まだ、居る。


自分のなかにそれを見つける度、私はひどく陰鬱な気持ちになって、時には訳もなく泣きたい衝動に駆られた。それはどんな時であろうと私を助けようとはしなかったし、どんな状況であろうとただそこに在るだけだった。


私はそれがいつが私自身をすっかり乗っ取って支配してしまうのだと信じて疑わなかった。そしてそう思いながら、なぜか支配などされるまいとどこかで足掻いてきた。

苦しくて苦しくて必死になって褪せた記憶にすがって、それを永遠なんて名付けようとして、最後には暗闇に追われて、記憶も言葉も行き場を無くす。ああ、この儘暗闇に呑まれて、総てを忘れてしまうのだ。

そんな時、どこかで誰かが言っていた言葉を、頭のなかで何度も何度も繰り返す。


こんなにくるしいのに なぜひとは生き続けなければならないのだろう?




「とても、大事なものだったんだ」



夕焼けを映し込んだ瞳が前を向いたままそう語る。ぬるい風があたりの草を柔く揺らして、ひっそりとやってくる闇を告げる時に。


「失っちゃいけないものだったんだ。でも、私は手放した。そうするしかなかった」


虚空に伸ばされた腕は何も掴めないまま地面に落ちて、二度と同じようには動かない。きっとそれは失ったそれと同じように、ただそこに在るだけで人を苦しめる。

言い訳ならいくらでもできるけれど、そこに私の言葉はない。人間というのは言葉に自分の意思を込めすぎる。私はそれが嫌で嫌で仕方なかった。何故って、自分が決してそう出来ないからだ。
いつも思う。言葉に思念がなければ、心なんて最初から持っていなければ、私たち人間は互いにもっと上手くやれただろう。


「…太子」


自分の掌の上にゆっくりと重ねられる温かさを、知らないでいられればよかったのに。そのぬくもりを知らなければ、私はこんなに悲しい気持ちになることもなかった。


「きっと見つかりますよ」
「…何が」
「探すんでしょう?」


しょうがないからお手伝いしますよ、といとも簡単に言って彼は笑う。その軽やかさに驚きながら、次の瞬間には私もつられて笑う。
ああ、闇なんて。


「見つからなかったら?」
「探すことに意味があるんです」
「そういうものかな」
「そういうものですよ」


そういうものです、と彼はもう一度だけ繰り返して、口を閉ざす。その代わりに重なった手に力を込めて、続く言葉を語る。身体の奥底に溶けてゆく言葉が存在することも、確かに私は知らなかったのだ。

いつだってこの時間は寂しかった。辺りが真っ暗になって、光が何処にもなくなって、私は一人の場所に帰らなくてはならなくて、それでも私の居場所は其処にしかなかったから。


「寂しいな」
「そうですか?」


暗くなって、夜になって、ひとりがたまらなく心細くなって。でも、いまは寂しくなんてない。寂しいという言葉が、お前が隣に居るだけで意味を持たなくなるから。
寂しいなあ、
そうですか?
何でもないやりとりが、こんなにも私を安心させる。。

永遠なんてない等といったところで、自分が死ぬまで続くなら永遠と同じようなものだ。だから暗闇はいつまでも在り続けるし、私もそれをきっと永遠に忘れられない。記憶だって同じことだ。薄れ澱んで色褪せても、それは生きている限り永遠になる。きっと、きっと。

いつか失ったって、もう暗闇なんかにすがらなくても、私は生きていける。


私は死んでいける。


「…なんて、言ってみただけだよ」
「ふうん」
「なんで不機嫌そうなの」
「別に」
「言ってよ」
「何でもないですよ」
「嘘だ」


そう指摘すると彼は一瞬押し黙って、何かを考えているようだった。
やっと言葉を発したと思えば、あんたって変なところで鋭いから嫌いです、なんて可愛くないことを言う。


「僕と居るのに寂しいなんて」


言わないで下さいよ、と彼は暗闇に溶けていきそうな声で、でも確かにそう言った。
今の彼にとっては言葉は絶対なのだ。何の気なしに、なんてどこか無責任だといつか言っていた。最初に出会った時には、こんなことは絶対に言わなかった。それでも多分、いや絶対、彼の思いはどんな時も変わっていないだろう。
寂しいなんて、意味のない言葉だ。ほんとうにひとりの時は、寂しいだなんて思わないのだから。寂しいなんて、一人じゃないから思えるようなものなのに。

君は知ってるかな、ひとりだってことが、ほんとうにひとりぼっちだってことが、どれらい自分の感覚を麻痺させてしまうのか。

綺麗な横顔にそう心のなかで投げかけて、口では謝罪ともとれないくらいの謝罪をする。ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだよ、なんて笑いながら。


「時々、怖くなります」
「何が」
「太子は僕なんて放っぽって平気で消えちゃうんじゃないかって、ふと思うんです」
「…どうして?」
「あんたのその『ごめん』がもう聞けなかったらどうしようって、つい考えるんです」


そう言って、妹子の澄んだ目がこちらを向いた。存在を確認するかのようにその目線は私の身体をなぞって、もう一度闇夜に戻される。

意味なんてないんだ、とか言ったらまたお前は怒るだろう。「寂しい」にも、「ごめん」にも、気持ちなんて殆ど込もっていないんだと言ったら、たちまちその綺麗な顔を曇らせて、何も言わなくなるだろう。

不思議なことだ。意味のないところに理由があって、理由は意味のないところにある。だからお前と一緒に居たいんだ、なんて誰が信じるだろう。


ひゅう、と。


ふいに制服のシャツが夜風に吹かれて音を立てる。私は半袖のシャツで、彼は長袖をうまく肘のあたりまでまくっている。半袖は何となく格好が悪いから着たくないのだといつか言っていた。つくづくこういう所は変わらないなあと思って、気付かれないようにこっそりと笑う。


「いいや、探さなくて」
「はい?」


だって、この温かさで埋まってしまっているから。
そうは言えなくて口を閉ざした。うん、構わない。今だから感じないだけだ。分かっているから、それでいい。


「多分さ、」
「多分、何です?」
「何というかさ、時間の無駄だと思うし」


言葉や記憶は褪せていく。誰もがそれを知っているから、人が最後に欲しがるのはいつだって形のないものだ。人が人を欲しいと思ったら、それは大抵その人のこころが欲しいということで、欲望のなかでも一番身勝手な種類のもの。でもそんなものは手に入らない。決して得られない。

そうして、暗闇が口を開ける。

苦しくて苦しくて必死になって褪せた記憶にすがって、それを永遠なんて名付けようとして、最後には暗闇に追われて、記憶も言葉も行き場を無くす。ああ、もうこの儘暗闇に呑まれて、総てを忘れてしまいたい。
知らなければ、知らない儘で居られたら、こんなに情けない自分を知ることもなかった。


「太子」


呼び戻すのは、その温度。いつの時も変わらない温もり。私に触れて、私の名を呼ぶ声。お前はいつだって何も変わらないままで、私の心の奥を揺らす。


「見つかるまで傍にいますよ」


とっくに褪せた永遠の世界に馬鹿らしいくらい鮮やかな色が重なって、闇を彩り始める。ああ、この感覚をよく覚えている。私はまたこの子に出会えたのだ。かつて永遠と名付けたものに。

星空が濁って、輝きを持て余した光が私の目にぼんやりと映った。





色褪せた記憶、鮮明な感覚





10.0628 日向様

選択お題『色褪せた記憶、鮮明な感覚』
学パロ




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