眠れぬ暁をきみは知らない | ナノ
嘘をつくより簡単なこと



そんな初日から日が経ち、仕事にも慣れてきた今日この頃。朱綺は普段通りに仕事をこなし、休憩がてらに給湯室で珈琲を煎れようとしていた。そんな折りに名前を呼ばれ、ひょこりと顔を覗かせると満面の笑みを浮かべた道明寺に困った顔の榎本、不安そうな布施と三者三様の表情を浮かべながら給湯室へとやって来る。朱綺は目を瞬かせた後に不思議そうに首を傾げた。



「日高とか大丈夫かな…」
「いや、たぶん無事じゃ済まないだろうな…」
「? どうしたんですか?」
「雪篠さんって、やっぱり伏見さんと付き合ってるの!?」
「え?」
「え?」



道明寺からの問いに彼女は、心底不思議そうに声を漏らした。それに面食らった三人からも同じ音が発せられる。何故ならば、二人の様子を見て彼等は付き合っていると判断をしたからだ。何より伏見の牽制とも取れる行動やら何やらを鑑みるにそうであると。だからこそ聞いたにも関わらず、朱綺の反応は予想外だったのである。アミダくじまで引いて伏見と朱綺に突撃をする面子を決めたわけだが、この様子からするに完全に薮蛇をつついたことになりかねない。そうなると前者を引き当てたメンバーの悲惨なことと言ったら。三人は無意識に残り五人の安否を祈っていた。



「…本当に付き合ってないのか?」
「付き合ってませんよ。私と猿比古は、そんな関係には…ならないと思います」
「そんな関係にはならないって…どうしてですか?お二人とも見ていて仲が相当良さそうですし…」
「仲は良いと思いますよ。ただ、そうですね…ずっと隣で支えてあげられる人の方が彼にはふさわしいと思いますから」



少しだけ悲しそうに微笑んだ朱綺は、話題を切り替えるように珈琲の話を始めた。それに三人も大人しく話題を切り替えてくれたことに彼女は安堵する。これで良いのだと。朱綺は、この世界の人間ではないと言う負い目のようなものがあった。たぶん、ずっと此処にはいられない。伏見が帰ったように自分も何時か帰るのだろうと。それなのに恋人になるなんてことは出来ない。好きでも、そこから先には進めない。いや、進んではいけない。そうやって無意識に自分の心にブレーキをかけていた。そうしないと二度目のお別れに堪えられそうにもないから。自己防衛だと微かに自嘲しながら彼女は、珈琲を片手に古い電子化されてない書類を片付けに資料室へと戻った。



***



「あの、伏見さん…」
「あ?」
「いや、その…やっぱ弁財さん代わって下さい!」
「なっ!」



伏見は苛立たしげに舌打ちを漏らした。五島が最初に出てきたかと思えば、日高に代わり、次は弁財である。何か言いたいことがあるなら、はっきり言え。そうイラついた目が物語っていた。覚悟を決めたように咳払いを一つすると弁財は口を開く。そして飛び出してきた問いに伏見は無意識に動きを止めていた。朱綺とは付き合っているわけではない。その隣にいるのが心地好くて離れられないのが本音だ。そもそも彼女は、どんなに欲しくても手に入らない存在なのだろう。また、別れる時が来るのだから。それが怖いのだと柄にもなく伏見は思った。だから、それ以上先には進もうとは思えない。それを言う気にもなれず、伏見は不機嫌そうに大きく舌打ちをした。



「彼奴とは、そんなんじゃねーよ」
「え?そうなんですか…?」
「んな、下らねぇこと気にする暇があんなら、さっさと仕事に戻れ」



睨めば自分達のデスクへと大人しく戻っていく。それからはキーをタイプする音だけが室内を満たしていた。何気なく隣を見れば、誰もいないデスク。今日は別の仕事をしているのだから当たり前と言えば当たり前である。それでも何となく落ち着かなくて作業に集中出来そうになかった伏見は無言で席を立つとそのままPCを片手に、その場を後にした。向かう場所は、資料室。其処では電子化されていない書類と向き合う朱綺の姿がある。背筋を伸ばした姿勢のままキーをタイプする彼女の首に腕を回せば、驚いたように体を強ばらせてから伏見の方へと顔を向けた。



「さ、猿比古?どうしたの?」
「別に何でもない」
「本当に?」
「ん。……隣いい?」
「うん」



隣のデスクに積んでいた書類を退かせば、伏見は其処へ自分が持ってきたPCをおく。だが、そのまま仕事を始めるでもなく朱綺の肩へと頭を預けた。それに不思議そうな表情をしたものの彼女は特に気に止めることもなく作業を再開した。なるべく体を動かさないようにしながら書類を手作業で電子化し、それを情報データベースへと送っていく。一通り作業を終わらせたところで朱綺は口を開いた。



「猿比古、やっぱり何かあったの?」
「何で」
「勘かなぁ。ちょっとだけ何時もと違う感じがするから」
「……俺とお前は付き合ってるのかって聞かれた」
「あー……道明寺さん辺り?」
「違う。その感じだと朱綺も聞かれたのかよ」
「一応」
「何て答えたの」
「たぶん、猿比古と同じだと思うよ」



お互いに顔を見ないまま話し、朱綺の言葉に伏見は何も答えようとはしなかった。それから何事もなかったかのように朱綺は今日の夕飯は何が良いかと尋ねる。それに何事もなかったかのように伏見もまた答えた。この距離がもどかしい。それでも丁度いいのだと。朱綺は静かに手を動かし始めた。


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