生贄

それから薫子は太宰の部下によって拘束された。私の顔は悲痛で歪む
「そう云えば、作之助さん」
思い出したように薫子は明るい声で云った
「髪を、随分と切ったのですが」
求めている答えを私は知っていた
「…薫子は長い方が似合う」
だが、薫子の求める言葉を云いたくなかった。それを云ってしまえば、これが今生の別れだと思ってしまう。友との別離を経験したばかりの私にはあまりに酷なことだった
「そこまで短いと、太宰と間違えられそうだ」
薫子は驚きに目を丸めた後、可笑しそうに笑った
「ふふふ、それは酷い」

車に乗り込んでから薫子は安吾と作之助との思い出に浸る
結局、私の気持ちもいつか聞いてみようと思っていた事も、作之助さんに云えなかった。
兄と安吾さんに料理を振る舞うことも出来なかった
浮かぶのは後悔ばかりなのに、不思議と今の状況を悔いてはいない
だって、明日のことすら分からないこの世界で。私は、喪いたくない人達に出逢うことが出来たから。
「私は幸福な方なのかも」
窓ガラスに額をつけて横浜の街並みを目に焼きつける。キラキラと輝く街頭が滲んで見えた

ポートマフィアの高層ビルへと辿り着くと恐い顔をした中也が出迎えた
「…分かってんな」
私は静かに微笑んだ
中也はそれ以上何も云わずに私の前を歩き出す
昇降機の止まった最上階で執務室へ迷いなく歩き出した。その私の足取りを中也が呼び止める
「手前にとって、坂口安吾は自分の命を投げ出してでも逢いに行くような大切な奴だったのか。」
私は中也の言葉に音もなく笑った
「私だけじゃないよ、中也
安吾さんは、兄さんや作之助さんにとっても掛け替えのない人だったの。代わりなんて、この世の何処にもいないのよ
そんな人を、兄さんに手を掛けさせる訳にはいかなかった」
もしかしたら、私が口を挟まなくても兄は安吾さんを逃がしたかもしれない。だけど、
「それにね、もう二度と会うことがないかもしれない。そう思ったら、迷うことなんて何もなかったよ」
そう云い切った私に、中也はもう何も云わなかった


「首領、太宰薫子です。這入ります」

「おかえり薫子君。
暫く振りの外はどうだったかね」
執務机に手を組み腰掛ける首領は昏い笑顔を浮かべたままそう云った
「…申し訳ありませんでした」

黙って頭を下げる薫子に森はやれやれと息を吐いた
「薫子君、その髪は自分で切ったのかね」
「はい。」
「勿体ない事をしたね」
酷く残念そうな声に薫子は困惑する
「君が私の命令に背いたことで、監視役の中原君に累が及ぶとは考えなかったのかね」
「…考えました」
「それでも、君は。私の命令よりも、組織を裏切っていた者に逢いに行く事を選んだ」
「弁解のしようも御座いません」

「薫子君
君に蟄居の延長を申し渡すよ」

薫子は思わず顔を上げた
今の言葉が信じられなかったからだ

「君には安吾君の抜けた穴を埋めてもらわなければならないからね」



翌日、窓のない部屋に私はいた
今が昼なのか夕暮れ時なのか。はたまた夜であるのか、判断する術はない。見張りもいない部屋には鍵すらかかっていないようである。でも、私は出ようとはしなかった
出ていっても良いと云いたげな扉は私が目を覚ましてから一度も開いていない。もう、私が首領の許し無しに此処から出る理由がない証でもあるのだろう。
安吾さんの後釜として、組織にとって価値がまだあるという判断の下で私は生かされた。
もしかしたら、首領は私が安吾さんに逢うため命令に背くことが分かっていたのではないだろうか。…しかし、何の為に?
考えても分からない事ばかりだ

呆然と天井の濃淡を見つめていると静寂な部屋の中に慌ただしい音が聞こえてきた
身を起こし、来訪者を待った
扉から顔を出したのは息を切らせた兄だった

「どうしたのですか」
予想だにしなかった人物の、それも慌てた様子に薫子は足元に昏い蔦が絡まる感覚を覚えた
「…織田作の養育していた孤児がミミックの手によって襲撃された」

そこから私の記憶は曖昧だ
兄が私の背に掛けた言葉だけがグルグルと私を突き動かした。




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