中編 | ナノ


▼ 第1話-03

宗太くんもきっと卒業したらすぐ働く気で『進学・就職率99%』なんてうたってるこの高校に入ったんだろうな。


お母さんに負担をかけないように、家事も一人でやってきたんだろう。


「じゃあ前はお母さんの代わりに家の事全部やってたんだ?」


そう返すと、宗太くんはふと私に笑いかけてきた。


「……っ」


その笑顔に、私は息を詰まらせる。

今まで見たことのない、私を見下しているような嘲笑い。


どうしてそんな顔…──


「家事をやらないと殴られるって刷り込まれてるから、嫌でも体が勝手に動くんだよ」

「……っ? 何、それ…どういう…」


「柚希さんって、騙されやすいだろ?」


思いもよらない言葉に混乱していると、宗太くんは冷たい笑顔とは裏腹な優しい声で私に囁いた。


「あの人のことは信用しない方がいいよ」


そして宗太くんは二階へと戻っていった。


洗面所で呆ける私。


ゴウゴウと唸る洗濯機みたいに、頭の中で色んな言葉が渦巻く。


…あの人って…お母さん…花野さんのこと?


殴られる?

単純に考えたらそれって虐待…だよね?

宗太くんは、虐待されていたの…っ?

だって花野さんあんなに優しいのに…っ

あれは…演技…!?


体の内側が一気に冷え渡っていく。


…私とお父さんは…騙されてるの…?



──その日の夕方、花野さんが帰ってきても私はいつもみたいに出迎えることはしなかった。


夕飯もうつむいてなるべく花野さんと目を合わせないようにして食べて、「ちょっと具合が悪いから」といってそそくさと自分の部屋に閉じこもった。


宗太くんのあの表情と言葉が頭から離れない。


お父さんと話しているときの花野さんの笑顔が全部偽物に見えてくる。


ピシピシと冷たい音を立てて、私の中の幸せな家庭に大きな亀裂が走っていった。



・ ・ ・ ・ ・


心が鉛のように重たくなったまま数日が過ぎた。


お父さんにはまだ何も話してない。


話すべきなのか、よくわからない。

それにまだ確信がない。


リビングで楽しそうにテレビを見ている2人。

お父さんの隣りであんなにニコニコ笑っている花野さんが、宗太くんに酷いことをしてたの…?

本当に、花野さんは私とお父さんの知らない別の顔をもっているの?


『真実が知りたい』と重い心がドクンと波打ち、私は食器洗いを終えて部屋に戻る宗太くんを追いかけて二階に上がっていった。

「…何?」


部屋のドアの前で立ち止まった宗太くんが表情のない顔を私に向けて呟く。


「前に私に言ったことは本当なの?」


そう言い返すと宗太くんはあのときと同じ冷たい笑みを薄く浮かべてドアを開けた。


「中で話すから、入って」


言われるがままに私は部屋に足を踏み入れた。

初めて入る宗太くんの部屋。

シンプルなベッドとタンスと机。


必要最低限のものしか置いてないのと、家具がどれも古びてるせいか、部屋の中はなんだか寂しい雰囲気に包まれていた。


「あの話は本当だよ。俺は小さい頃から、気に食わないことがあればすぐにめちゃくちゃにぶん殴られてた」

「…そんな…っ」

「あの人が本性を出す前に、早く別れた方がいい」


私を真っ直ぐに見据えて、宗太くんはキッパリとそう告げた。


「で…でも、もし別れて前の暮らしに戻ったら…宗太くんはまた酷いことされちゃうんじゃ…」

「俺のことは気にしなくていい。柚希さん達を不幸な目に合わせたくないんだよ」


強い口調で訴えかけられ、私は言葉を詰まらせた。

こんなに優しい人なのに、宗太くんだけ辛い目に合うなんて…耐えられないよ…っ。



花野さんが何か悪いことをしたら、宗太くんと協力して証拠を掴んで訴えたりもできるかもしれない。


それに…もしかしたら花野さんは本気でお父さんのことを好きになったってこともあるかもしれない。


だってやっぱり、どんなに思い返してみても花野さんのお父さんに向けている笑顔は偽物には見えないんだもん。


「ねぇ…花野さんが、お父さんに出会ったことで改心したってことはないかなぁ…?」

「……え?」


「だって2人とも本当に心の底から幸せそうだよ…っ?

花野さんの気持ちは真っ直ぐにお父さんに向いてる。だからきっともう宗太くんに酷いことしないんじゃないかな…。

それなら私はこのままでもいいかなって思うの」

「………」


…少しの間の後、宗太くんはフラフラと力無くベッドに座り込んだ。

肩が小刻みに震えている。


…泣いてるの…?


「宗太くん…」


私はそっと歩み寄って、震える肩を撫でた。


「…今までずっと辛かったよね。でも……、ッ!」


突然、肩に置いていた手を掴まれ私は息を呑み込んだ。


「あんたってホンット馬鹿だよな」


そう言って私を見上げた宗太くんの顔はどす黒く歪んだ笑みを湛えていた。

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