「こんな夜更けをいたいけな少女ひとりで歩くこと自体罪だわ」 ぼそぼそと文句を呟きながら、夜更けの近いかぶき町を歩く梅の機嫌は一向に直る気配を見せなかった。一晩中騒がしいかぶき町の中心街を抜けて数十分。歩けば歩くほど人気はなくなっていく。辻斬りというよりも幽霊のほうが出そうな雰囲気の路地を突き進みながら、梅はポケットに手を突っ込んだままぶすくれていた。 不意に、視線と気配が背に走る。 刀を振るってきた長年の勘とでも言うのだろうか。一抹の殺気が漏れ出たのを見逃さず、梅は足を止める。 数メートル先にある電柱の影が、ぼんやりと浮かぶ。―――裏に人がいる。梅は気配を殺しながら歩みを進めた。刀の鍔に親指を引っ掛ける。 「(こちらに気づいてない?)」 一向に動く気配を見せない影に、梅は眉をひそめた。一気に暴いてしまおうと、足を踏み切ったその時だった。 「ゲロボシャァァァアア!!!」 きらきらとした飛沫が宙を舞い、梅の真横ギリギリ数センチ先を通り過ぎていった。あまりにも突然の出来事に、思考回路は追いつかず、立ち尽くす梅の目の前には電柱に手をつき吐き散らかす天パ侍がいた。『んぁ?』とこちらを見上げる瞳はうつろで、未だ状況を把握できていないらしい。 チャキ、と梅の親指が鍔を押し上げた瞬間、銀時は『待て待て待て待て!!!』と大声を上げた。 「何無言でたたっ斬ろうとしてんだおめーは!!」 「暴漢っぽかったから」 「暴漢“っぽい”で斬っていいの!?どんだけザルなんだよお前の判断基準!!」 「怖かったし」 「お前の方が末恐ろしいわ!!今の顔鏡で見てみろ!!鬼が映ってっから!!」 すっかり今ので酒が抜けたらしい銀時は、大きく溜息をつきながらその場に項垂れた。やがておもむろに立ち上がると、吐しゃ物から数歩下がったところで腰を下ろした。 「何やってんの銀ちゃんこんなところで」 「できればファーストコンタクトでそれ聞いてほしかったよね」 「ごめんごめん。職業病かな」 「いや前にもこんなことあった気がするわ……」 すっかり疲れ切っている銀時の目の前に立ち、梅はきょろきょろと辺りを見回しながら言った。 「この辺、辻斬り出るから危ないよ」 「知ってるよ。つーか探してたんだよ辻斬りを」 「えっ、何で?仕事?」 銀時がどのような仕事をしているかは、梅も知っていた。再会したあの日、パトカーで万事屋まで送り届けた梅は、そのまま銀時に連れられるがまま家に上がり、神楽と新八と定春を交えて鍋を囲んだのだ。散々銀時の元カノかと神楽に突っ込まれた梅だったが、『元カノだったら銀ちゃん犯罪者になっちゃうから』と否定し続けるほかなかった。 「――――ヅラがいなくなった」 ヅラ。 懐かしい響きに、耳が震えた。風に靡く黒髪の長髪が脳裏を過る。幼かったあの頃、理由も無く泣いた日には黙って背を撫でてくれた大きなてのひらが思い起こされる。桂小太郎―――真選組に入ってからと言うもの、あえて彼の大捕り物には参加しなかった。目の前にいたとて、捕まえられる自信がなかった。 「意味ねェか、お前商売敵だもんな」 「いや、私は桂さんの捕り物に居合わせたことないし。あったとしても、静かに逃げてたし」 「……また職権濫用?お前そのうち首飛ぶんじゃねェ?」 「まさか。ちゃんと会って話してから捕まえようと思ってたよ」 桂もおそらく、自分の存在を知っている。 梅はそう確信していた。今は穏健派と言われる攘夷党だが、その頭を務める桂が一番の敵である真選組の隊士事情を知らないわけがない。 「桂さんいなくなったのって―――」 「本当につい最近だよ。だが辻斬りにやられるタマとも思えねェ。何かに巻き込まれてる可能性もある。ついでに言うと、とある筋からも依頼が入ってな」 ―――梅。 立ち上がった銀時が、いつになく精悍な顔つきで梅を見下ろした。 「聞きてェか」 「まだ何も聞いてないのに聞きたいか、なんて。ちょっと卑怯じゃない?」 「だな。けどな、お前に話さなくてもいいかとも思う」 「………やっぱりちょっとずる賢さに拍車かかってるよ、銀ちゃん」 あの男に関して言えば一縷の望みは梅だった。銀時はそう思ってきた。 今までも、そしてこれからも。 だが前に進み始めた梅を、もう一度自分達のところまで引き戻す必要があるのか。全て忘れて、新しい自分を見つけていくのもいいだろう。それが、梅の一番の幸せだと言うのなら。 「……あァー、悪かった。やっぱいいわ」 がしがしと頭をかき、銀時はくるりと踵を返した。まだ夜は深く続いている。 「忘れろ、いずれにせよ真選組一番隊副隊長東雲梅ちゃんには言えねェ話だ」 その背中を見据えながら、梅はぐっとこぶしを握った。銀時が自分の身を案じているのも、相変わらず自己犠牲の精神で物事を解決しようとすることも、手に取るように見えてしまう。 「――――高杉梅ちゃんになら言える話?」 元攘夷浪士の。 そう付け加えた梅に、銀時は首を横に向け、ちらりと梅に視線をやる。首をかしげながら、梅は黙って返答を待っていた。今日何度目からもわからない銀時の大きな溜息が、人気のない路地に消えていく。 「………そうだな。元攘夷浪士で天下の大罪人、高杉晋助の妹になら言える話だな」 歯車はゆっくりと回り出していた。 丸い月に雲がかかる。真っ暗になった空の下、梅は己が纏う隊服を、ぎゅっと握りしめた。 |