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※澪ちゃん視点


 引退が決まって、少し経ったある日のこと。

 引退式まではまだ時間があるけれど、各々ロッカーの中身を片付け始めていた。それもこれも、まだロッカーを使えていない一年生達に早く明け渡して上げようと、三年生の小さな気遣いだった。

 湯田っちたちは既に自分達のロッカーを綺麗にしたらしく、残すは四人だけ。レギュラーの三年四人は、意外と名残惜しがるタイプのようで、部室から自分の私物がなくなるのが少し寂しいようだった。

「うっわ、やべぇ。いつのタオルかわかんないの出て来た」
「そういうのあるから嫌なんだよ………オイ馬鹿、こっち向けんな!」

 マッキーのロッカーはまるで迷宮のようだった。
 奥の方から出て来た、へろへろになったタオルをつまみあげたマッキーに、私は洗濯かごを持って近づいた。

「もー、そんなことばっかしてたら進まないでしょ。入れて、洗濯してくるから」
「え、マジ?そこまでしてくれちゃう?」
「マッキーのお母さんが不憫だもん」

 さすが澪、なんて調子の良いことを言ったマッキーの隣で、今度はまっつんが「あ」と声を上げた。まさか几帳面なまっつんのロッカーからいつのかわからない何かが出てくるとは思えないけれど、三年使ったのだ。無いとは言い切れない。

「なっつかし。一年のときに実業団の人からもらったサインだわ」
「うわ、マジだ。プレミアつくんじゃねぇの?この人今日本代表じゃん」
「見せて見せて」

 まっつんの背後に回る。その手に握られた色褪せた色紙には、『一静君へ』と書かれた後、ミミズの這ったような字でサインが綴られていた。横に書いてある名前を見ると、今も現役で活躍している選手だった。

「売らねーよ。俺の青春だぞ」
「ロッカーの底で眠ってた“青春”な」
「殴る」
「いって!」

 ふたりが仲良くじゃれあう頃。
 タンタンタン、と階段を上がってくる音がした。外から聞こえてくる喧騒にまじって、「岩ちゃんさー」という聞き慣れた声がする。

 がちゃりと扉が開いて、及川と岩ちゃんが顔を出した。現役時代はウィンドブレーカーとエナメルバッグで現れるのが普通だったけれど、今ではもう制服にリュックだ。岩ちゃんの髪がいつもより伸びているのも、どこか引退を実感させる。

「お疲れー」
「おっす」

 マッキーが二人にそう声をかけると、岩ちゃんがぶっきらぼうに返す。

「岩泉髪伸びすぎ」
「うっせ、ほっとけ」

 岩ちゃんの背後、後ろ手に扉を閉めた及川が、私の顔を見て驚いた表情を浮かべた。

「あれ!澪ちゃんいるじゃん。放課後用事あるとか言ってなかった?」
「用事だよ。ロッカー掃除と言う名の」
「え〜、澪ちゃんいないんだと思って俺今日掃除しない気でいた〜」
「ダメダメ、早く綺麗にして一年生に使わせてあげて」

 私がそう言うと、及川はポケットに手を突っ込んだまま頬を膨らませる。そのままつかつかと私の所まで歩いてくると、その大きな腕を両方広げ、がばりと私の身体を抱き込んだ。相変わらず所かまわずスキンシップをする奴だ。

「俺今日めっちゃ委員会頑張った。だから明日じゃダメ?」
「ダメ。今日やっちゃおうよ、手伝うから」
「えー、じゃあチューして」

 ちゅー、とわざわざ声に出し唇を尖らせながらこちらに向ける及川に、私は腕の中でくるりと方向転換する。マッキーが壊したロッカーの違い棚を直す為、止め具の接続部分をガチャガチャ鳴らした。

「はいそこイチャつくなー」

 まっつんの間延びした声がして、続いて岩ちゃんが自らのロッカーを開け早速整理を始めながら呟いた。

「いいから早く掃除しろクソ川」
「えぇ………俺のロッカー四次元なんだけど」
「大丈夫、俺迷宮だった。大丈夫、意外とヤバいタオル一枚で済んだから」
「コンドームとか出てきたらどうし………痛っ、冗談!澪ちゃん冗談だよ!」

 とんでもないことを口走ろうとした及川のほっぺをぺしっと叩いて、岩ちゃんの隣に腰掛ける。相変わらず棚は直る気配を見せなくて、しばらくガチャガチャやっていたら岩ちゃんが「貸せ」と言って取り上げた。ものの十秒くらいで直っていた。

「さすが岩ちゃん、ありがとう」
「おー」
「………岩ちゃん全然ロッカー汚くないね。意外」
「意外ってなんだべや。失礼だろ」

 すっきりと片付いた岩ちゃんのロッカーは、バレーシューズと、ロッカー扉の裏に貼りつけたバボちゃんマグネットを回収するくらいだけだった。ほかの人達とは比べものにならない。確かに岩ちゃんの部屋、いつもきれいだもんなぁ。

「やば、見て澪ちゃん………俺達のプリクラ出て来た」
「え、どれ?」

 早速脱線している及川は、どうやら昔のプリクラを発見したらしい。見てみて、と差し出されたそれを手に取ると、一年生の春頃に撮ったプリクラだった。お互いまだ中学生の子どもっぽさが抜けない顔で、微妙な距離感でピースをしている。

「まだこれ付き合い始めて三か月とかじゃない?」
「距離感が可愛いね」

 思わずへらっと笑うと、むずむずした表情の及川が座ったまま、立っている私のお腹あたりを抱きしめた。

「俺達今はこんな距離感だもんね?」
「及川だけね」
「ひどい!でもくっつかれんの嫌いじゃないくせに」
「TPOを弁えてくれたらね」
「はいそこイチャつくなー」

 本日二回目のまっつんの声だった。
 プリクラを見に寄って来たマッキーに、及川はプリクラの一枚を見せる。マッキーはまじまじと見つめた後で、私のほうをちらりと見た。

「澪超かわいい。俺この頃の澪と付き合いたい」
「マッキーそれどういう意味かな」
「だめでーす、その頃もあの頃も全部俺のものなので諦めてくださーい」

 ぐいっと私の腰を引き寄せると、そのままマッキーに見せつけるかのように及川は私の腰あたりにぐいぐい頭を突っ込んだ。


「あっという間だったんだな、意外に」


 不意に呟いた岩ちゃんの言葉に、部室に静寂が宿る。
 どこかしみじみとした言い方だったから、一抹の寂しさを覚えてしまったのだ。

「岩ちゃんそういう言い方やめて!やばい、実感わいてきてやばい」
「何言ってんだよ、この間泣きながらバレーしただろうが」
「ちょっと今のはキたわ………あの時はまだ寂しいっていうか悔しさのが勝ってたし………」

 文句を垂れる及川と、心臓を押さえながら天を仰ぐマッキーと。岩ちゃんの隣で鞄を整理するふりをしたまっつん。

 終わってしまった。高校のバレー生活が終わったのだ。このメンバーで試合をすることは、もう無い。彼らと一緒に夏の体育館でコーチを待ちながらスポドリを煽ることも、シーブリーズを交換し合ってじゃれあうことも。

 うる、と何故か涙が浮かんでしまった私は、咄嗟に上を向いた。それに一番最初に気が付いたのはまっつんだった。

「え、澪?」
「……………泣いてない」
「あ、泣いてる」

 ぎょっとするまっつんの横で、マッキーが私を指さしていた。むっとしながらも零れてくる涙をどうすることもできなくて、咄嗟に袖口で拭い去る。

「澪ちゃん!?何、泣いちゃった!?いーわーちゃァん!!やめてよ澪ちゃん泣かすの!!おーよしよし、おいで」

 がたっと音を立てて立ち上がった及川がすっ飛んできて、私の顔を自らの胸元へと押し付けた。及川のブレザーに、私の涙が吸い込まれていく。

「岩ちゃんさいてー!」
「あーはいはい、悪かったよ」
「思ってねぇな」
「思ってなさすぎて笑うわ」

 涙を流せば、あとは満足してしまって。及川の胸でくすくす笑えば、「え、今度は笑ってる?!」と及川が素っ頓狂な声を上げたから、それがまた面白くて。「感情ぶっ壊れてんだろ、そっとしといてやろう」、なんてマッキーが言うから、私は及川の腕の中からマッキーの事を冗談めかしに睨んでやった。

 高校バレーは終わるけど、私達はきっとこれからも肩を並べて笑いあう。それだけはずっと変わらない気がしていた。


「おら、さっさと片付けて飯食って帰んぞ」


 岩ちゃんが私の頭をがしがしと撫でつけた。
 大きくうなずいた私を抱きしめる及川の力がぎゅう、と強くなる。




「うわ、やばいの出て来た!」
「タオル出て来た?」
「………いや………………パンツ」
「最低」
「やめて澪ちゃんお願いだからその眼やめて!!」
「写メ撮ってツイッター載せようぜ」
「それだけはやめて!!」


 三年間ありがとうなんてありきたりな言葉は、あの日の及川で終わりにしよう。―――今日からまた、よろしくね。


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