▼ さどまぞ‐01
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目が覚める。
天井がウヨウヨと回ってる。
昨日、血を抜きすぎたせいだ。
貧血が酷い。
携帯の時刻を見ると、登校時間をとっくに過ぎた11時18分だった。
のっそりと起き上がって手首に視線を落とす。
あちらこちらに血がこびりついていて、切ったばかりの切り傷は赤黒いかさぶたになっていた。
身支度ついでに手首を雑に洗って包帯を巻く。
そして制服に着替えて、お茶だけ胃に入れて家を出た。
──くだらない毎日。
意味のない毎日。
私は一体何のために生きているんだろう?
そんな答えのない問いを自分に鬱々と投げかけながらいつも通りの通学路を歩き、まるで収容所のような佇まいの学校にたどり着いた。
授業中の校内はシンと静まり返っていた。
教室に近づくにつれて頭が重く痛み始める。
今日もまた、叫び出したいほどに退屈な一日が始まってしまう。
偽善の塊できかない教師共。
つまらない流行に流されてはしゃいでいる馬鹿で幼稚な生徒達。
こんな所に私の居場所なんかない。
吐き気がする。
腹の底で暴れる嫌悪感を押し殺して教室のドアを開ける。
一斉に突き刺さる視線。
間抜け面向けてくるんじゃねぇよクソ共が。
「こらこら天音さん。一言もなしですか」
真っ直ぐ自分の席に向かおうとする私を教師が呼び止める。
振り返ると眼鏡の下の切れ長な目が私を見据えていた。
余裕を気取った笑顔が勘に触る。
社会の教師でありこのクラスの担任でもあるこの男はそれなりに整った容姿と掴みどころのない飄々とした性格で生徒からは割りと人気がある。
けど私はコイツが大嫌いだ。
こういう奴に限って腹の中では他人を見下して嘲笑っているんだ。
コイツの笑顔は作り物にしか見えない。
「…遅刻してすみません」
相手を軽く睨み付けつつ無感情に言い捨てると、ちょうど終業のチャイムが鳴り渡った。
「…それじゃあ、ネチネチとお説教するんで昼休み中に先生の所に来て下さい」
「はぁ?」
うわぁ。面倒くさ。
不満いっぱいに眉間にシワを寄せ、私は投げやりに自分の席についた。
遅刻癖がついてから2ヶ月くらい経つけど、わざわざ呼び出されるのは始めてだ。
アイツのネチネチした説教ってどんなんだろ…。
いつもみたいに話が脱線して脱線して最終的に全く関係のないアホな下ネタに発展してくんじゃないだろうか。
ああ面倒くさい。
…今すぐ行くべきか、休み時間の終わる5分前くらいに行ってサッサと説教を済ませてもらうか…。
長引いて放課後まで残るはめになったら嫌だし、今行くか…。
私は重い体を引きずるようにして職員室へと向かった。
・ ・ ・ ・ ・
「あれ。ちゃんと来るんだ」
驚いたような顔をして私を見て、ヤツはお弁当の卵焼きを食べながらそう言った。
「…は?」
「いや君のことだからきっとバックレられるんだろうなーと思っていたんだけど。思ってたより素直ないい子のようで」
「…っ帰ります」
「まあまあ。せっかく来たんだから」
回れ後ろをした私の腕をクソ教師が掴んで引き止める。
ひょろ長い体型をしてるくせに、想像以上に腕力が強い。ウザい。
「んじゃここでネチネチ言うのもなんだし、どこか空いてる教室にでも行こうかね」
「は? いいですよここで」
「二人きりの方が遠慮なく色々とできるだろう。それはもう色々と」
とびきり胡散臭い笑顔を向けるこの男を思い切り蹴飛ばしたいと思ったけれど、グッと堪えて私は渋々黙ってついて行くことにした。
職員室を出るついでに壁の時計に目を向ける。
昼休みはまだ20分も残っていた。
「さて、ここでじっくりゆっくりお話しましょうか」
行き着いた所は理科室だった。
中に入ると薬品なのか何なのかよくわからない独特な匂いが鼻をつく。
「さあさあ、お好きな所に座って」
その言葉と重なってガチャンという音が聞こえ、私はとっさに後ろを振り返った。
「…鍵、かけたんですか?」
「そうですよ?」
「なんで…っ」
「なぜでしょうか」
いつも通りのふ抜けた声で先生は私にそう聞き返す。
けれど目は全く笑っていなかった。
見たことのない威圧的な眼差しに身体が萎縮してしまう。
──ヤバイ。逃げなきゃ。
そう思ったときにはもう遅かった。
長い手が私の肩を捕らえ、強い力が加えられる。
その勢いのままに床へと押し倒され、体を打った痛みに私はグゥッとくぐもった声を漏らした。
「…正解は、教師と生徒の禁断の情事を邪魔されないためです」
「んんっ…!」
私の上に馬乗りになって、私の口を手で塞ぎながら先生はニコリと微笑む。
私を押さえつける両腕に力の限り爪を立てて体を捩っても先生はビクともせず表情すら崩さない。
「君みたいな生徒ってさ、口で言うだけじゃ言うことなんてきかないでしょ。こうするのが一番手っ取り早いんだよね」
私が想像していた以上にコイツは最低な教師だったらしい。
心底楽しそうな笑顔に悪寒が込み上がる。
「ハレンチな写メを撮られて脅されるか、先生の肉棒の虜になって性奴隷になるか、どっちがいい? ちなみに小宮と鈴木と花岡は既に先生なしじゃいられない体に開発されました」
名前が上がったのは同じ学年で粗暴の目立っていた女子生徒たちだった。
いつの間にか大人しくなったと思ったら…コイツのせいだったのか。
こんなヤツとセックスして言いなりになるなんて、馬っ鹿じゃねぇの。
私はこんなクソ野郎の思い通りなんかなりたくない。
ギリギリと腕に爪をめり込ませながら殺意を込めて奴を睨み上げる。
「…その様子だと、脅しコースがお望みのようですね」
やだ、嫌だっ、絶対嫌だ…っ!
何が何でも逃げ出してみせる、と無我夢中になって私は体を振り動かした。
手間のかかる子ですね。と奴がため息混じりに笑う。
余裕ぶった態度に腹の底から怒りが湧き上がる。
その怒りを込めて思いきり頭を振ると、口を塞いでいる手の圧力が少しだけ軽くなった。
私はとっさに口を開く。
そして奴の指を一本とらえ、噛み千切るくらいの勢いで歯を立てた。
──パンッ
突然響き渡った乾いた音と、頬への衝撃。
「……っ」
何が起こったのかわからなかった。
頬にジンジンと走る痛みと熱に脳が揺れ、ようやく頬を平手打ちされたのだと理解した。
頭の中が真っ白になっている状態のまま、私は見開いた目を奴に向ける。
「これ以上痛くされたくなかったら、大人しくしましょうね」
驚愕に呑まれて固まりつくしてしまった脳内に、優しく諭すような落ち着いた声色が溶け入る。
ゾクリと胸が震えた。
恐怖を抱いているわけじゃない。
驚きのあまり感情まで吹っ飛んでしまったのか、暴力を受けたのに不思議と恐怖心は湧かなかった。
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