「帰れねェよ、もう、どこにも」


 血飛沫とともに赤く染まっていく自らの腹に、猿飛は悪寒と憎悪がたちまち足の先から駆け巡った。
 洞窟の向こうから現れた、張り付けたような笑みが、ぼやける視界の先に見える。

「この国には、お前達の帰る場所も逃げる場所も―――もう、どこにもねェ」

 番傘の先から放たれた銃弾が、猿飛の眼鏡を掠めた。雑木林の陰から次々に出てくる鬼兵隊の姿を捉えた猿飛の目に、じわじわと涙が浮かんでいく。

「やはり抜け道を隠してましたか。御庭番衆は私たちの注意をここから引きはがす陽動。それを逆手に彼らの動きからここの位置を把握できました。神威殿が間に合ってくれて助かりました。外の連中は片づけてくれたようですね」
「阿伏兎のやつの所為で大分出遅れちゃったみたいだけどね。でもお陰で面白いものが見れたよ」

 足掻く忍と、矜持にとらわれる侍―――神威の脳裏には、先の船の上で手練れの侍と一戦交えた際に見た、目の前の男によく似た女が浮かんでいた。

「シンスケ、妹いるよね?」

 その声に、固まったのは鬼兵隊の面々だった。高杉の前で、その言葉は最早禁句となっていたのだ。いつも無表情の武市のこめかみがぴくりと動く。
 裏腹に、高杉は口角を上げて見せた。

「会ったのか」
「シンスケに似て可愛くない女だったよ」
「だとしたら、お前の目玉がまだまだ役に立ってる証拠だろう。この国の連中は、あのチビに絆される奴ばっかりだよ」

 風に靡く眼帯。振り返った高杉は、血だらけになりながらも立ち上がる全蔵を見て静かに笑った。

 息を吐けば、湧き上がるように血の味が口内をめぐる。長くは動けないことを悟った全蔵は、それでも不敵に笑い返して見せた。

「―――動くな。動けば、クナイこいつを全員のケツにブッ込む」
「…………」
「痔は一生もんだぜ。ケツは大切にした方がいい」
「ぜん……ぞ……」

 静かに響く猿飛の声に、全蔵は口内に溜まった血だまりを吐き出して呟いた。

「…………立て猿飛。一緒に生きて帰ろう、そう言ったのはお前だ。お前が俺より先に勝手にいこうとすんな」

 風が止む。
 呆れかえったような武市の声がその場に響き渡る。

「死にぞこないが私達全員を串刺しにするより、私達がボロ雑巾を二枚引き裂く方が速いと思いますが」

 その瞬間、武市目掛けてクナイが飛ぶ。右手でそれを受けた武市は、無表情のまま全蔵を見遣った。
 ひゅる、と無数の風を切る音が頭上から聞こえてくる。全蔵はひとつ、息をつくと、そのまま自らの身体を死体の下へと滑り込ませた。

「ぐぁぁぁっ!!」

 真っ黒なクナイの雨が降り注ぐ。次々と倒れていく志士達の横で、高杉と神威だけがいとも容易く弾き飛ばしてみせた。

「なるほど。ケツにぶち込むとのたまっていたのは、俺達の目を上に向けさせないため…そしてこのクナイの雨も―――ただの目くらましだ」

 僅かに劣った速さ、全蔵の目の前に突き付けられた番傘と刀の先。先ほどまで騒がしかった辺りは死体が転がる静寂に包まれていた。

てめェら)忍術こざいく)は見飽きたぜ」
「………目くらましなんかじゃねェさ。てめェらの特大のケツの穴にお誂え向きな、とっておきの忍術は――――」

 ―――崖を蹴る音がした。

 細かく砕け散る岩の破片が、高杉と神威へ警鐘を鳴らすかのように降ってくる。目を見開いた先、駆けてきたのは眩い銀色と、激しく燃える桃の色。

 そして、


「…………きたか」


 ――――命を揺らす、濃紫。




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