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▼ 木こりはまだ現れない

薫ちゃんはとても忙しい人だ。
ポートマフィアに居た頃も一日丸々の休み等殆どなかった。酷い時は夜明けと共に帰宅し、数時間するとまた家を出る。そんな生活をずっと送り続けていた薫ちゃんがマフィアを辞めたからと云って当然、怠惰に過ごす筈はない。
ある日唐突に(なんの相談もなく!)警備会社へ再就職したと云われ。翌日から代表取締役秘書…と、これまた激務に励み、仕事が休みかと思えば武装探偵社へ顔を出しては方々から頼まれ事を引き受けている
…誠に遺憾である

不貞腐れた様子で晶はソファーから前述の通り、休日に探偵社で書面へと向かう薫子をじっと観察する
生死の境を彷徨い、無事に目を覚ましてからまだそう日は経っていない。病み上がりと云って差し支えないのに。
…薫ちゃんは働き過ぎだ
当然、国木田さんには真っ先に抗議した。薫ちゃんの無茶無鉄砲を共に案じ、無理等させないと、半ば同志のように思っていたからだ。
…しかし今や、

「薫子。要人護衛の依頼が入った
過去の報告書を見て各要所を纏めておいてもらえないか」
「分かりました。
…国木田さん、この会合場所ですが」
「何だ。気になる事でもあるか」
「…ええ。この場所は以前私も利用した事がありますが、警備の手薄な時間帯があるのです。
…場所の変更を提案されては如何でしょう。同グループの系列で似た場所があります。そこならば安全面も警備効率も向上するでしょう」
「そうか。盲点だった
…すまんな。薫子が居ると助かる事ばかりだ」
「ふふ、お役に立てて光栄ですよ」

…これである
薫ちゃんに言いくるめられたのか、薫ちゃんがどれだけ探偵社に居ても何も云わない。
其れ処か、国木田さんは薫ちゃんが顔を出すと仕事能率が格段に向上する。…しかも全て無意識でやっているのが何処か腹立たしい


「薫子、僕のおやつはー?」
「何時もの戸棚にストックがある筈ですよ。けれど食べ過ぎないようにお願いしますね?」
「えー」
「乱歩さんが事件解決するまでに焼き菓子が出来上がりますから」

─PPP
「はい。武装探偵社で御座います
…─はい、ええ。──」


今度は電話対応する薫子を晶は変わらず見つめ続ける。そんな晶にナオミが声を掛けた
「薫子さんたら、もう探偵社に馴染んでしまわれましたね」
「…薫ちゃんは凄い人だもの」
「それにしては不機嫌そうだけれど」
「…薫ちゃんは働き過ぎ
なんであんなに頑張ろうとするんだろう」
「そうですわねえ…」
薫子さんは確かに仕事中毒の気があるように思いますが。ナオミの同意に晶は食い気味に頷く。
「それなら太宰さんに相談してみては如何?」
「うーん」
晶は相変わらず太宰が苦手である
金糸雀に憑依して出会った頃から今に至るまで晶の中で太宰治は”何を考えているか分からない恐い人”のままなのだ

「さ、その為にも一寸でも早く今日の課題を終わらせてしまいましょ?」
ナオミが切り替えを促す様にパンと手を叩く
…そうだった、と思い出し晶は再び項垂れる

晶は現在、翌年に行われる高校入試に向けて勉強中である。保護者である国木田が前職で教師をしていた事も関係あるが、薫子が晶の制服姿を見たいと云った事が大きい。ナオミも、学生でありながら探偵社へ手代として通っている事も晶の決断を手助けした
斯くして翌年の受験に備えて探偵社の面々から試験勉強を見てもらい、一日の課題が終われば今度は国木田を始めとした調査員に着いて探偵社業務を学ぶのである。…とは云え、今の所は大きな事件もなく。また当然、受験が最優先であるので課されたノルマは増える一方だ。遠くなる意識と低迷するやる気を振り絞って晶は、まず目の前に立ちはだかる数式に立ち向かう決意をした


ソファーから視線を感じなくなった頃、薫子はそっと後ろから晶の様子を伺った
…何とか集中出来ているみたい
薫子は薄く微笑んで、同じく様子を気にしていた国木田へ視線を送る。微笑んだ薫子に国木田も一度頷き、やれやれと口元を緩ませた

晶は信じないが薫子が探偵社へ顔を出すのは単に薫子の我儘であるのだ
仕事しかしてこなかった薫子は休みの日にする事などない。それならば大事な人の手助けが出来る方がずっといい。
…それに晶が高校へ合格すれば、昼は学校、放課後は探偵社…と、今よりも一緒に居られる時間は格段に短くなるだろう。それなら今の内に互いにやるべき事があっても同じ空間で共に過ごしたかった。どうせ薫子も手代として探偵社へ通うのだから、時間の許す限り探偵社で過ごしたい
薫子の無理を渋った国木田へお願いすれば結局拒否はされなかった。周り回って太宰や乱歩の耳にまで入ると国木田一人では止められない程に話は決まっていったからである
しかも二人は恋仲となって間もないのだ
国木田のような生真面目が服を着ているような男とて、仕事の最中であろうとすぐ近くに薫子が居るのは嬉しかったのである

…そう云う訳で薫子が足繁く探偵社へ通う日々が出来上がったのだ

所なさげに不安と不満を涙混じりに訴えた子供はもう居ない。何時の間にか抱えた不満を周りの人間へ言葉にし、隠す事なく態度に出すようになった。それが薫子の身を案じての事なのだからより愛しい
巣立ち、一人立つその時まで薫子と国木田は見守り、時に手を伸べる。だが、願わくば…少しでも長く、


「薫子、いい加減教えてやったらどうだ?」
「ふふ、何の事ですか?」
「…意地が悪いぞ
薫子を休ませてやれと昨日晶から15回目の抗議を受けた。お前が通う理由を話してやれば納得するだろう」
「まあ!15回も!
あの子も意外と頑固ですね」
「…まったく。
俺だって納得してはおらんのだぞ」
「心配性ですこと
けれど、もう少しだけ我慢してくださいませんか?」
「ん?何か考えがあるのか?」
「ええ。
晶には兄さんとも仲良くなって欲しいのですよ」

面白がるようにふふ、と笑う薫子を国木田は呆れたように溜息を吐いた
「…俺はこんな時にお前と太宰は兄妹だと痛感するぞ」
「あら、お嫌ですか?」
「晶には同情するし、諦めろと云ってやりたい気分だ」
熟々俺はこの兄妹に振り回される運命にあるらしい。…だが、
「奴なら兎も角。
お前ならば構わん。どんなに周りを振り回し、どんな事を企んだとて、お前は俺と晶の元へ帰ってくるからな」

「…まあ、」

瞠目する薫子から国木田は視線を逸らした
言葉にしてから其れがどれだけ、己が愛されている自信に満ちているかを明言したようなものだったからである
薄ら耳まで色づく国木田の横顔に薫子は微笑んだ

「その通りですよ?
私は必ず貴方と晶の元に帰って来ます」
「…そうか」
…そう云えば今日は何の菓子を焼いたんだ

明ら様に話題を変える国木田に薫子は可笑しそうに笑う
「バームクーヘンですよ」
「…ん?作れるものなのか?」
「ええ。コツがあるのです
あと少ししたら晶に休憩させてあげましょう?」
「そうだな。
乱歩さんもそろそろ戻るだろう」

麗らかなおやつ時
そろそろ外へ出ていた兄も敦君と鏡花に連れられ戻って来るだろう。
こんな日々を積み重ねていくことが出来るなんて、どれだけ幸福なのだろう
「国木田さん、バームクーヘンには意味があるのですよ?ご存知かしら」
「意味?菓子に意味などあるのか」
「ふふ、ええ」
「どんな意味なんだ?」
「秘密です」

童のように悪戯心を秘めた瞳に国木田は考え込む。
…これは己で答えを見つけなければ。妙な使命感に囚われた国木田を薫子はくすくすと笑う
「今日も平和ですね」






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