長い長い、夢を見た。
 
 茜色の空の下、ビー玉を弾いておはじきにぶつける。やがて冷たい風が吹き抜けて、自分が一人だと言うことに気が付いて。小さなてのひらが、こぼれ落ちる涙を何度も何度もすくい上げる。

 そのうちに、誰かに手を取られた。
 あたたかい温もりに顔を上げると、誰かが笑っていた。

 自分がどこにいるのかもわからないまま、ただ帰れることだけを知っていた。



『梅、』



 目を開けると、視界は白い天井だった。
 何度か瞬きをするうちに、脳がようやく状況に追いつき出す。梅は一度目を閉じた後、目玉を左へ移動させ、横目に入る何かを見る。パイプ椅子に座り、いつものアイマスクを装着した沖田がいた。

「………ん、」

 重たい身体を起こそうと身じろぎすると、ベッドのスプリングが軋んだ。その音で目を覚ました沖田は、アイマスクをずり上げる。

「………」
「………おはようございます」

 本来ならば沖田がかけてもおかしくない言葉を、梅が呟く。この三日間、目を覚まさなかったのは梅のほうなのだ。
 この三日間、病院で寝泊まりをした沖田の眼の下には、うっすらと黒いクマ。梅はばつが悪くなり、寝転んでいた体を起き上がらせるべく腹筋に力を入れる。

「痛っ!」

 沖田がその左肩を手のひらで軽く押した。激痛が梅の全身を駆け巡る。

「@俺に土下座した後嬲り殺される、A屯所戻って拷問死する」
「Bこの場で土下座して生きのびる、で………」
「C無抵抗のまま絞め殺される、で」
「選択肢ィィイイ!!!」

 梅の首を片手でつかんだ沖田に、必死に梅も身を捩って抵抗する。沖田の目は笑っていなかった。ブチギレていることを悟る前に、命の危険を覚えていた。

「ごめんなさい」
「ごめんで済んだらお前いらねェんでさァ」
「おっしゃる通りです」
「俺ァお前が勝手に逃げ出さねェように牢に繋いだんでィ。なのに何さくさく逃げ出してんの?俺の意図とか読めねーの?お前何年俺の部下やってんの?」
「返す言葉もございません………」

 紅桜の一件は、勿論真選組の耳にも届いていた。
 過激派攘夷浪士、鬼兵隊総督高杉晋助による立案と実行であったことも、それが失敗に終わったことも、とあるお尋ね者と一般人数名による介入があったことも。

 そして、


「神妙にお縄につきなせェや、高杉梅さんよ」

 
 ―――現場に梅がいたことも。


「………」
「何でィその顔。勘弁してくだせェ、元鬼兵隊の死番さん」
「………」
「聞いてんのかブス」
「腕一本で勘弁してください」

 左腕を差し出した梅に、沖田は今にも爆笑したい衝動を無理やり抑え込んだ。

「やめてくれる、俺そういう賄賂文化に染まってないんで。清く正しい正義でありたいんで」
「いやもう既に腕一本の賄賂っておかしくないですか」
「賄賂で話つけねェんなら、あるよな。それなりの誠意ってもんが」
「じゃああの………身体で払うんで………」
「それだとこっちが金払ってもらわなきゃ割に合わねェだろィ」
「そこまで言いますぅ!?」

 この人本当に人の心ある!?と喚く梅だったが、それを制するように病室の扉が開く。がらり、その瞬間パイプベッドに飛び込んできたのは馬鹿でかいゴリラだった。

「梅ちゃァァァん!!!起きたのかァァァア!!!」
「ごふゥゥゥウウウウ!!!!」
「よかった、本当によかった!!俺ァもう目を覚まさねェのかと………!!!」
「落ち着け近藤さん。再び永遠の眠りにつきかけてんぞ」

 ずりずりと剃りたてのヒゲ痕をこすりつける近藤に、梅のヒットポイントはみるみるうちにすり減っていく。土方によって無理やりひっぺがされたあとは、左肩に巻かれた包帯にじわじわと血が滲み始めていた。

「こ、こんな勢揃いで私をしょっぴきに……」
「んなわけねェだろ。そこまで暇じゃねェよ」

 すぐに逮捕状の一つでも出てくるのかと思っていた梅に、ベッドサイドに座りあろうことか煙草をふかし始めた土方は言った。土方があえて喫煙ルームの個室を取ったのは、最初からこれが目的だったのだ。

「お前の生立ちはあの糖尿侍に洗いざらい吐かせた。しょっぴかねェのを対価にな」
「………えっ」
「まァ、ほぼ聞き出せてねェと言ってもいいでしょう。土方さんの根気負けでさァ」
「………うっせ、どうせ誰が聞いても同じだろうが」
「そうだったんですね」

 唇を尖らせる土方を他所に、梅は銀時が口を割らなかったことに驚く。自分の罪を軽くする為なら仲間の黒歴史から桂の住所まで教えそうなものだが。

「万事屋の旦那も、ずいぶん譲歩してたけどね。聞き出せたのは、梅ちゃんが鬼兵隊だったことと、その中でも斬り込み隊を率いてた“死番”と呼ばれるポジションだったこと、あとは梅ちゃんのお兄さんが………あの高杉晋助だったってことくらいだよ………」
「ザキさん、いたんですね………」
「そこォォォオオ!?」

 何があったまでは語らなかった銀時の気持ちは、なんとなく察しがついた。話すべきときがきたら、自分で話すだろうとでも思ったのだろう。そのほうが梅にとっても、真選組にとっても良い結果になることも、含めて。

「このことは、俺達しか知らない。お上は梅ちゃんが今回の件に関与してたことも知らないだろう」

 近藤は少し気難しそうな表情をした後で、梅に告げた。その言葉の中に、どれだけの折り合いをつけたのかは計り知れない。
 
「よってお前は不問でィ」
「そ、そんな………それじゃあ、私だけが得してます」
「面倒くせェな、損してねェならいいだろうが。素直に受け入れろ、そんで死ぬほど働け。妙な真似したらお前の上司が直々に斬ってくれんだろ。なんせ“責任もって飼って”るのは、お前の上司だからな」

 その昔、土方に向かって幼い沖田が切った啖呵をそのまま繰り返すと、土方は白煙を吐き出して口許を緩める。当の本人は、素知らぬ顔で窓の外を眺めていた。

「そういうことなんで。動けるようになったら死ぬほど働けよ。俺のかわりに」
「う゛っ………」

 沖田はそう言うと、どっかりと梅のベッドに寝転んだ。座る梅の太ももあたりに頭を乗せ、アイマスクを下げて再び眠る体勢に入る。いつもならここで土方からの『寝てんじゃねェェ!!』という怒号が飛ぶところだが、今日は違った。

「また気が向いたら来てやる。養生しろよ」
「明日メロン持って来てあげるね!とっつぁんからメロンもらったから!」
「何かあったらすぐ連絡するんだよ」
「は、ハイ………」

 そう告げてさっさと病室を出ていく三人。沖田の行動すら特に咎めず、帰っていく。拍子抜けした梅だけが、いつまでも閉まった扉を見つめていた。

「………隊長」

 寝息が聞こえないあたり、まだ沖田は眠りに落ちてはいないようだった。再び布団の中へと身体を戻す。寝転がったまま自分を呼ぶ梅の声に、沖田は無言を貫いた。

「私は………隊長の為に生きてます。隊長に拾われたこの命は、死ぬまで隊長の物ですから」

 まるで殺し文句だと梅は自分で言いながらもそう思った。
 だがそれは、沖田を殺すのではない。自分で自分の首を絞める、殺し文句。拾われたあの日から続く、鎖の掛かった約束。


「………なのにあの瞬間、殺されるならそれでも構わないと思ってしまった」


 この男の手で死ぬのなら、それも本望だと。
 苦しんできたのは自分だけではない。兄を苦しめ続けてきたのも自分だということを、梅は知っていた。

「私はずるいんです。業が深いのは、それだけ欲深い証拠なんですよ。隊長の為だけに生きたいのに、あの人を諦めることもできなかった」

 涙はとうに枯れていた。
 淡々と紡ぐ梅の言葉を、沖田は黙って聞いていた。

「こんなどうしようもない私を………それでも使ってくれますか」

 がばりと冲田が起き上がる。
 寝転ぶ梅の身体に跨り、梅の首筋には鈍く光る刀が当てられた。それは沖田の得物ではなく、梅が大事にしてきた兄の刀だった。

「死んだら殺す」

 視界を占める沖田の顔は、冷ややかで。
 それでも確かに、繋がっている何かを感じ取る。

 ずっと、自分の心は泣いていたのかもしれない。気付かないうちに、誰かに縋りたかっただけなのか。兄が楽になれば、自分も楽になれると勘違いをしていた。でも、そうではなかった。憎しみと怒りの中で変わりつつある兄を、この手で元に戻したいとさえ思ってしまった。


「お前を殺んのは、俺でィ」


 梅の目から大きな粒となった涙が頬を伝う。白いシーツに滲んでいく。沖田は刀を下ろさないまま、梅の唇を塞いだ。

「んっ……っう…………」

 ようやく見つけた心の寄せる場所。それを見つけた獣と、心に住まう常闇に追われ続ける悲しい獣。

「………しょっぺェ」

 傷を慰め合う獣がふたり。嗚咽と唇を交わし合う音が混ざり合う病室で、梅の後悔がひとつ消えた日。

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