好機

それからの幾日かを私は待ち続け、思考し続けた
感情を空っぽにしようと努めたおかげで焦燥や疑念に支配されることなく、ただひたすらに自らの内に湧き上がる疑問に答えを出し続けた
時折、中也から戦況を聞き、また兄と作之助さんからも電子メールで情報を集める
そして、その時はやってきた。
兄の部下である芥川龍之介と作之助さんが敵組織の頭目と接触した。兄からの報せによると、敵組織の目的は戦闘そのものであること。そして、”アンドレ・ジイド”なる人物が作之助さんとの戦闘の末の死を望んでいること。それを作之助さんが拒否したことによって、敵の戦略に変化が生じる可能性が高いこと。
必要な情報は出揃った。
兄が求めるものは分かっている
あとは、私自身が望んだことによる行動とその結果だけだ。

寝巻きを床に落とし、動きやすいパンツスーツに着替える
長く伸びた髪は入浴の際に全て切り落とした
これなら一瞬見た程度では太宰薫子と判断出来まい

臆することなく薫子は堂々と寝床にしていた部屋を出た
…これが、反抗期だろうか
ふと、この状況に似つかわしくない考えに耽る
しかし、ここはポートマフィア。
首領と歴代最年少幹部に育てられたのだ
反抗=処刑でもしょうがない

薫子の足取りは軽かった


「…やあ、どうも」
私達の憩いの場。ここ以外に、私達が集える場所はなかった
「お久しぶりです、安吾さん」
「…髪を、随分と短くしたのですね。」
私の姿を見て安吾さんは戸惑ったようだった

私が何かを返す前に後ろから人の気配がした
「…薫子」
目を見開く作之助さんに微笑んだ
「…ここに来たということは、どういう意味か。分かっているのかな」
兄の冷たい声が私を責めた
「勿論ですよ、兄さん。」
一人、事情に着いていけていない安吾のために薫子は云った
「首領からの蟄居という指令を破ったのです。」
薫子は首筋に当たる髪を摘んで「これは抜け出すために自分で切りました」と笑う
「…何故、そこまでして此処へ来たのですか」
理解出来ないとでも言うように掠れた声だった
「この日、この時間を逃せばもう、貴方に会えなくなるでしょう?」
無垢な笑顔で薫子は座っても宜しいですかと云った

いつものように、四人並んで腰掛けた
これが最後なのだと、同じ事を思いながら。

「此処で呑めることなど、もう二度とないと思っていました。私はツイてる。そして、大切に思っていたあなた方にも、そのツキをお裾分けしたい」
「潜入捜査官にしては感傷的じゃあないか」
織田作は太宰の言葉に顔を上げたが、薫子は驚く素振りも見せず無表情に目の前の机の木目を見つめている
安吾は少しの沈黙の後、「流石ですね」と呟いた
「安吾、君にはマフィアに加入する前から別の顔があった。それは国の秘密機関、”内務省異能特務課のエージェント”」
「…そうです」

長い沈黙を経て、安吾が口を開いた
「薫子さんは、全く驚いた様子がありませんね。僕の正体について、何か気がついていたのですか」
そこで漸く薫子の視線は机の木目から外れた
「まさか。ただずっと、拭えない違和感がありました。最初は首領の言葉。孰れ安吾さん、貴方の仕事を引き継げ。と」
その言葉と薫子の冷たい表情に私は初めて気がついた。薫子の感情のない表情は見たことがなかった
「戸惑いました。そして、浮かぶ疑惑と安吾さんのこれまでしてきた仕事、全て洗い直しました。過去、言動、戦況…そう、全て。そうしたら、たった一つしか答えはありませんでした。」
「…そうですか、どうやら僕は貴女を見誤っていたようだ。」
「織田作にも云ったのだけれどね、薫子は私と首領が育てた。マフィアの子だよ」
「それは買いかぶりですよ、兄さん
本当にマフィアの子なら、私は首領の指令に逆らって此処に来ることはしなかったでしょう。」
私は、と薫子は言葉を切った
何かに耐えるように唇を噛み締める
「私はただ…太宰治の妹としてではなく、太宰薫子として扱ってくれた尊敬する上司に、最後にお礼と少しの恨み言を溢したかっただけです」
安吾は淋しげに笑った
「貴方に感謝しています。安吾さん
今も、そしてこれまでの言葉全てに偽りはありません」
薫子の言葉に私は胸を打たれた
安吾のことを薫子は本当に心配していた。それは薫子の助けを受けながら安吾を捜索し続けた自分が何よりも知っている
「僕は…貴女に道を用意してあげたかった
黒社会で生まれながら善悪を知り、朗らかに笑う。清廉な貴女に、陽の当たる場所で生きて欲しかった
…だけど、それは僕の独りよがりだったようです。」
安吾の言葉に織田作も、太宰も何も言えなかった。
淋しげに紡ぐ、その言葉の下に隠した感情が何かを知ったから
再び、四人に重い沈黙が広がった




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