一つだけ、
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カーテンの隙間から差し込む日差しに目を覚まし、重たい瞼を右手で擦る。部屋に掛かるカレンダーを確認すれば、今日は8月7日を指していた。
特に用事がある訳でもないが、今日は1年に1度の特別な日。
――そう、"彼"の誕生日だ。
何をプレゼントにあげようか迷った末、結局何も思い付かず用意することができなかった。このギルドに来るまでは他人にプレゼントを贈るだなんてことは1度もなかったし、考えられなかったから。
どうしよう。メーアは部屋を右往左往する。誕生日プレゼントを贈るのは諦めるか。しかしせめておめでとうくらいは言いに行くべきなのか。
散々悩んだ挙げ句、やはりお祝いの言葉だけは述べようと彼の部屋へ向かうことを決意した。
彼の部屋は1つ部屋を挟んで左隣にある。普通に歩いてもそこまで1分もかからない。そのはずなのだが、メーアはその距離をたっぷり3分かけて歩いた。何だか今日は足が重たい。
やっとのことで部屋の前にたどり着いたメーアは、深呼吸をしてからその扉を叩いた。
「はい。ちょっと待って」
部屋を訪れるのはギルドのメンバーだとわかっているため、訪問者が誰かを確認することはなかった。
そのまま扉を開けようと、近付いてくる音がする。
それからすぐにカチャ、という軽い音と共に扉が開かれ、中から人が出てくる。白と茶色が混ざった髪の毛をもつ青年、ハインだ。
「あれ、こんな早くにどうしたの? ……とりあえず入って」
「ううん、長居は――」
「せっかく来てくれたんだもの、飲み物くらい飲んで行って。ほら、おいで」
手招きをする彼に連れられメーアはおそるおそる部屋の中へ足を踏み入れる。そんな自分を見たハインは苦笑しながら「そこ座って」と一人掛けのソファを指差した。
「あの――本当にすぐ帰るつもりだから……」
「……そう? それで、どうしたの。何かあった?」
……彼は自分の誕生日を覚えていないのだろうか。それとも、わかっていてとぼけているのだろうか。
どっちにしても言わなければならない。ここまで来たのだ。さあ、深呼吸をして。
「あの……誕生日おめでとう」
言えた。ちゃんと言った。
すると目の前の青年は目を丸くして。
「あっ、今日が誕生日だってこと忘れてた。けれど、メーアが覚えててくれたなんて……嬉しいな。ありがとう」
本当に嬉しそうに目を細めるハイン。その笑顔を見て、やっぱり言いに来て良かったな、と思った。
「でも……あの、プレゼントは用意できなかったの。だから1つだけ、私にしてほしいこと言って。出来る限り何でもするから……」
プレゼントを渡すことができない以上、これくらいしか私にできることはない。
これでハインの望むことを叶えてあげられたら、と。そう思っていた。
もっとも、こんなのは自己満足でしかないのかもしれないが。
それを聞いたハインはしばし考え、黙り込んだ。ややあって顔をあげたハインのそれは、どこか悪戯な表情に満ちていた気がした。
「メーア。1つだけ、いい?」
「ええ、何でも言って」
素直に頷くと、ハインはくすくすと笑って。
「じゃあ――」
抱きしめて、ほしいな。
「………えっ?」
最初はただの冗談かと思った。しかし彼の表情こそ優しいもののその眼差しは真剣なもので。決して軽い気持ちで言ったのではないということが伝わってきた。
――私がハインを抱きしめる?
そんなこと、できる?
予想だにしなかったことを言われ、頭が混乱してきた。こんなはずじゃなかったのに。
けれど、自分で言ったことなのだ。責任は……もたなければ。
頭ではそう思っているのだが、やはり体は動かなかった。
そこに。
「――意地悪してごめんね、」
不意にふわっと、ふさふさした何かに包まれた。見ればすぐ目の前には彼のコート。
ハインに抱きしめられたのだと気付くには、そう時間はかからなかった。
「あと………ありがとう」
私が彼に、温もりを貰ってしまった。
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