「こら梅!」

 びく、と肩を震わせて、幼い少女は動きを止める。
 兄が通う塾の道場の裏にある小さな山。しかし木々が生い茂るそこは、昼間だというのに薄暗い。

「ひとりでここに来てはいけないと言っただろう!」
「……うん」

 いつもなら、兄の稽古風景を外からじっと見つめている少女の姿が無いことに気が付いたのは、手合せ待ちの桂だった。ちょうど水を飲みに行こうとした時、はっと気づいて心当たりのある裏山へと向かった桂は、少女の姿を見るなりほっと胸をなでおろしたのだった。

 肩を落とし、見るからに気落ちしている少女の手には、小さな手ぬぐいにのせられた椿の花。大事そうに少女が抱えるそれを、桂は一瞥する。

「花を摘みたかったのか?」
「………うん」
「先生の畑の傍に野花がたくさん咲いてるじゃないか」
「ここじゃないと、椿はないの」
「椿?」
「兄上が、好きなの」

 懇願するような少女の瞳に、桂は気圧された。
 満開の季節を終えた椿が、ぽとりぽとりと地に落ちているのを少女は拾っていたのだ。足元を見つめ、自分が悪いことをしていると自覚しているその様子に、桂はそれ以上何も言うことはできなかった。

「………ほら。こっちのほうが、綺麗だぞ」

 おもむろに椿の花を拾い上げた桂が、少女のてのひらにそれを乗せる。ぱっと花開いたように笑った少女に、桂もつられて笑ってしまう。

 道場から聞こえる声を遠くに、二人は黙って花を拾った。

「ありがとう、ヅラちゃん」
「………ヅラじゃない、桂だ」

 小さな手と手が繋がれる。
 地平線に、夕陽が沈む頃。花椿が、いっそう強く香る季節。





●○●


 久しぶりの非番に、梅はぷらぷらと街を歩いていた。

 ようやく肩の傷も良くなり、退院したところで書類仕事が山のように残っていたのだ。もちろん直属の上司がそれらをさばく気はなかった為、代わりに梅が全てを処理したのだった。

 しかし今朝方、ノックも無しに梅の部屋へと入って来た沖田は、梅が制服ではなく着物姿であることを確認すると、途端に機嫌が悪くなったのである。沖田は自分が仕事の日に梅が非番だと、極端に機嫌が悪くなる。結果的に沖田の行動がいつも以上に荒くなる為、土方は常に出来るだけ二人同時に休みを取らせようと必死だった。

「………おみやげでも買って帰るか」

 休みと言えど、正直やりたいことも特になく。
 鉄子の営む刀鍛冶に足を運び、愛刀を打ち直してもらいに行っただけで一日が終わりかけている。しかし、今朝のあの様子を見るとまだへそを曲げていそうな上司を思い出し、梅はかぶき町のはずれにある和菓子屋へと足を向けていた。

 路地裏を抜けて、小路を曲がり。
 知る人ぞ知る名店は、沖田に拾われたばかりの頃、あんみつを食べに連れ出してくれた所だった。

「葛餅、みたらし、すあま、羊羹………」

 今日は何を買っていこうかと、独り言ちながら二つ目の角を曲がろうとしたときだった。

「いたぞ!あそこだ!」
「誰か真選組に連絡しろ!」
「待てェェ桂ァァ!!」

 突然頭上から聞こえた声に、梅は驚いて飛び跳ねる。脇道に並ぶ民家の上、奉行所の役人たちが十手を片手に駆けていた。

「………今日は洋菓子にしようかな」

 面倒事に巻き込まれたくはない。
 非番の日に限って面倒な轍を踏まされるのは梅の得意とするところだった。くるりと踵を返し、さっさと来た道を戻ろうとした時。

 突如路地から飛び出して来た腕が、梅の口許を塞ぐ。そしてそのまま、廃屋の蔵に引きずり込まれてしまったのだった。
 抵抗しようと思えば出来たかもしれない。しかし、腕に捕まった瞬間、はらりと青い着流しの色と、艶やかな長い髪が翻ったのが視界に入ったのだ。

「いやぁ、危ないところだったな」

 わざとらしく額の汗をぬぐった桂の目の前には、真顔でこちらを振り返る梅の顔。桂は梅の肩にぽん、と手を置き言い放った。

「大きくなったな」
「どうも」
「うォォオォオオ!??」

 ジャキン、と梅の懐あたりで刃物が抜かれる音がしたのもつかの間。桂の耳横ぎりぎりに刺さった小刀に、蔵内で桂の絶叫が響き渡った。

「何をする梅!!乱心したか!!」
「あー、そうですそうです。気狂っちゃったんでぶった斬っていいですか」
「全然目の色普通そうだけど!!瞳孔は開いちゃってるが!!」
「あー正気失いそう、今にも正気失いそう。その手に持ってる和菓子屋の紙袋の中身見してくれなきゃ正気失いそう」

 梅の視線の先にあるのは、桂の左手に握られた和菓子屋の紙袋だった。そもそも梅が向かっていたはずの和菓子屋だ。どこぞのお尋ね者のせいでお預けになったわけだが。

「ウマァ〜」
「………エリザベスへの土産が」

 みたらし団子を口いっぱいに詰め込む梅の隣で、桂は頭を抱えながらしゃがみこんでいた。しかしあのままでは蔵内が真っ赤に染まるだけだった。ついでに言ったらお尋ね者の侍の死体が一体転がるだけだっただろう。

「お久しぶりですね。全然久しぶりな感じしませんけど」
「ああ、俺もだ。まるで一か月ぶりくらいの気分だ」
「まぁ実際それくらいぶりですもんね」
「………知ってたのか」
「看護婦さんが、天パとロン毛が運んできたって教えてくれましたもん」

 銀時は一度様子を見に来たが、桂はとうとう来なかった。
 それもそのはず、梅のまわりには真選組が常時ついていたのだ。沖田や山崎の姿が常に見られた為、桂は近寄れなかったのである。

「すっかり良くなったみたいだな」
「おかげさまで」

 紅桜の一件で、顔を合わせたわけではない。
 二人の間に過ぎる沈黙は、気まずさと言うよりも、今日までに至る日々の長さを物語っていた。

 だが、梅自身も一度桂とちゃんと話したかった。
 自分は今、ちゃんと生きていること。前を向いていること。地に足をつけて、進んでいること。

「………っあの」
「この四年間」

 梅が口を開いた時、同時に桂も切り出した。梅は口を噤んで、桂の言葉を待った。

「お前の姿は時々見かけていた。ちゃんとやってることも、知っている。俺から会いにいかなかったのは、単純に立場の問題だ。だが今日は、それも関係無いようだしな」

 隊服を着ていない梅をみつけて、ここまで巻き込んだのは桂の譲歩だった。今までろくに話もせず四年と言う月日を過ごしたのだ。今日くらい無理やりこうして話す場を設けても、罰は当たらないと。
 
「………桂さん」
「なんだ」
「お団子、もう一個ください」
「遠慮なしか貴様」

 言った傍から袋の中身を漁り、団子を取り出し口に放り込んだ梅をみて、桂はおおきく溜息する。頬袋を動かしながら咀嚼するその姿に、幼い面影が横顔に映り、思わず桂の頬が緩んでしまう。

「お前は昔から、聞き分けがいいんだか悪いんだか」
「聞き分け悪いと思いますよ」
「良さそうに見えて、悪いよな」
「肯定されると腹立ちます」
「そういうところだ」

 その昔、裏山に梅を捜しに行った時も。
 一人で来てはいけないと、何度も釘を刺したにも関わらず、兄の為に花を拾いに来ていた梅を見て思ったのだ。そこには梅の兄の姿も重なっていた。

 本当に欲しいものに対しての手段だけは、絶対に選ばない。

「………梅」
「はい」
「あ………その、………あのだな、」

 もごもごと口籠りながら、桂は明後日の方向を向く。その様子に梅は眉を顰め、顔を覗き込もうとしたときだった。


「避妊は………しっかりな。順番は………守るんだぞ」
「何勘違いしてんですか」
「痛ァァアア!!!」

 手近にあった木箱を桂の股間にヒットさせると、途端桂は息子を手で押さえながら悶え横たわる。構わず団子を咀嚼する梅に、涙目の桂が叫んだ。

「き、貴様なんてことを………!小太郎ジュニアが機能しなくなったらどうしてくれる!!」
「どうせ使い道ないんだからいいでしょ」
「やめろ!!皆まで言うな!!というより身内からのありがたい進言だというのに………!」
「だからァ、勘違いも大概にしてくれますか。私と隊長はそういう関係じゃないですから」
「え?別に俺お前と沖田のことだって言ってないけどォ?勘違いしてるのそっちじゃな〜い?ていうか何そういう関係って?まァ無理もないかァお前くらいの年齢は耳年増゛ァァッァアア!!」

 二発目のクリーンヒットをお見舞いすると、桂はそのまま動かなくなった。団子を食べ終えた梅はげっぷをひとつすると、そのまま立ち上がる。少し耳が赤くなっていることを、屍の桂は見逃さなかった。

「………梅」
「まだ生きてたんですか」

 ゴロン、と桂はうつ伏せのままその名を呼んだ。


「………素直になれよ」


 桂の言葉に、梅はぴくりと肩が動いた。
 昔、兄と喧嘩した時には必ず桂に言われていた言葉だった。

「奴もお前も………昔から、大事な時に素直じゃないことがある。自分の欲には、嫌と言うほど素直だと言うに」

 桂の一言は、今の梅の心には痛いほど突き刺さった。
 病室で唇を奪われたあの日から、沖田を死ぬほど意識してしまっていることは事実だった。しかし、それを認めてしまえば辛くなる。向こうが何も思っていないことを知っているからこそ、辛くなる。

 桂に見抜かれたことが癪だったが、それでもなんとなく、悶々としていた胸の内が晴れた気がした。素直になることを実行すれば、楽になれる。梅や銀時に選択肢をひとつふたつと増やすのは、昔から桂の役目だったのだ。

 おもむろに立ち上がった梅は、そのまま桂に背を向ける。幾分と大きくなったその背中に、桂は時の流れを実感する。


「………桂さん」
「何だ」
「………次は捕まえますからね」


 扉を開き、そして静かにその場を後にする。
 桂の口許は笑っていた。梅の胸の内がほころび始めていた。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -