新月の晩だった。

 真選組屯所裏、林を抜けた先。近藤に指定された場所へと到着した万事屋三人が、手渡された将軍の衣装を見てため息とともに覚悟を決める頃。沖田と梅もまた、出発の時を迎えていた。

「なんだってこんな頭の悪ィ服着せるかねェ……」
「銀ちゃんしっくりきてるアル。やっぱり銀ちゃんは頭の悪い服が似合うアルな」
「………お前もお誂えかと思うくらいには似合ってるよ」
「…………僕に至ってはこれ朝服っぽいんですけど、合ってるんですかコレ」

 もはや銀時と神楽とテイストすら違う衣装を着せられている新八は、杓子をぷらぷらと揺らしながら状況を必死に理解しようとしていた。

 ことの発端は、将軍の湯飲みに塗られていた毒の存在から始まる。
 将軍を暗殺すべく秘密裏に動いている組織。その存在が明らかになった時、最早江戸に将軍を置く理由はなかった。その身を安全な京へ移すべく、影武者を三人立てての大掛かりな移送作戦を決行することとなったのである。移送路は三種―――空路、海路、そして作戦が露見した際最も敵に襲撃される確率の高い、陸路。その陸路の影武者を買わされたのが、銀時ら万事屋三人衆であった。

「ちょっと銀さん!もう出発ですよ。どこ行く気ですか!」
「……厠。すぐ戻る」

 ぴりついた空気に耐えかねた銀時は、頭にかぶせたカツラもそのままに、いそいそと藪の中へと向かっていた。

「ったく、ションベンくらい好きにやらしてくれや」

 これからの旅路を思うと憂鬱な気分は拭えなかったが、近藤の口から出た「将軍暗殺を狙う組織」という言葉を聞いた時から、嫌な予感は絶えず胸に過っていた。―――自分にジャンプを譲った、全蔵のあの後ろ姿も、いやに頭の隅にこびりついたま。

「……嫌な予感だけで済めばいいけどよ」
「本当にそれな」
「ひィィイイイイイイ!!!!」

 物陰から突如として帰ってきた返事に、銀時は自分のジュニアを縮み上がらせながら飛び跳ねた。叫んだ声が真っ暗な闇夜に響き渡る。
 深いため息とじとっとした目をしながら現れたのは、隊服ではなく私服の着物に身を包んだ梅だった。

「お前っビビっ、ビビらすんじゃねェよ!!ビビってねェけどォ!!!!」
「いや超ビビッてたよね。オバケに遭遇したのと比じゃないくらいビビッてたよね」
「オバケとか言うんじゃねェェェエ!!!殺されてェのかお前!!!」
「…………なんかごめんね銀ちゃん」

 これほどまでに驚くと思っていなかった梅は、なぜだか胸に立ち込める罪悪感を抱えたままとりあえず謝罪する。銀時はビクビクと震えながら、なお梅をにらんだままだった。

「そういやお前とドS王子の姿ねェなと思ってたんだよね。集合場所間違えてるよ。あっちだよ」
「いや間違えてねーし一緒にいかねーし」
「え?そうなの?何、お前らハブられてんの?」
「ハブられてねーわ!!違う任務があんの!!」

 任務開始前にここまで大きな声を張り上げると思ってもみなかった梅は、息を切らせながら銀時を見上げる。なんかまずいこと聞いちゃった?みたいな雰囲気を醸し出してくる銀時に舌打ちをしたところで、梅は静かに口を開いた。

「……銀ちゃんのことだから、もう大体あたりはついてると思うけど」

 強張る声に、銀時は“組織”の裏が取れてしまう。外れてればいい、その感覚で考えていたこの仕事。梅の表情は硬かった。そして、ごくりと生唾を飲む彼女の目には、確信めいた覚悟が見え隠れしている。
 今宵は新月―――影も落ちぬ闇夜の中、二人の間を僅かに向こうの提灯明かりが差し込んでいた。

「…………お前が案じてることと、俺の嫌な予感が一致してんなら、話は早ェ」

 もう十分、待った。

 ―――この十年間、煩わしい悪夢は続いていた。銀時も、梅も。そして、あの男も。
 終わらせるなら、今しかない。これが好機なのだとすれば、自分たちだけではない。相手も同じことを思っているはずだった。


「一つ、俺と約束しねェか」


 かぶったヅラをようやく取って、銀時は梅に向き直った。
 悍ましげな梅の視線が、銀時の瞳の奥を貫いた。

「俺がアイツを斬っても、俺がアイツに斬られても…………お前はもう、立ち止まるな」

 誰かがやらなきゃいけなかった。
 わかっていたことだった。

 梅は静かに目を瞑る。幼い日の夕焼けの赤が見える。戦場の赤が浮かぶ。最後に自分が兄に伸ばした手のひらは、掴まれることなく散っていった。真っ赤に染まった自分を、自分が見ている。―――これが、最後。きっともう、兄の目にも自分の目にも、お互いに求めていたあの頃は、無い。

「…………わかった」

 木陰で一人、たたずむ男がいた。
 表情一つ変えずに立ちながら、梅の言葉を聞き届ける。―――沖田はわざと大きく地面に落ちた小枝を踏んだ。二人の視線は同時に沖田へと向き、空気が変わる。

「つーわけで旦那、あとは頼みまさァ。俺らの大将もそっちにつくんで」
「なにが頼むだよ、あのゴリラほっといても勝手に自生してんだろ」

 沖田は梅を一瞥する。出発の合図だった。
 歩き始めた沖田の後ろを追うように、梅もまた静かに歩き始める。そのふたつの後ろ姿に、銀時は最後に声をかけた。


「沖田くん」


 呼び止められ、沖田もまたゆっくりと立ち止まる。
 静寂に包まれた小道の真ん中で、銀時は小さく息を吸い込んだ。

「そっちも頼むわ。兄貴にとどめ刺すまで、死なれちゃ困るんでな」

 沖田の表情に、不敵な笑みが浮かんだ。振り返りかけた梅の首根っこをひっつかんで、沖田が再び歩き出す。

「―――任せてくだせェ、」

 雲に隠れた新月の下、たどり着くのは地獄か、それとも。



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