そよぐ風に高い樹木が揺れる。
朝方、薄い雲が通り過ぎながら降った雨にこの庭の緑がぬれている。
まだ残る雲の陰に隠された太陽が、温度をむやみに上げず心地良い気温になっている
朝四時。
まだ何もかもがしんと静まる
隣りで眠っている彼を起こさない様に静かに起き上がり寝室を出てキッチンに向う。
藤で編んだ小さなカゴにキッチンばさみを入れてバルコニーへと出れば、屋上へと繋がる階段があり、登ってゆく。
ドアを開けてそこにあるのは広がるのはどこにでもある灰色のコンクリートの味気無い屋上などではない。
そこは、
樹木と緑の溢れる広い広い屋上庭園。
…いや、街中のよくあるビルの屋上に造られた申し訳け程度に樹木の植えられた流行りの屋上庭園などではない。
ここには深く深く土が在り樹木は思う存分に根を張りまるで本当の地上の庭の様だ
この庭の持ち主である彼は都心の企業の社長であり、此所は彼の自宅マンション。
今日は休日だ。平日だがうちの会社は平日が休日。
社長の彼曰く、
“他の人達が休んでいる時にもりもり働くのが好きなんだ。しかも、平日に休みだとどこに遊びに行っても空いてて良いよね〜”
だ、そうだ。
そしてこの彼の自宅マンションの最上階の部屋から続く屋上は彼の愛する庭。
そして僕もこの庭をとても愛している。
しかし、ここはいったいどのような仕組みでこんなに植物が生き生きと育っているのだろうか、この庭に彼と同じくらい関わる僕でさえいまだ構造がわからない。
今は彼の社に勤務する僕も、それ以前は他の会社に勤務していた。そこはいわば有名企業で僕は当然の様に朝も夜も休日も返上しこの無機質な街中で無機質な仕事ばかりをし他の何も見えなくなりそうだった。けれどそれが当たり前だと思っていた僕はそれにより自分の身体がどうなっているかまるで気付かなかった。
昔からの知り合いだった彼は、日に日に削れてゆく僕をことあるごとにとても心配してくれてはいたが、ある時唐突に、
ねえ、鬼男君。
はい
君さ、よかったらうちの会社においでよ
え?
うちの社は良い所だよ〜!楽しいよ〜。
は、はあ…、でも…なぜ。
…君さ、気付いて無いのだろうけれど、そんなにぎゅうぎゅうに働いてたら、すぐにどうかなっちゃうよ。体も、綺麗な心も。
だから、うちの会社においで。ぜひおいで。ついでに、俺の家にもおいで!俺の家も良い所だよ!楽しいよ〜
その端正な顔で微笑んで差し出された手に引かれて彼の後について階段を登った先、
…そこに広がる緑は、
僕を…丸ごと包んだ…
深く深く息をすることができた。
――――夜、眠る前にカーテンを半分ほど開けておく。
朝が来て、外が明るくなるのと同時に自然に目が覚める。
目覚ましは僕の起きた後で鳴るようになった。
しんと静まる街がとても綺麗なのだ。
まだ彼が眠るうちに、彼の部屋の庭に出て深く深呼吸をする。
土の香り、緑の香り、あまい花の香り、水分を沢山含んだ柔らかな空気の香り、
体に染み込むまで吸う
それからこの庭に作った畑に育つ鈴生りになっている赤いミニトマトを一つ一つ丁寧にカゴに摘む。摘みながらそのつやつやとした赤さを眺めればトマトの香りに包まれる
ここに来たばかりの時、鬼男君もこの畑で何か育てればいいよ。と彼に言われ、初心者の君におすすめーと言われ初めてミニトマトの苗を買った時、鬼男君、これね、苗なのにもうトマトの香りがするんだよ!ぐいと苗の黒いポットから伸びるまだ細い苗を鼻に押しつけられた。
本当だった。
枝と枝にある小さな芽を丁寧につむ。実にゆくはずの栄養が若い芽にとられてしまうかららしい。
ミニトマトを摘んだ後は、スプラウトを摘む、次から次とバジル、オレガノ、ディル、ローズマリーのハーブ類……かれらの伸長に合わせて体を低くしてぱちんぱちんと摘んでゆく。
カゴの中はいっぱいになりそれを持ってキッチンに戻ってひとまず置いて、朝食の準備をする。
乾燥させてあったイタリアトマトとオリーブを取り出し既に発酵の済んだ白いパン生地に散らばせて練り混む。形を作りオーブンへ入れる。
カゴの中の摘み採ったたくさんのハーブは乾燥させて岩塩と混ぜてハーブソルトにする
パンが焼けたら厚切りのベーコンにふりかけて炙ればハーブの香りが立つだろう。
トマトの育て方も育つ様子もハーブの名前もハーブの使い方もパンの焼き方も花の名前も樹木の名前も全て、此所へ来てから少しずつ覚えていった。
梅酒とか漬けてみたいなと思う。うまい焼酎で漬けるとなおうまい梅酒ができるとどこかで聞いた事がある。赤いラベルと黒いラベルの焼酎が好きなのであれでやってみたい。
パンが焼けるまでまた屋上に戻り、庭と畑の手入れを始める。
5時、
ぱたぱたと階段を駆け上がり彼が起きて来る。
休日なのに、ずいぶんと早いですね。年寄りか。などと突っ込めば、ええー?君はもっと早いくせに〜とヘラヘラ笑う。
彼は少し長い髪を一つにまとめて菜園用のツナギ姿に手袋をはめた手には畑を耕す為の鍬。
「君がこの庭が大好きなのは分かるけど、俺さ、目覚めた時、君が隣りにいないと寂しいんだけどなあ」
何を、言ってやがる…
ぱ、と赤くなった顔を背けてぶっきらぼうに言い返す
「…では、今度から僕の起きる時間に貴方も一緒に叩き起こしましょうか」
「うん。いいねー。ソレ。起こして起こして!」
全て見透かす様に彼はふふふと嬉しそうに笑っている。
相変わらず青空と雲はマーブルのように混じり合い、太陽をうっすらと隠し、いまだに空気を涼しくしてくれ日差しは全く強くなく 髪を揺らす風は澄んでいて心地良い。
木酢液というものを水で薄めて土にまく。まるでスモークした食べ物のような香りが立ち上ぼる。
「これ撒くとスモークチーズとか食いたくなるよね」
ああ確かに。
そうして僕らが一仕事終えた後、人々がようやく動き出す。
僕らは庭にある木作りのテーブルセットに朝食を用意する。
焼きあがった少し粉のふいた白いパンに摘んだ小さい若芽とトマトとスモークチーズと炙った厚切りベーコンを挟んで出した。
「…うお…、鬼男君、このパンうまいこれ。うまい!」
「それは、良かったです。ありがとうございます。」
「どんどこ焼くの上手になるね。あ、この挟んである芽なんの芽だっけ」
「ブロッコリーの若芽ですよ…!自分で蒔いた種を忘れるな!ちゃんと書いておけ…!」
言いながらグラスに柑橘を搾って炭酸水を注ぐ。半月に切ったオレンジをグラスのはじに乗せる
「あ!そうだ!」
ふいに何かを思い立った様に彼は畑の奥に駆けて行ったと思ったら、しばらくして手のひらの中に何かをいっぱい入れて来た。
「鬼男君 、鬼男くん。はい、あーん」
は?
え?
あーんと言われるまま口を開けたら何かを沢山ほうり込まれた。
ぷちんぷちんと口の中で小さく何か弾ける、
「…な、何ですか……これは…」
何かの果実らしく、小さな実が舌の上で弾けて、とろりとした果肉が流れ出す。
まずくはないがやたらと酸っぱい
「酸っぱ……」
彼はくくくと悪戯子の顔で笑う
「大丈夫。大丈夫。自然なものだから害は無いよ。ああ、勿論、法にも触れないよ。」
今口にほうり込まれたばかりの赤と黒の小さな透き通る実を見せて来る
……なんだそれは、知らない…。どこに生って…た
…しかも害はない…ってなんだ!
迂闊に口にするべきではなかったと後悔していると、急に指先がぴりぴりと痺れて来た
「!?」
舌にはまだ先程の甘酸っぱい果実の小さな種がぷちぷち弾けてる
「これね、本来は煮詰めてジャムにすればいいんだけれど、生で食べるとね、……ほら、天然の果実には、なんていうか、そういう効果のある実があるでしょ〜」
ふふふ、と妙に嬉しそうで気色悪い。
痺れはどんどん強くなる
……、な…に…が……そういう効果……だ…
そんな効果……どころか、こ…れは…
びりびり痺れている手でテーブルに置かれた皿の上の実を掴んで無理矢理彼の頬を掴んで口の中に入れてやった
びっくりして彼はあっという間に飲み込む
「……わ…!!」
「…ど……んな効果かを…期待したか…知り…ませんが、貴方の期待する効果どころか、…解…毒がひ…つようです…よ…きっとぼくら……これ……」
「え…!…はは…は……。う…そ…だろう……、」
二人の手や口はぴりぴりと痺れ続け、何やら寒気までしてきた
「ハハハ……お…にお君……救急車だね……これ…」
やっちゃったぜ…!と言うアホか社長を尻目に慌てて携帯電話を手にする
しかし、痺れた指はなかなか僕の脳の言う事を聞かず、携帯電話の119を押せずにびりびり痺れ続ける
――――全く せっかくの休日も台無しだな…! と急におかしくなってきて笑った。
「え…、お…鬼男君、まさか…頭まで痺れてきた…!?」
「…馬鹿じゃないですか……?」
笑いながら必死でボタンを押した
合法的完全犯罪
10.0630 しぐれ様
選択お題『合法的完全犯罪』
現代社会人パロ
...あとがき...
素敵な企画に参加させて頂き本当にありがとうございました!
パラレルの世界と言う事で、現代社会人の閻魔社長と(たぶんデザイン事務所)有能社員の鬼男君で書かせて頂きました。
閻魔社長ならどこにでもどんな庭でも作れてしまうとだろうなと思い、そこで二人が休日の早朝に早起きして顔とかを土だらけにして畑仕事してるのを想像したら楽しくて仕方なかったです…!ありがとうございます!
知らない実はむやみに食べないで下さいね