大きくなったお腹を持ち上げれば、よっこらせと声が出る。
 初夏の香りはかぶき町じゅうを駆け巡って、少し古くなった真選組屯所の離れにも届いていた。うちわで適当に仰ぎながら、左手で自分のお腹をさする。もうずいぶんやわくなってしまった自分の指先がするりと、絞りの浴衣の結い目をなぞった。

「なまえちゃん」

 夕焼けが濃青に染まった空の下、縁側の隅で涼んでいた時だった。私の名前を呼んでひょっこりと現れたのはザキさんだった。今朝も昨日に引き続き少しバテてしまっていたから、初めての会話だ。ザキさんは背中に隠していたものをぱっと取り出すと、私の前に開けて見せた。

「笹の葉!」
「そう。昨日の七夕まつりで余ったやつ。なまえちゃん結局行けなかったから」
「わざわざ貰って帰って来てくれたんですか?」
「隊長がね、どうせなら一束持って帰ってやれって。気分だけでも……と思ったんだけど」
「そうだったんですね」

 ありがとうございます、とお礼を言って見せれば、ザキさんは少し驚いたように目を丸くした。

「なんか……なまえちゃん少し大人になったよね」
「何言ってんですか。もうすぐ自分の子が出てくるってのにいつまでも子どもじゃいられませんよ」
「まぁそうやって全く謙遜しないあたりまだまだ子ども感あるけどさ」

 呆れたような表情を見せたザキさんだったけど、それもまた一瞬だった。持ってきた笹の葉を私に渡すと、優しく微笑んで見せる。
 七夕まつり―――昨日かぶき町で行われたそれは、花火大会を兼ねた大きなお祭りだったのだ。真選組もまた警護の一環で駆り出されたが、空き時間がそれなりにあったので隊長と一緒に行くつもりだったのだ。けれど結局、私が久しぶりの後期つわりと呼ばれる臨月間近に来るつわりに苦しんでしまい無しとなり。隊長は警護だけを終えてまっすぐ帰って来てくれた。申し訳なさと悔しさで色々と悲しくなったが、「一年待て」と言ってもらえたので気が晴れた。

「あ、やばい。副長に呼ばれてるんだった」
「相変わらずバタバタですねザキさん」
「そうだよもう、なまえちゃんが抜けてから一番隊がやらかした後の残処理担当俺になっちゃったんだから」
「大変ご迷惑をおかけして」
「全くもって棒読みなのどうにかして」

 少しやつれたザキさんは、そのまま「またね」と言ってぱたぱたと屯所の方へと駆けて行った。残された笹の葉と私と、お腹の子。慌ただしい空間から一抜けした私にとって、今じゃあの日々は嘘のようだ。きっともう一ヶ月もすれば別の意味で戦争になるんだろうけれど、だからこそこの残り少ないまったりとした時間を有意義に過ごしたい。……もっと隊長とふたりで居られる時間も、作れればいいんだけど。

 それなりに隊長も忙しいし、私が抜けたことで出来た穴を埋めるため、それなりに奔走してくれているようだった。帰りも遅いし、前ほど暴走もしない。隊長も大人になったんだなと思いつつ、少し寂しさもある。二人でバカ騒ぎしながら刀を振り回す日々を、時々こうして思い返すと、より一層。

 ―――最後に兄の顔を見たあの日から、私の傍に刀は無い。私は既に、自分を守るために戦う術を手離したのだ。

「………今日は、君のお父上殿の誕生日なんだよぉ」

 不意にお腹の中へと語り掛けてみせる。ぽこ、と胎動を感じて、私はへらりと破顔した。

「おめでとうって、まだ言ってあげてないな。誕生日だってこと、気付いてんのかな」

 新しい命が宿ってから、隊長の最優先は私になった。
 今までだったら想像もつかない。なんだかんだで優しいし、なんだかんだで愛のある人ではあったけど、目に見えて大事にされるくすぐったさを知ってしまった。ひとりで出歩かせなかったり、ひとりで買い物に行かせなかったり。何より、私がつわりで辛い時期は厠にさえついてってくれたほど。

 今までの扱いと打って変わったのには驚いたけれど、それだけ本当は想ってくれていたんだと気付くきっかけにもなった。―――同時に、自分がもう自分だけのものではなくなったことも実感したのだ。

 二度目の胎動に応えるように、私も蹴られた部分をさすってみる。そんなにお父さんの話が聞きたいんならはやく出といで、なんて思いながら。 
 
「今日も無事に帰ってきますように。……七夕終わっちゃってるけど、笹の葉あるからギリギリセーフだよね」
「いやアウトだろィ」

 間接照明ひとつついただけの離れの廊下。
 隊長は見慣れた隊服姿のまま立っていた。離れで生活するようになってから、オンとオフをはっきりさせたくなったのか屯所の方で着替えを済ませるようになった隊長の隊服姿は、正直久しぶりに見る。仕事姿もめっきり見なくなったから、今までは毎日のように目にしていた姿も今じゃレア中のレア。ウルトラレアだ。

「びっくりしたぁ。気配消して立たないでくださいよ」
「消してなんかねェよ、お前の勘が利かなくなっただけでィ」
「……いいんですぅ、もう現役じゃないですもん」

 私の隣にストンと腰掛けた隊長は、私からうちわを奪ってぱたぱたと自分を仰ぎはじめた。人差し指と親指でスカーフをつまむと、ぐいぐい引っ張って首元を緩める。脱ぎ捨てたジャケットを放り投げて、ワイシャツをまくりあげていた。毎日毎日、暑苦しい制服を見に纏う彼らは本当に凄い。

「具合は」
「もうすっかりいいですよ。今日がお祭りだったらよかったのになぁ」
「すげェ人口密度だった。ありゃ持って三十分だな」
「そんなに凄かったんですね」

 がっかりさせないように、少し誇張して言ってくれたのはわかっていた。毎年七夕まつりはそんなに屋台が出ないから人がまばらなのだ。だから行けると思っていたんだけども。タイミングが悪かった、それ以外責める理由もない。

「来月の花火は、裏土手から見えまさァ」
「そうですね。でもその時既に生まれてたら、音だけですかねぇ」
「そん時ゃ中庭で手持ち花火でいいだろィ」
「優しいですね、隊長」
「何言ってんでィ、俺が優しくなかった時なんかあったかよ」

 あぐらをかいたまま真顔で言ってのけた隊長に、私は思わず吹き出した。笑ったら負けな気もしたけど、さすがに笑ってしまうだろう。あの頃あれだけ人を苛め抜いといて。

「あ、そうだ」
「どうも」
「………………まだ何も言ってないんですけど」
「誕生日おめでとうございます、今日何回聞いたかわかんねェ」

 隊長は怪訝そうな表情を浮かべながら、ちりんと鳴る風鈴を見上げていた。空には丸く明るい月がのぼっていて、今日はあまり天の川はちゃんと見られそうにない。

 ―――隊長は昔から、「誕生日おめでとう」に対してどんな顔をしたらいいかわからない、と言う。柄にもないからと隊長は言うんだろうけど、隊長がおめでとうと言われるのが、私は自分の誕生日より嬉しかった。きっと本人より喜んでいただろう。

「じゃあ、今年最後のひとりってことで。お誕生日おめでとうございます」
「……どーも」
「そんな嫌な顔しないでくださいよ。みんな嬉しいんですよ、二十年前の今日、隊長がこの世に爆誕したことが」
「……言い方仰々しすぎらァ」
「だってそうじゃなきゃ私のお腹にこの子いませんでしたし」

 両手でお腹を抱えるようにして手を当てる。まさか自分が、お母さんになる日がくるなんて思わなかったのだ。ずっと子どものままだと思っていた。近藤さんや土方さん、銀ちゃん達の下で生きていくようなもんなのだと。――でも、今はそうは思わない。

「私に家族をくれて、ありがとうございますって意味です」
「………そうだな。感謝しろィ」

 そうやってちょけて見せるのも、隊長の照れ隠しに過ぎない。隊長は少しだけ息を吐くと、そのまま私の左手を取った。そして自分の胡坐の上に乗せると、そのままぎゅっと握りしめる。最近こうやって触れ合う機会も少なかったから、少し驚く。目を見開いたままの私に、隊長は中庭に植わった小さな梅の木を眺めながら言った。


「………まァそれで言うなら、俺もお前とそいつが久しぶりの家族か」


 手から伝わるぬくもりが、じんじんと心臓に伝っていく。
 君にも聞こえてるかなぁ、この声が、体温が。
 
 少し涙が浮かんできて、こてんとその肩に身体を預けてみた。隊長は何も言わずにふっと笑って、私の左手を握った。
 
 ―――−家族の在り方をよく知らない私達がこれから、家族をつくっていくのだと思うと少し笑ってしまうけど。
 隊長が一緒なら私はどうなって行ったって大丈夫だと思ってしまうのだ。私の手からなくなった刀の代わりに、私を護ってくれた術の代わりに、今度は私が護るものがこの手の中に納まるんだろう。

「隊長、」
「……ん」

 織姫も彦星もいなくなった天を仰いで、今年は少しいつもとは違う感情の交じった『おめでとう』を。


「生まれて来てくれて、ありがとうございます」


 ―――来年の今日は、三人で。




HappyBirthday隊長。
2018.7.8
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