋仲っぽい空気を楽しんでいるだけだとしたら―――少しは自分が入り込む隙間も、あるのではないか、なんて。
 恋する乙女は盲目かつ猛進である。図々しくなければ恋は実らない。少女漫画で培った知識を武器に、桜子は布巾を握る力をグッと強める。……が、性格上そこまで図々しくなれないのも本当のところだ。恋愛経験もなければ、ここに来るまでまともに男性と話したことさえなかった桜子にとって、初めての恋は大きすぎる壁だった。

「桜子ちゃん、今日はもう上がって良いわよ」
「あ、はい」

 時刻は、夕番の人がそろそろ出てくる頃。女中頭に声をかけられた桜子は、今日は余計なことを考えずさっさと帰ろうと思った。勝手口を出ると、辺りはすっかり夕焼けに染まっていた。あまり軽やかではない足取りなのは、先ほど見た仲の良さそうに戯れ合う二人の姿のせいだ。

「あーもう……考えるのやめやめ!」

 ポジティブに、前向きに。この恋を本気で始めるなら、こんなことでくよくよしている場合ではない。桜子は自らの頬をペちっと叩くと、先ほどとは打って変わって力強く歩き始めた。

「銀さん、これ十円足りないよ」
「んなわけねーだろちゃんと数えたのかァ?」
「数えてるに決まってんだろぉ、何年この商売やってると思ってんの」
「…ひい、ふう、みい。あれ、マジで?」

 甘味処の前を通りかかった時だった。どこかで見た銀髪頭が、てのひらに乗せられた小銭を一生懸命数えている。大きな男がひいふうみい、と小さく背中を丸めて小銭を数える姿はあまりに可笑しく、桜子は思わず吹き出してしまった。

「いやいやお嬢ちゃん、何笑ってくれちゃってんの。俺真剣だからね」
「す、すいません…なんかちょっと面白くて」
「見物料とってやろうか…ってあれ、お嬢ちゃんこないだの」

 ―――総一郎くんとラブホ街にいた子。

 銀時の言葉はあまりにも直球すぎて、桜子の顔はたちまち真っ赤に燃え上がった。

「な、何言ってんですか!あらぬ誤解を生みます、やめてください!」
「いで、いでで!待て待て、冗談冗談。―――あ、じゃあこの間運んだお礼に十円おごってくんね?」

 にやりと不敵に笑って見せた銀時の悪い笑顔に、桜子の眉間に皺が寄る。だが、あの後どこの誰ともわからず、きちんとお礼ができていなかったのも確かだ。
 桜子は甘味処の外椅子に腰を下ろすと、店主に向かって「ここのお金と、あとお団子ひとつください」と注文した。

「マジ!?うわ、言ってみるもんだねェー!親父、あんみつ五個追加で」
「あいよー」
「ちょっと!五個って!!本当に食べるんですか!?」
「食うよ。甘党ナメんなよ」

 一人分の席を開けて桜子の隣に座った銀時は、煎茶の入った湯呑みをグイッと煽ぐ。まるで酒を食らうような振る舞いに、桜子は好奇心で釘付けになっていた。

「で?お嬢ちゃんあのドS馬鹿のどこが良いわけ」
「ど、ドSって……」
「あれ、知らねェの?あの子顔は激甘だけど、性癖激辛よ、激辛。女に首輪と鎖つけて散歩させんのが趣味だからな」
「……それ本当ですか?」
「さァ、どうだろうなァ」
「どっちなんですか…」

 あんみつ五個、団子おまちィ。
 店主が運んできた大量の甘味に圧倒されながらも、桜子は自分で頼んだ三色団子をぱくりと口に入れる。優しい甘みが口に広がって、少しだけ落ち着けた。今しがた聞いてしまった意中の男のとんでもない一面に、動悸が止まらないのだ。

「まァ、どっちでもいいだろ。好きなら全部丸ごと受け止める覚悟がねェとな」
「……別に、好きなんて言ってませんけど」
「え、好きなんじゃねーの?沖田ラブって顔に書いてあるから俺ァてっきりそうなんだと」
「な、なんですかそれ!書いてないですそんなこと!!」

 もはや遊ばれていることはわかっているが、それにしてもこの男、あまりにも適当だ。桜子は唇をわずかに噛みながら、ヤケクソに団子を頬張った。―――本気じゃないと、思われているのか。十六そこそこのまだまだ子供が、恋に恋しているだけだとでも、思っているのか。
 途端に少し悔しくなって、桜子は静かに俯いた。

「……沖田さんのこと、どこまで知ってるんですか」
「いやごめん、全然知らない」
「知らないのにそんなこと言ってたんですか!?ど、ドSとか、せ…性癖がどう、とか」

 やはりからかっている。桜子は早く話を終わらせたくなって、団子の串を皿へと置いた。

「知らねーけど、知ってるよ」

 銀時はあっという間に空にしたあんみつの皿を重ねて、ゲフッとおもむろにげっぷを吐き出して言った。つくづく掴めない男だと桜子は思った。大人ってみんなこうなのか―――いや、年の近そうな近藤局長や土方副長は違うはずだ、なんて。

「あのチビが恋敵かァ…お嬢ちゃんもなかなか厄介な女相手取るねェ」
「…やっぱり、あのお二人って恋仲なんですか?」
「さァ、知らね。そんな可愛いモンには見えねーけどな」

 運命共同体?死なば諸共?―――そう、銀時は言う。その言葉の意味がいまいち理解できずにいた桜子は、拳を握りしめたまま俯いている。ただ感じられるのは、自分が想像するよりも遥かに、二人が培ってきたものが大きいと言うことだけ。
 恋路に立ちはだかる大きな壁だと思い込んでいたが、それは自分の思い違いなのか。

「馬に蹴られるのは、私ですかね」

 桜子の言葉に、銀時は少し目を丸くする。―――若いねェ、なんて言葉で片付けてしまったら、目の前の少女はあっという間に自分に心を閉ざすだろう。それでも言いたい。若い、若すぎる、と。

「ま、試してみたら良いんじゃねーの?どっちにしろ、馬に蹴られたところでアイツ死なねーだろうしな」
「私は、死んじゃいます…」
「そうなの?馬ごときで死んでたら、あのドS馬鹿の隣なんて立てねーよ?せめて闘牛にマッパで立ち向かうくらいの根性なきゃ、本当のSMプレイなんて耐えられねーよ?」
「…闘牛にマッパで立ち向かってるところなんて、絶対見られたくないです」

 減らず口の二人による問答。桜子は先ほどより体が軽くなっていることに気づいていた。あたりはすっかり暗くなり、甘味処も閉店時間だ。―――よっこらせ、とじじ臭い掛け声を言いながら立ち上がった銀時は、桜子を見下ろしてにやりと笑った。

「元気出た?」
「……不本意ながら」
「あんみつ代くれェにはなっただろ」

 銀さんの恋愛相談料、本当はもっと高ェんだよォ?なんて、また減らず口を叩く銀時に、桜子は根負けして笑ってしまった。

「ありがとうございました、万事屋さん。…ちょっと頑張ってみます」
「おー、がんばれや若人。お前さん、ちょっと雰囲気梅に似てるし、ひょっとするかもしれねーぞ」
「……それじゃあんまり意味ないです」
「違いねーな」

 ぺこりと頭を下げて去っていく桜子を見送って、銀時もまた踵を返した。―――若い、若いねェ。銀時は最近歳のせいで凝り固まるようになってしまった首をパキパキと鳴らしながら、かぶき町を闊歩するのだった。

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