かぶき町に、やたら雨が続いていた。

 上京して半年。近藤が真選組の局長に就いて三か月。ようやく組織がまとまり始めるも、山積みになっている書類と問題事項の数を試算しては、副長役に就いた土方の煙草は多くなるばかりだった。挙句、一番隊という一番大事な部隊の長の座に治まった九つも下の沖田は、未だ自分の身分を自覚していないのか、仕事の無い日中はほとんど外でサボり歩く始末。

 土方の溜息と吸い殻だけが増え、近藤はひのきの一枚板に自ら筆入れした「真選組屯所」の文字が右斜めにズレていることに落胆していた日の夕暮れ、沖田は傘を片手に人気の少ないかぶき町裏路地を歩いていた。


 お前も書類整理をしろ、なんて言われて手を付ける沖田ではない。

 今日も自分の文机にたまった書類を一瞥して、見なかったことにした。どうやら“組織”というものは上の者が許可を出さねば実行できない仕事がたくさんあるらしいことは知った。しかし、鼻から学など持ち合わせていないことを自負していた沖田にとって、非現実的な“事務仕事”だった。

 刀を振り回すことしか能がない。そう言われればその通りだと頷ける。役職について数日、お上から拝領した刀はよく知らない名刀らしい。斬れ味は天下一品だと聞いている。しかし試し斬りの機会すらなく、鞘に治まったまま数週間が経過していた。

「(―――刀提げてウロついてりゃ、何かしらかかるだろ)」

 治安が良いとは言えないかぶき町で、私服姿で刀を提げてウロつき回る。それだけでも攘夷の残党は目をつけるだろう、そう判断した沖田はそのまま路地裏を突き進んでいた。全ては試し斬りの為だ。世の中には正当防衛って言葉があるらしいから、と自らを納得させて、ザアザアと降りしきる雨の中、角を曲がろうとした時。

「……、」

 かさり、と背後から足音がひとつ。

 ―――音が軽い。女か子どもか、小柄な男か。

 沖田は足を止めて相手の動向を見た。足音はしない。気配はした。殺気は無い、しかしこちらに気づかれる程度の気配は放っている。

「(………物乞いだったら無視)」

 何にせよ、動かなければ向こうも動かない。再び歩み始めた時、がさっと大きな音がして、沖田の右手は刀の鍔を押し上げていた。


「………は、」


 振り向きざまに視線を遣れば、そこにあるのは一体の―――死体。死体なのかどうかすらわからないが、薄汚れた着流しに身を包んだ小さな身体が倒れていた。仰向けのまま、僅かに肩が上下しているのを見て、死んでいないことを確認すると、沖田はまず倒れた体の腰に下がった刀を蹴り飛ばした。万が一の為だった。

 ちょん、と鞘先で頭を小突いてみる。ぴく、と身体が動く。そのまま何度かそれを繰り返した後で、沖田は大きく溜息をついた。

「………放置は不味いか」

 立場的に。

 これから先武装警察を名乗っていく以上、行き倒れを放置するのは世間的にも良くないだろう。……だが、まだ制服すら届いていないのだ。今日は非番ということにして――――沖田が立ち去ろうとしたその時、死体(仮)が上半身をあげようと、地に手をついて力を入れていた。しかし、力が出ないのか、再びばたりと倒れ込む。

 沖田はその小さな肩に手をかけて、一気に仰向けに転がした。


 ―――冷たい視線が、こちらを見上げていた。

 自分とさほど変わらないであろう年齢の、少女。射抜く瞳は薄暗く、力強く。


「………お前、死にてェの?」


 素朴な疑問だった。

 雨脚は止む気配を見せない。少女は薄い呼吸を繰り返しながら、小さく絞り出すように呟いた。


「―――しにたく、ない」


 沖田の口許が僅かに上がる。

 人の死を間近に感じるのも、人の生をこれほど近くに感じるのも、初めてだった。自らが手を差し伸べなければ、この少女はこのままあっさり死ぬ。それがはっきりと、手に取るようにわかるのだ。


「じゃあ生きろ」


 沖田の手が少女に差し伸べられる。

 自らに残った最後の力を振り絞って、少女が腕を真上にあげた。細く白く、心許ない腕の先。硬い肉刺だらけの手を握った沖田が、再び笑った。


「俺が生かしてやらァ」


 ―――沖田総悟、14歳。とある豪雨の夕暮れ。死の淵から少女を引きずりあげた日。後にその少女に孤独の淵から引きずりあげられることになろうとは、沖田も少女も、想像すらつかなかったのだ。


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