怠惰陰陽師 | ナノ
悲しき霊



「内臓が飛び出た母子の変死体?」
『そうなんだよ姉御!怖いだろ!?』
「ぶほっ!くそくそ!昼飯の時に何言いだんすんだよ雑鬼ども!」
「汚いCー」
「へぇ、それで?面倒くさい話なら聞かないよ」
「続き聞くなら後にしぃや、紗雪。箸とまっとるで」
「食べんの面倒」



緩い動作で弁当をつついている時に現れた雑鬼が放った言葉に紗雪は、ケロリとした表情を浮かべていた。しかし、周りはそうはいかない。霊感持ちだけが集まっており、当然ながら話は丸聞こえ。食事中にする話題ではないが、人外である雑鬼にとっては関係のない話である。あくまで彼らにとっては、何時如何なる時であろうと人間の事情は知ったことではない。そして話を振られた方の紗雪も耐性がついており、食べるのが面倒だと放棄した食事を渋々片付け始める。結局、弁当の残り半分を無理やり食べさせられた後に変死体の話を再開するようにと雑鬼に促した。



『それが悪霊の仕業なんだよ!見てた奴がいるんだ!』
「それはまた穏やかじゃねぇな…何処の話だ?」
『この近くだから姉御に知らせに来たんだ!お前らも気を付けないとやばいからな!?』
「その肝心の紗雪さんは聞いてないがな」
『姉御ぉぉぉぉ!!!』
「……面倒くさい面倒くさい。てか、どうせ襲われるのは子供か女じゃん。へーきへーき」
「面倒くさがるなよ!彰子が襲われたらどうすんだ!?」
「その時は全力で悪霊の息の根を止める」
「…てめぇは、そういう奴だったな」
「教室帰るの面倒くさいからノート取っといてね、跡部」
「俺様を使うんじゃねーよ。そもそもクラスが違う」



チッ、と舌打ちを漏らしながらうだうだと屋上のコンクリートでできた地面の上を転がる紗雪を捕まえ、樺地が例のごとく担いで教室へと運んでいく。手をぷらぷらさせたまま運ばれる光景は最早、氷帝では見慣れたものである。基本的に彰子がいなければ動かない彼女の移動手段は専ら他力であった。そんな昼休みを終え、部活動を終了した氷帝生が帰宅手段の殆どは車。雑鬼が持って来た情報とは縁遠いものである。しかし、非常に彼は困っていた。背後から追い掛けてくる人影に。



「っんで車についてこれんだよ!」



向日岳人はバックミラー越しに見える人影に表情を引き攣らせていた。一定の距離を保ちながら近付いてくるそれに戦きながら震える手でスマホを取り出す。霊感がある彼とは違い、運転手には何も見えていない。それが更に恐怖を掻き立てていく。紗雪の番号を探しだし、コール音を鳴らしだしたそれに耳にあてた所で車が不意に止まった。



「お、い…何して、」
「申し訳ありません。故障してしまったのか急に…」



向日は直感的に故障ではないと思った。バックミラーへ視線を向ければ、人影――髪を振り乱しながら迫ってくる女は見る間に距離を詰めていく。そしてバックミラーから姿が消えた。コツンと右側から聞こえる音に震えながら視線だけをそちらへと向ける。車のサイドガラスに張り付く包丁を逆手に持った女と目があってしまう。女の口許には血がこびりついており、歪な笑みの形が作られていた。電話はまだ、繋がらない。声にならない悲鳴を上げると同時に激しくガラスが叩かれる。恐怖のため手からスマホが抜け落ち、下へと落ちていく。鞄を抱えたまま、向日は距離を取ろうと後ずさった。だが、狭い車内では意味がなく、パニックを起こしながらもガラスを叩き割ろうとする女から目が放せない。瞬きする間に罅が入っていき、脆くも砕けて散っていく。その破片が頬を切り、血が流れればそれに興奮したように女の手が伸ばされた。あと僅か数センチで手が届くところで、ぐいっと向日は後ろへと引かれる。車のドアを開け、その開いたドアの隣に息を切らせながら立っている紗雪は酷く怠そうに襟首から手を放した。



「まったく面倒なことを…」
「紗雪っ!」
「泣くのは後にしてくれない?張り付かれると面倒だから」
「け、けどよ…!」
「ほんと怖がりだな…。さて、お前は一年前に交通事故で死んだ女だな?此処にはお前の捜している子はいないよ。それとも…人の血肉の味を覚えて、そのことすら忘れた?」



一年前に幼い子供とともに死んだ女。ともに死んだはずの子は見付かっておらず、今も捜索が続いている。さて、その子供を捜し回っている女の霊がいることを紗雪は知っていた。知っていたとしても、どうすることも出来ない。未練を断ち切って無理やり消すのは簡単だ。しかし、それではさ迷っているであろう子の霊がどうなる。其処まで考え、彼女は放置することを決めた。だが、これが成の果てだ。幸せそうな母子を殺し、その血肉を貪ることで力を得て鬼女となった。



「これだから同情を向ければ、碌なことがない」
『ウマソ、ウ…』
「言葉も分からなくなったんだね」



憐れみすら感じるよ。そう言った紗雪は、懐から人形(ヒトガタ)を取り出して息を吹き掛ける。それには墨で誰かの名前が書かれていた。仄かに光だしたそれは、徐々に幼い子供の姿を象っていく。鬼女は、目から血の涙を流しながら手を伸ばしてくる。一歩たりとも動こうとしない紗雪を向日が引っ張ったが、それを制して長い爪が皮膚を裂こうが動こうとはしなかった。



「この子を連れて帰りな。今なら化け物としてではなく、母親として死なせてあげる。だから、帰って」



子供を抱きかかえた鬼女の姿が優しげな風貌へと変わっていき、嬉しそうに微笑みながら頭を下げて、ふわりと消えていく。それを見届けた紗雪は深く溜め息を吐き出すと、車へと寄り掛かった。もう動きたくないと呟きながら。



「お、おわった…?」
「終わった。顔とテニスしか取り柄がないのに顔を怪我するとか馬鹿だね。面倒くさいけど治してやる。私の責任でもあるし」
「彼奴、なんだったんだ?噂の悪霊、だよな?」
「さっきも言っただろ。あれは子供を捜してたうちに、ああなったんだよ。子供は、たぶん妖にでも喰われたんだろうね。旨いらしいから」
「うまっ…!?」
「そっ。子供と女の肉は柔らかくて旨いんだって。子供の霊は見付からなさそうだから人形にその子供の名前を書いて子供に見立てた。子供を見付けた女は、そのまま成仏だよ」
「…なんか悲しいな、それ」
「同情したから他に死人がでた。同情するだけ無駄から情は向けるな。さて、動くのが面倒だ。送ってて」
「……ったく、仕方ねぇな」



まったく動く素振りすら見せない紗雪を車に押し込め、何が起きたか理解していない運転手に車を走らせるように指示をする。怠そうに符を取り出した彼女は、それで向日の傷を治すと断りもなく眠り始めた。




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