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- ナノ -

01 血が足りない、足りない。



『待った待った待ったァァ!!ちょっ、あの、氷川さん?待って、あの、氷川さん!?血を出さなかったのは本当にあの、申し訳ないんですけど!こッこうもそんな殺気を出しながら寄ってこられちゃうとなんて言うかもう私、心臓止まっちゃうんですけど!?』

「ああ、まァ止まるだろうな。死ぬし」

『ですよねッでもちょっと待ってください!今からあのお医者さんのとこ行きますんで!採れたて生絞りブラッド出しますんで!お願いだから落ち着いてくださいよ...!!』


ーー夜。九時ジャスト。都内の一角のクラブで女がぎゃあぎゃあと喚いているのに対して、黒ずくめの男がゆらりゆらりと近付いているのはどんな状況だろう。女の名前は名前。男はクラブのリーダー的ポジションで、名前は氷川。金髪でホスト風の美男子である。煙草を咥えたまま、ゆっくりと名前に近付くと、顔に向かって煙草の煙を吹きかけた。急な煙が口に入ったのかゴホゴホと名前は咳き込んだ。


「名前」

『っく...!ッな、何でしょう?』

「お前は俺等の唯一のルールを破った。この事がどういう事か分かるよな...?」

『......えっと、はい。死ですね』


ああ、私の人生終わった。いやあ、虚しかった虚しかった。
ゆっくりと瞳を閉じて死を待とうとしたが、途端に頬に鋭い痛みが走った。だがそれは血を抜いた時の痛みではなく、頬を叩かれた時の軽い痛みだった。


『え...な、何で...』

「勝手に死のうとすンな。...生かせてやるッてんだよ」

『え?本当ですか!?』

「あァ。ただし、条件がある」

『え...?腕切れとかですか?そんな殺生な...』

「違え、許可なしに喋んな。それも凄ェ有難いが生憎違う。名前、お前の血、今直ぐ飲ませろ」

『え?』


私の血?今直ぐ?飲ませろ?
名前は氷川が言った言葉をもう一度脳内で再生する。何を言っているか理解できた瞬間、勢いよく嫌悪感を顔に出した。


『嫌ですよ!痛いですし、氷川さん我慢しないですもん!』

「するする。気絶する前に止めるッて」

『...本当に?絶対ですよ?』


「あァ。」と言おうとしたが、氷川は何を思ったのか、喉を詰まらせて考え事を始めた。
ーー止めるとは言ったが...正直止められる自信は無ェな...。こいつの血は本当に上手ェし、そのまま飲み続ける気がする...。...それに、こいつの痛がッてる顔、ソソるしな。
氷川は暫しの沈黙の後、名前に「動くな」だけ言うと、その場から去っていった。
一分後、氷川は黒髪長身の女を連れてきた。黒髪女を近くの椅子に座らせた後、もう一度名前の前で屈んだ。『え...何であのお姉さん...あれ、やっぱり氷川さん余裕ないんじゃ...』だとかぶつくさ言う名前に「うるせぇ」とだけ言い放つと、彼女の両手首を自身のネクタイで後ろに拘束した。「えっなんで縛るんですか!?逃げませんから私!」とかまたうるさく喚いてる女を黙らせようと、ムード作りのために、耳元に口を寄せて息をふうと吹きかけた。


『っひ...!(なっ何で耳...!?)』

「......あー...。」


氷川は名前の首元をまじまじと見ながら固まる。今日の名前は髪を後ろに結んでいる。故に若い女の綺麗な肌が露になっていて、頭がクラクラしそうになる程に、肌を見ただけで身体が強く血を欲しがった。こみ上げてくる飲みたいという欲求に、「あーヤベェかも」と苦笑する程。


「名前...」

『っな、何ですか...?』

「好い声で泣けよ?」


『はーー』と言いかけた時に、氷川の掌から刀が現れ、名前の首筋に刃を突き立てた。刃は意外にも深くに突き刺さり、抜いた時にはダラダラと血が溢れた。独特な鉄の匂いに氷川は喉を鳴らすと、そのまま血が流れる首筋へかぶりついた。
ただでさえ痛いのに、その痛みに覆い被さるように生暖かい舌が傷を這い、唾液が肉に染みてビリビリとした痛みを感じた。ドンドン溢れる血、抉るように入ってくる舌、名前は身体の力を抜きそうになるが、声を出すことでそれを抑えた。


『ッい゛...!っあ゛...!ひ、かわさん...!』


氷川が音を立てて飲んでいるのが分かる。ゴクリと一度満足気に飲んだ後、はあはあと息を荒らげている名前を見て不敵に笑う。


「...やっぱお前の血最高だな。超上手ェし...名前の痛がる顔も声もすげェ良い...」

『...っ、そ、そうですか...』


ジリジリとまだ痛みを放つ、右首筋。名前は辛そうに息をする。氷川は恍惚とした表情で名前の名を呼んだ。


『何です...っん、!』


いきなりの強引な口付け。名前の血を吸うと、たまに氷川は興奮したのか名前にキスをする事がある。血を欲しているからのある程度の抑えなのかーー。
執拗に迫ってくる舌に、名前は堪えきれず声を漏らす。氷川のディープキスは何度しても慣れない。荒々しくて、雄っぽさがすごい出ている。舌が糸を引いてやっと離れた後、名前はホッとした。
ーーやっと、終わった。なんだ、黒髪のお姉さんいらないじゃん。意外と余裕あるし。それに氷川さん、今止まってるし...。
...だが、そう思った矢先に、名前はある事に気付いた。まだ止まらず流している名前の血を見た氷川の目が先程よりもらんらんとしている事に...。


『っひ、氷川さん?』

「......あーやべェな。超飲みてェソレ...」

『あっ、あの氷川さん...?もうやめ...』

「...ほんと悪ィな。...そんなモン見せられたら我慢出来ねェ」


そう言った瞬間、氷川がまたガブリと名前の右首筋に噛み付いた。氷川の犬歯が丁度良く名前の深い傷口に当たり、肉がえぐれる度に名前は痛く辛そうな声を上げる。


『あ゛...ッあ゛...!痛いッ、氷川さんお願っ...!ッい...!』

「...ねえ、そろそろ止めたら?」

「......」

『い゛ッた...い゛!ッく、っあ゛...!っお姉さん止めて...ッ!』

「! ええ、分かったわ」


黒髪女は氷川を横から思いっきり突き飛ばし、掌から出した日本刀を氷川に向ける。
ーーこんな事したくはないけど、状況は状況。それに氷川さんも分かってて私を呼んだんだから。


「...ッ何し...!」

『っ、はー...!っお、ねえさん有難う...!』

「ええ、全然いいわ。...ねえ、目覚ました?大丈夫?」


口元に付いている血を見て、黒髪女も飲みたい衝動に駆られるが、そんな事をしたら駄目だ。と、自身を割り切る。氷川は数秒経ったあと、目の色を変えて、ゆっくり起き上がった。先程の荒々しい氷川の様子とは全く違う、いつも通りの氷川だ。口元の汚れをスーツで拭うと、「...悪ィな」と口を開いた。


「こいつの血飲むと自制が効かねえ...。助かった、有難な」

『...いったかったですよ!氷川さんの馬鹿!もうすぐで死ぬ所だった!』

「死にはしねェけど悪かったな。痛ぇだろ?そこ。待ってろ、今包帯...」

「っ、ねえ」


氷川が後ろを振り向いた瞬間、黒髪女が声をかけた。次に発した言葉は意外な言葉だった。


「...私も、飲んじゃダメかしら」

『...はい?』

「...気持ちは分かるが、こいつの血は危ねえ。止められなくなるぞ」

「...それでも一度飲んでみたいんです。あの名前さんの血を...!」

『え...い、いやそんな凄いモンじゃないですよ?例えるとしたら...そうですね...なんか美味しい物ってありますかね?』

「知らねー。人間の食い物なんか」

『えー...うん、そうだな...すっごい美味しい血ですね!ワンランク上のワインみたいな感じじゃないですか?』

「よく分かんねえ例えだな」

『じゃあいつもの女の子達を安物の肉として、私はA5級の肉みたいな?』

「俺らの食糧を安物ッて言うな馬鹿」

『えーじゃあいつもの女の子達が千円の肉として私の肉は一万円の肉っていう事でいいですか?』

「......まァ、一番それが近いんじゃねーか」

『という事です!ですので、あの、今日は!痛いので勘弁して貰えると有難いです!』


名前は申し訳ないといった様子で頭を下げた。氷川が名前の手を取って起き上がらせ、キツく縛ってあったネクタイも解いた。名前はヒリヒリとする手首をさすりながら氷川に尋ねる。


『これ縛る必要あったんですか?氷川さん』

「あァ、暴れると鬱陶しいからな」

『...でしょうね』


まだ痛む肩を抑えながら、氷川は名前の手を引っ張って歩く。最後に、「あ。」と、黒髪女の方を振り向いた。


「お前よ」

「...?」

「こいつの血勝手に飲もうとしたら...殺すからな」

「...っ!」


目に光がなく、冷たく言い放たれたその言葉。黒髪の女は背筋をぞくりと震わせた。奥の方へ姿を消した名前達の後姿を見ながら、黒髪の女はある事を思い出す。

ーーそういえば、名前さんって一度誰かに襲われたこと無かったかしら...。あの時、首を噛まれた名前さんが泣いて怯えてて、それを見た氷川さんがその男を連れて出て行って...。

「ーーー!」

ーー確か、河野さんと名前さんが話していた。「名前にゃ怖くて近付けねーよ。氷川がいるからなァ」『いやそんな事言わないでくださいよ。ドンドン話しかけてください』「じゃ、血飲ませてくんね?」『いやそれは無理ですけど。氷川さんの許可下りないと』「だよなァ。氷川に前頼んだけど駄目に決まってンだろの一点張りなンだよ。別に俺ァ前の新人の雑魚みたいな真似はしねえのに」『ああ、あれですか?あの...そういえばあの男の人どうなったんですか?』「あァ?そりゃあ...こうだろ」
そう言って河野さんは何かを斬るような動作をした。その後名前が苦笑した事から、おそらく、その男は殺されたのだろう。氷川の手によって。
...あ、そういえば、その次の日...!

「おい名前。鼻つまめ」『え...な、何ですか』「この二つのグラスの内一つは赤ワインだ。赤ワインの方を当ててみろ」『...片方は?』「さァな。何に見える?」『......あ、赤ワインを当てるんですよね?ちょ...え、えっと...こここコレかな?』「それか?じゃあグイッといけ。飲み干せ」『え...。わ、分かりましたよ...』 『...ッうわ...!ま、ッず!うっわァァッゴホッ、ホントに血じゃないですか...!えー...いつもこんなの飲んでるんですか?』「あァ。つーかでもそれは不味いかもな。吸血鬼のだし」『...ん?』「男のだし」『...?!! あ、あのこれもしかしてままま前の男の...ッ!?』「あぁ。回収した。勿体無ェし」『ばっ、かですか!何でそれを私に飲ますんですか!』「飲まれたんだから飲み返してやった方がお前の為になンだろと思ッて」『意味が分からない!本当に馬鹿かアンタは!』

...だとか言ってたし。殺された後もその血、抜かれてるんだ...。

「っ、怖...!」


黒髪の女は真っ青になりながら自身の口を手で塞いだ。とめどない吐き気。そして名前という不思議な女の謎が黒髪の女は解けないでいた。




※黒髪女はきるびるではありません。きるびるが入る前のお話です。