▼ 操られ人形3‐03
華奢で清楚な雰囲気の美園。爽やかな笑顔を振りまく男。
誰が見ても2人をお似合いのカップルだと微笑ましく思うことだろう。
対して笹原は背が低くて軟弱で、素顔をひた隠している長い前髪が不気味で…とても美園につり合う容姿ではない。
しかも性格だって暗くてズルくて歪んでる。
あの男に勝てるところなんて一つもない。俺と男を目の前に出されたら間違いなく男の方を選ぶに決まってる。
惨めな思いを噛み締めて笹原は自分を嘲笑った。
男は確実に美園さんに気がある。
美園さんも、楽しそうに笑ってたし悪い気はしていないだろう。
もしかしたら気持ちはもう男の方に行って、俺の存在を疎ましく感じているかもしれない。
正体の知れない気味の悪い男なんかより目の前にいる格好いい男に惹かれるのは当然のことだ。
今日はもう何もしないでおこう。何をしたってただ邪魔になるだけだ。
うつむいて薄汚れた床を見つめながら笹原はロビーで楽しく談笑している2人の姿を思い浮かべる。
そして仲良く手を取り合って2人きりでどこかへ出かけていく様子までも想像してしまい、ギュッと目を閉ざした。
…俺はもう美園さんに関わらない方がいいのかもしれないな。
きっと、自分という恐怖の存在から解放されないと美園は安心して彼氏を作ることができない。
そして何より笹原は自分自身が傷つくのが怖かった。
始めは軽い興味本位だった。だがいつしか笹原は本気で美園を好きになってしまっていた。
これ以上深入りすると、美園に男ができたときや自分の正体がバレて幻滅されたときに深く深く傷つくことになってしまう。
…今ならまだ間に合う。…だからもう終わりにしよう。
そう心に決め、笹原は逃げるようにその場を後にした。
家に着き、すぐに人形を机の引き出しの奥深くに押し込んで引き出しに鍵をかける。
次に携帯を取り出して、ためらいもなく美園の連絡先やこれまでのやり取りを全て消し去った。
もう終わりだと決めたら笹原に迷いはない。
何かを諦めたり手放したりすることには慣れていた。
…あ、最後にメール送った方が良かったか。
『今まで迷惑かけてごめんなさい。今日限りで終わりにします』
美園を安心させるためにもそう伝えるべきだったと気づいたがアドレスを消去してしまった以上どうすることもできない。
…まぁ何もしなくてもすぐ俺のことなんて忘れてくれるか。
半ば投げやりにそう考えながら笹原は倒れ込むようにベッドに寝そべった。
…今までありがとう。散々振り回してごめんなさい。…さようなら、美園さん。
頭の中で短く終わりを告げ、それ以上は何も考えないように暗い闇に意識を溶かす。
深く目を閉ざし、笹原は孤独な夢の中へと落ちて行った。
・ ・ ・ ・ ・
翌朝。カーテンを閉め忘れた窓から差し込む日差しに目をしばたかせながら笹原は時間を確認するため携帯を開いた。
メールや着信はゼロ。
無情な現実に特に悲しみなどは抱かず、ベッドに携帯をポイと投げ捨てて笹原は気だるく布団から這い出した。
月曜日特有の倦怠感がのしかかって体全体がぼんやりと重い。
…そういえば、こんなにダルいのは久しぶりだな。
今までは美園を弄べるという楽しみがあったおかげで休日後の学校も全く苦ではなかった。
けれどそんな不純で浮ついた非日常はもう終わり。また無気力な現実世界に逆戻りだ。
…美園さん、あの男と上手くいったのかな。
他人事のように考えながら笹原は適当に身支度を済ませ、重い足取りで学校へ向かった。
誰にも気を留めず、周りの雑音を遮断して完全に自分の世界に入り込んで時間が過ぎ去るのをひたすら待つ。
そんな過ごし方も久しくしていなかった笹原はあまりの退屈さにうんざりとしながら教室の壁に掛けてある時計を見上げた。
時間が経つのがやけに遅く感じる。
寝てしまえば苦も無くやり過ごせるかもしれないが、昨日たっぷりと寝てしまったせいで眠気は全くない。
仕方なく笹原は黒板に書かれていく授業内容をダラダラと書き写すことにした。
…けれど、それも長くは続かなかった。
笹原の斜め前にあるのは美園の後ろ姿。
それが視界の隅に入り込むたび、名残惜しさが募って笹原のすさんだ心を掻き乱すのだ。
…まだ諦めきれてないのか?
自身の身の丈をよく理解している笹原は、どんなに欲しいと思ったものでもそれが自分の手には届かないものだとわかれば簡単に諦めることができた。
これまでと同じように美園のこともきっぱりと断ち切ったはずなのに…。
それほど彼女にのめり込んでしまっていたのかと笹原は初めて味わう深い喪失感に戸惑い、胸の奥を焦がす。
しかし未練を残していたってどうしようもない。
…美園さんは他の男のもとへ行くんだ。俺はもう邪魔者。
今まで十分楽しませてもらっただろ。これ以上何を望んでるんだ俺は?
自分のような劣等な人間は何も手に入れることはできない。必死に努力したって欲しいと願うものには絶対に届かない。後悔や惨めな気持ちが残るだけ。
卑怯な手段を使って一時の優越感を得ることができた。それだけでもう満足だ。
何度も何度も自身にそう言い聞かせ、笹原は心を殺してただひたすらに時間が過ぎていくのを待ち続けた。
・ ・ ・ ・ ・
キーンコーンカーンコーン…
響き渡ったチャイムの音に、ドッと肩の力が抜ける。
…やっと帰れる…。
HRを終え、当番の教室掃除を済ませると笹原は鞄を掴んで一目散に教室を飛び出した。
朝に比べて足取りは随分と軽い。
…きっと、明日には綺麗さっぱり忘れ去っているだろう。
胸を締め付けていた苦悶もどうにか鎮まり、笹原はなるべく楽観的なことを考えながら生徒玄関に向かって長い廊下を突き進む。
「──笹原くん」
だがその軽快な歩みを突如背後から聞こえてきた少女の一声が打ち切った。
一気に跳ね上がる心臓。
珍しく女子から声をかけられたにも関わらず笹原は振り返ることができなかった。
振り向かなくても、そこに誰が立っているのか容易に想像することができた。
「笹原くん?」
さっきよりも近い距離で、脳髄にまで浸みるほど聞き慣れた彼女の声が響く。
笹原は絶対に動揺を悟られないよう平然を繕って、気だるそうに後ろを振り返った。
「なんですか?」
「……っ」
頬を赤く染め、大きな瞳を涙で揺らしながら無言で笹原を睨みつける美園。
…なんで美園さんが俺を呼び止めるんだ? どうして? その顔はなんだ? なんでそんな泣きそう顔をしてるんだ?
頭の中でパニックを起こしつつも笹原は必死に無表情に徹し続ける。
「…どう、してっ…」
「えっ?」
ようやく放たれた一言にますます混乱する笹原。
その言葉にどんな意味が込められているのか、どれだけの意味が込められているのか、嫌な予感ばかりが次々と溢れ出て胃がギリギリと締め付けられていく。
泣き出しそうな美園に睨まれたまま、どうしたらいいかわからずその場に凍り付いていると階段の方から複数の男子がふざけ合いながら降りてくる音が聞こえてきた。
もしも自分や美園のことを知る生徒たちだったら、こんなところを見られたら変な噂を立てられてしまうかもしれない。
更なる混乱の種が降りかかり、緊張感が限界まで高まって激しい目まいが引き起こる。
…どうしよう。どうしたらいい? 美園さんは何がしたいんだ?
グラグラと視界を揺らしながらうろたえていると、不意に美園が一歩踏み出して棒立ちになっている笹原の腕を掴んだ。
「来て」
棘のある口調で短く吐き捨て、美園は腕を掴んだまま強引に笹原を引きつれていく。
そして人気のない空き教室の前まで来ると、一旦周りに誰もいないことを確認して中に入った。
「…笹原くんなんでしょ?」
カシャン、と教室の鍵を閉めながら美園は震える声でそう言った。
「……っ」
心臓を握りつぶされたかのような痛みが笹原を襲う。
もしかしたらと予感はしていたものの、それは最も聞きたくない一言だった。
とても平常心など保っていられるわけもなく、笹原はわなわなと小刻みに震えながら口を開く。
「な、なっ…なに、が…っ?」
「何って、言わなくてもわかるでしょっ…?」
美園の真っ直ぐな視線が笹原を突き刺す。
そんな美園を直視することができず笹原は情けなく顔を反らして目線を床に落とした。
「…い、いつ、僕だって…わかったんですか?」
「最初からなんとなくわかってた。笹原くんの声って特徴あるから」
…最初から…!?
思いがけない答えが頭を打ち、思考が真っ白に染まる。
じゃあなんで今まで何も言ってこなかったんだ?
美園の意図がますますわからなくなり、未知の恐怖が笹原の弱い心を押し潰していく。
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