桜の木の下で


俺、南野秀一の中に妖狐蔵馬が目覚めてからしばらく経ったある日、弱ってしまっている遅咲きの大きな桜の木をある公園で見つけた。
しかしそれを見つけたのは母さんと買い物をした日の帰り道の事だったから、もちろんその時は何もしなかった。
でも、一度気づいてしまうと気になる物で、次の日の放課後からその公園に足を延ばし、桜の木を治療する事にした。
治療といっても妖力を少しずつ桜の木に注ぐだけの慣れてしまえば簡単な作業で、力の調節の仕方の良いリハビリになっていた。
そしてそんなリハビリの3日目、俺は初めてまりに出逢ったのだ。





















今日のお義母さまはよくわからないけど、すごくご機嫌が悪いみたいです。
私がお家に帰って来ると、お義母さまはヒステリックに私の事を罵りました。
いつもは10分ぐらいするとお義母さまから何処かへ行ってしまうのに、今日はなかなかそうしません。
でも、今私がお部屋に帰ろうとしたら、お義母さまはきっと今よりもっとすごく怒ります。
だからここで大人しくお義母さまが行ってしまうのを待つしかありません。


―――パァン…

大きな音が右からしたなと思ってから右の頬っぺたがじんじんと痛く、熱くなったのを感じました。
お義母さまの方を見ると、その手はまた振り上げられ、容赦無く私の右の頬っぺたを叩きました。

「うっ……」
「何であんたなんかが…!!」

お義母さまは恐いお顔をして私の事を何度も何度も叩きます。
痛い痛い痛い痛い痛い。
痛くて、怖くて、恐くて、ぎゅっと目を瞑って、いると向こうから「奥様!!」とお義母さまを呼ぶ声がしました。
そしてお義母さまはその執事さんに押さえられてしまいました。
お義母さまは後ろから押さえつけられながら、まだ私の事を睨んでいます。
私は恐くてお部屋に向かって走りました。一度お部屋に入って鍵を中からかければ安全です。

あとちょっでお部屋、と言うところで何かに足が引っかかって転んでしまいました。
前を見ると真姫お姉さまが立っていました。お姉さまは私の事を睨んで、フンと鼻で嗤って自分のお部屋に帰って行きました。
部屋に入ると何か違和感を感じました。違和感の正体は部屋に散らばる糸屑と、無造作に棄てられた見覚えのある布切れでした。
私の1番お気に入りのワンピースの、ワンピースだったものの残骸でした。

気がつくと私は走っていました。
焦ったような執事さんの声を後ろの方に聞きながら、長い廊下を駆け抜け、大きくて重い玄関のドアを開け放ち、庭を横切ります。
空は暗く、厚くて黒い雲がどこまでも広がっているのが視界の端に映っていました。





















その日俺があの桜のところへいくとそこには先客がいた。
その客は俺とは反対側の根元に座り込んで泣いているようだった。
今日は止めておくか、と踵を返そうとしたが必死に声を殺して泣いているその様子がなんだか放って置けなかった。

「大丈夫ですか?」


気がつけば俺はその女の子にそう声をかけていた。
少女はビクッと俺の声に反応して一瞬こちらを見ると、また少し俯いて首を横に小さく振った。
その瞳からポロリと大粒の涙が零れるのを見ると、考えるより先に俺の手は少女の頭に伸びていた。
手が頭に触れる前の一瞬、脅えた彼女の金と翡翠の瞳が俺の翡翠の双眼が交わる。その後すぐにギュッと瞳は閉じられた。手はスカートの裾を握りしめている。

……誰かに殴られでもしたのだろうか?

そう思わせる反応だった。
そしてその反応は正しいもので、彼女の右頬は確かに赤く腫れていたのだ。
しかし少女は俺が頭を撫でると気持ち良さそうに、安心したように目を閉じた。
少女が落ち着きはじめた頃を見計らい、俺は髪の中からそっと薔薇を1輪出した。
それを彼女の手の中に持たせ、その手に片手を添える。
もう片方は右頬に持って行き、手に仕込んだ透明の薬草を少女に塗った。
驚きで見開かれた少女の瞳は潤んでいて、とても魅力的な輝きを孕んでいた。
まだ幼い、名前も知らない少女に惹かれていくという予感めいた心持ちがした。





















大きな木のところに座り込んで泣いている私に声をかけてきたのは、綺麗な紅い髪をした優しそうな男の子でした。

「大丈夫ですか?」

優しくそう話しかけられると、なんだかまた涙が溢れて来るのを感じたので、少し下を向いて首を振りました。
すると男の子は手を私の頭に伸ばして来ました。
一瞬、さっきのお義母さまの顔が思い出されました。

―――マタ、タタカレル

男の子の手が頭に触れる前、一瞬彼の翡翠の瞳が私のそれと交わりました。
でもやっぱりさっきのことを思い出してしまえば恐くて、すぐにギュッと瞳を閉じ、スカートの裾を握りしめました。
でも、いつまで経っても鈍い痛みは私のどこにも現れませんでした。その代わりに私の頭の上には優しく往復する手がありました。
人の温もりを久しぶりに感じてまた涙が溢れて来ました。
温かい涙でした。

それから私が落ち着くまで男の子はずっと頭を撫でていてくれました。
そしてどこからか薔薇を1輪出して私に持たせ、その手に男の子の片手がそっと触れました。
もう片方の手はお義母さまに叩かれた右の頬っぺたに触れ、何かを私に塗りました。
でもそれは不快なんかでは無く、寧ろ痛かった頬っぺたが癒されていくようでした。


「もう泣かないでくださいね」

そう言って微笑んだ男の子に心が不思議とほわーっと温かくなったのを感じました。





write:2012/07/08
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