「俺は今疲れてる」
「見ればわかります」
「飯をすくい上げる体力もねェ。箸持つ力すら」
「いやそれは言い過ぎでしょ………」
「あー」
「なんで口開けてるんですか」
「あー」
「口を開けて待たない!そんなことしても食べさせませんよ」
「昨日熱出した部下の代わりに夜番出たの誰だったかなァ〜あれ、俺じゃなかったっけェ?忘れちゃったなァ〜」
「最初主菜からでいいですか?」
「苦しゅうない」

 ふんぞり返って目を瞑り、口を開けて物が運ばれてくるのを待っているのは泣く子も気を失う一番隊隊長だ。その横でせっせと今日の日替わりランチのトンカツを切り分け、丁寧に上司の口許へ運ぶのは泣く子も見てみぬふりをする一番隊副隊長だった。

 事の発端は昨晩のこと。
 風邪気味だった梅が突発的に熱を出し、夜番の夜間警備作業に出れなくなったことだった。ちょうどその日は他の隊士らも出かけていたり他の仕事が入ってる等で出れるのが隊長である沖田のみだった為、渋々沖田が半分キレながら警備にあたったのだ。そして先程、仕事を終えて戻って来た沖田を、一晩ぐっすり眠って全快した梅が出迎えたのだが。

 昨夜の借りは今日のうちにとでも思ったのか、一日俺の全ての人間生活を補助しろという無茶な業務命令のもと、食事すら口を開けて待っている鯉と化したのである。

「あの二人って付き合ってんですか………?」
「馬鹿やめとけ、それはこの真選組内において局中法度を犯すよりもタブーだとされてんだ」
「いやだってあんな………」

 一番隊の隊長と副隊長はデキているのかデキていないのか。

 見る限りでは隊長が副隊長を高圧的にイジり倒しているだけで、恋人同士特有の甘い雰囲気は一切ない。仕事に関してもそうだった。割り切り方が異常、一切の容赦はなく、任務完了の為に手段は択ばない―――いずれにせよ、敵に回してはいけない二人という認識に違いは無いのだが。

「でも沖田隊長って、ずいぶん東雲さんに甘くないですか?熱くらいで代わりに出るなんて………なんか色々贔屓してるようにしか思えねェっすよ」
「お前………」
「若いな………」

 新人隊士―――菊川はイマイチこの真選組の組織体制に納得がいっていなかった。
 入隊試験をクリアし、ようやく任務に当たれるようになったのはつい先日のこと。腕を見込まれ一番隊に配属されたことは、菊川にとっては至極当然、出世コースの第一通過点でしかなかった。

 彼の放った一言に、武州からの付き合いである古参隊士達は目を細めて頷き合う。

「……まァ、隊士と言えど女だってことはわかってるんで。そこまで言う気は無いっす」
「お前確か一番隊だったか?」
「ハイ。柳生の門下でした」
「聞いてねェよ馬鹿」
「いでっ」
 
 小突かれた菊川は、後頭部を押さえながら口を尖らせる。沖田と梅とそう変わらない年齢の彼は、どうやらまだまだ若気の至りの真っ最中なようで。


「だったらすぐにわかるだろうさ」

 
 にやりと笑った先輩隊士の一言に、益々菊川の表情は渋くなる。げらげらと笑い声が響く食堂、すでに沖田と梅の姿はない。彼にとって、今夜は配属されて初めての討ち入りだった。








「――目的は雄派魅格党の殲滅。生死は問わねェ、だが頭と数人は聴取の為に生かしておく必要がある。まァそこは俺が判断するんで、好きにやりなせェ」

 旅籠、新月屋の裏、三十メートル手前。

 本日会合が行われている攘夷党の幹部会は、総勢三十名。一番隊は十五名の出動となった。菊川は手に汗が滲むのを感じるのと同時、湧きあがる高揚感に包まれていた。ようやく自分の腕を見せる時が来た、と。

「入り口は母屋側と離れ側の二つ。見張りも当然両方についてるんで――――あ、旅籠の従業員は?」
「退避完了の連絡が来てます」
「じゃ、午後九時半実行で。梅、お前どっち行きてェ」
「母屋側で」
「………チッ」

 沖田は小さく舌打ちすると、じろりと梅を横目に睨んだ。

 今回の討ち入りに関して、土方から事前に情報をいれとけと言われたのが功を奏した。離れ側はやたらと建物の造りと通り道が入り組んでいて、戦闘には向かない。どちらかというと“面倒くさい”方であることを梅は知っていたのである。

「菊川」
「ハイッ」

 菊川の背筋が伸びた。沖田は彼を一瞥すると、梅と交互に見遣った。

「コイツについていきなせェ」
「え………あ、ハイ!」
「残りは半分に分かれて進むっつーことで」

 菊川は自分より幾分も下にある梅の顔を見遣った。梅は一度だけ菊川を見ると、すぐに沖田とは反対方向へと歩き出す。切れかかった水銀灯がちかちかと点滅していた。本来なら従業員が中にいる状態で討ち入りが始まる。しかし今回は事前に双方合意の下捜査協力があったのだ。初めてにしてはやりやすいだろうと、梅は内心安堵していた。

「菊川くん」
「………はい」
「不本意だろうけど、私から離れないでください」
「………いえ、そんなことは」

 自分の斜め前を歩く、少女と言ってもおかしくない見目姿。菊川は怪訝そうな表情を浮かべつつも、悟られないようすぐに気を引き締めた。

「後のメンバーは適当に。死なないように」
「はい」
「何かあったらすぐ連絡で―――四十分後に、またここで」

 そう言って、梅は歩みを止めた。門扉をするりと開ける。目を剥いたのは、真選組の隊服が並ぶ光景を目にした見張り役の隊士だった。

「御用改めであるー真選――――」
「っらァァアア!!」

 雄叫びと共に、まだ口上を述べている途中の梅に浪士の一人が斬りかかる。振り下ろされた一太刀を躱し、引き抜いた刀、逆手に持ち替えたその剣先を浪士の心臓に一突き。叫ぶ暇すら与えず、一瞬にして玄関口は静まり返る。

「神妙にお縄についてくださーい」

 引き抜かれた刀と、ずるりと落ちていく浪士の身体。

 それを皮切りに、戦闘が始まる。雄叫びと叫び声と断末魔が交じり合う。建物を隔てた向こう側でも、戦闘が始まっているのがわかった。菊川は手の震えがおさまらない。人を斬り落とす感覚が指先にじわじわと浸透していく。

「菊川くん」
「………」
「菊川くーん」
「………っは、はい!」
「二階行きますよ」

 人差し指を天井へ向けて、階段へと向かう梅。二階でもまた、騒ぎを聞きつけた浪士たちが戦闘の準備に入っていた。
 一気に階段を駆け上がろうとしたときだった。

「うォらァァアア!!」

 飛び降りるようにして斬りかかって来た浪士の腹部に、梅の刀の柄が突き立てられる。一瞬にして気を失った浪士を投げ捨てた梅は、前を向いたまま菊川に声を掛けた。


「大丈夫?」


 その一言が、菊川のプライドを踏みつける。

 ―――たかが女に心配されているのも、気を遣われているのも気に食わない。柳生で学んできた剣術は確かだ。新人の中で誰より腕が立つ。それを見込まれて一番隊に配属された。すべては沖田総悟に認められるため――――

「―――あ」

 菊川は前に出た。

 梅が小さく声を上げる。すぐ傍で、沖田が幹部格を数名縛りあげていた。菊川は一心不乱に刀を振り上げ、斬り倒した。叫びにもならない叫びは、初めて目の当たりにする死の匂いに抗うようだった。

 しかし、彼の背後に刺客が立った。その殺気にすら気づかない菊川は、なお刀を振りかざしていた。菊川が自分の首を狙う存在に気づいた時、既にその刀は振り下ろされていた。

 ――ああ、死ぬのか。

 声にもならなかった。ただ、てのひらの汗が引いていくのがわかった。




「――――………っぶないなぁ!」

 鬼の形相で斬りかかって来ていたはずの浪士が、目の前で倒れる。息を乱した梅が、真っ赤に返り血を浴びて立っていた。固まったまま倒れている浪士の背中を斬り破った梅の隊服は、先程とは変わってスカーフまで真っ赤に染まっている。

「もー!死んじゃいますよ!」
「っ、………あ、あ………」

 菊川は喉が震えて、声を出すことすらできなくなっていた。

 幹部の捕縛完了、その他浪士の掃討が完了した沖田が、刀をしまい近づいてくる。べったりと赤く染まった梅のスカーフを見て、『きたねェ』とでも言いたげな表情を浮かべた。

「慌てると無理ですねぇ、汚れないようにやるの」
「俺ァ慌てても出来るけどな」
「……どうせ私の腕が悪いですよぉ」
「あーあー、こぼれてまさァ」

 梅の手に握られていた刀を取り上げて、沖田は言った。乱暴に扱うと刃毀れも早ェと嫌味をひとつ。梅は頬を膨らませながら、『どうせ頓珍漢剣法ですよぉ』と言ってのけた。

 窓の外では、赤いサイレンが光っている。今日の任務はこれにて完了。沖田は梅の腰にささった鞘へと刀を戻すと、踵を返した。


「じゃ、撤収で」


 撤収――まるで自分が言われているような気分の中、菊川は不甲斐なさを恨んだ。そしてこの夜から、一切の愚痴も自らの経歴を謳うことも、無くなったのである。






「どうだったよ、梅ちゃん」

 にやにやとしまりのない口許を正す気もないまま、古参隊士は食事を摂っていた菊川の真隣に座るなりそう言った。既に菊川が梅に助けられた件については屯所中に広まっており、それを受けた菊川が自らの考えを改めたということも周知の事実である。

「からかわないでくださいよ」
「梅ちゃんはなんにも言ってなかったぞ。俺だったら触れ回るけどなァ」
「………大したことないんだと思いますよ、あの人にとっては」

 人一人生かすのも、殺すのも。

 あの時菊川が見た梅の瞳は、いつもの明るく澄んだ色をしていなかった。あの日腰を抜かした自分にとって、人を斬る眼は慣れそうにない―――菊川は今も思い出すと背筋が震えた。

「まぁ、そのうち俺が追い抜きますけどね」
「言うねェ〜!まァもともとお前も腕は立つしなァ」
「そうですね。東雲副隊長は小柄ですし。死角になる部分が少ないだけで――――」
「菊川くーん」
「っ、ハイ」

 不意に食堂の端から声がかかる。間延びした声の方向へと顔を向ければ、ひらひらと手を振る女が一人。


「午後の手合せ、私がやることになったからー。よろしくお願いしまぁす」


 原因不明の菊川の震えは、しばらく止まりそうにない。

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