▼ 第4話‐03
「カズヤ、ちょっと廊下見てこい」
男に顎で指図されたカズヤは駆け足でドアへと向かう。
男に組み敷かれ、今の状況に震えながらも私は徐々に希望を芽生えさせていた。
火事が起こったなら逃げるしかない。
…そしたらこの男たちからも逃れることができる。
心に光が宿る。
私は一刻も早く男たちが火災におののいて逃げ出してくれるのを待ちつつ、すぐに起き上れるようにと身構えた。
「煙とか見えないから、この辺ではないみたいっすね」
ドアから上半身だけ出して廊下を見まわすと、カズヤはドアを閉めながら落ち着いた声でそう言った。
「なら大丈夫だな」
……え……っ?
「ヤバくなったら窓から逃げられるだろ」
「この高さなら余裕っしょ」
何言ってんの…!?
「んじゃ、続きやりますか」
「…っいや…!!」
二階から飛び降りる!?
私はそんなこと出来ない!いやだっ、死にたくない!
命が危険にさらされ、か弱く怯えてる場合じゃないと本能が悟ったのか、簡単に大声を出すことができた。
私は悲鳴を上げながら、上に乗っかっている男を振り落とそうとがむしゃらに身体を動かす。
「おい、カズヤ、縛るもん早く」
必死に暴れる私とは裏腹に、男たちは虫でも弄んでいるかのような態度で私を見下している。
「顔おさえてて」
「はいよ」
髪と顎を掴まれて無理やり真正面を向かされる。
視界に映り込んできたもう一人の男は、破ったガムテープを構えていた。
「いやあぁっ! あっ、うぅ…っ!! ん…っんんーーっ!」
強烈な粘着力が私の口を完全に塞ぎ込む。
すると一気に、絶望と恐怖と息苦しさが襲ってきた。
泣きじゃくって鼻水まで出てきていたせいで呼吸が難しい。
これ以上暴れるとますます酸素が追い付かなくなってしまう。
私はもう、どうすることもできなくなってしまった。
「あれっ、もう抵抗しねぇの?」
「…これでいいっすか?」
「おー、サンキュ」
カズヤが男にピンクのビニール紐を渡しているのを私はただ呆然と眺めていた。
…今までずっと、流されるがままに生きていた報いなんだろうか。
きっともっと早くカズヤに自分の意思を伝えていたら、こんなことにはならなかった。
こうなったのは全部自分のせいだ。
“諦め”という黒くて冷たい感情が心をジワジワと浸食していく。
ここまできたら、もう『早く終わりますように』と祈るしかない。
抵抗さえしなければ酷いことはされないはず。
心を殺して無になれば終わってくれる。
今まで酷いことはたくさんされてきた。だからこれくらい、大丈夫。耐えられる。大丈夫…
冷ややかな涙が伝い落ちる。
大丈夫大丈夫と何度も自分に言い聞かせて、私は静かに目を閉じた。
──ガラガラッ!
意識が真っ暗な闇に堕ちようとしていたそのとき、何度も耳にしたドアの開閉音を聞き、私はとっさに我に返って目を見開いた。
「…なっ…!!? お前ら、何やってるっ!?」
野太い男性の怒鳴り声が、地響きのように周囲を揺らす。
聞いた瞬間、反射的に姿勢を正してしまうような聞き覚えのある声色。
見ると、体育教師の野竹先生が鬼のような形相で私たちを睨みつけていた。
180pを超える鍛え上げられた体に敵う生徒は誰一人としていない。
その声を聞きつけたのか、他の教師も血相を変えて次々とやって来る。
男たちはとっさに駆け出したがあっという間に取り押さえられ、カズヤはただ青ざめてその場に固まりつくしていた。
・ ・ ・ ・ ・
それからカズヤたちは職員室へと引きずり込まれ、私は女の先生に付き添ってもらいながら保健室へ案内された。
パイプ椅子に座り、保健の先生が淹れてくれたお茶をぼんやりと見つめる。
…怖いくらい気持ちが落ち着いている。
色々なことがありすぎて思考が今の状態を把握するまで追い付いてないんだろうか。
もしかしたら、家に帰って一人きりになった頃くらいに感情が一気に溢れ出して苦しむことになるのかもしれない。
…とにかく私は助かった。
火災警報のおかげだ。それを聞いて先生たちが見回りに来てくれたから見つけてもらうことができた。
「…あっ、そういえば火事ってどうなったんですか?」
「ああ、あれは生徒が間違って押しただけみたい」
「えっ? そうなんですかっ…?」
じゃあ、私はその人に助けてもらったようなものだ。
不意に“彼”の姿が脳裏をよぎる。
…いやいやいや、そんな都合のいい話があるわけない。
いつまでもお花畑な自分の脳を叱って、私は立ち上がった。
「私、もう帰ります」
「えっ、一人で? お家の方に迎えに来てもらった方が…」
「大丈夫です。家も近いので一人で帰れます」
先生が心配にないように笑顔を作って、これ以上言い詰められないようにそそくさと保健室を出た。
警報を鳴らしたのが誰なのか知りたい。
私は駆け足で職員室へと向かった。
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