▼ 第3話‐02
「…ん…っ!」
頬に添えられていた手が耳を撫で、そして髪へと差し入っていく。
遠慮がちで不器用で、でも熱情的で優しくて、夏見の心を感じ取れるようなその手つきに、理性がどんどんさらわれそうになっていってしまう。
「っふ…!ぁ…ッ!」
不意を突くように唇を甘噛みされ、たじろぐ舌にも軽く歯を立てられ弄ばれる。
こんなに深いキスは、カズヤとは今まで一度もしたことがなかった。
夏見の動きにいちいち反応して声を上げたり体を震わせてしまう自分が恥ずかしくて、我慢できずに私は夏見の肩を押した。
「…っ…!!」
その手をそっと掴まれ、私はまた情けなく身体をビクつかせてしまう。
夏見の冷たい指が私の指に絡まり、爪先で指をなぞられ、ゆっくりゆっくりと手のひらから手首に向かって緩く引っ掻かれていく。
私をなだめようとしているのか、それとも今よりもっと追い詰めようとしているのか…。
繊細で妖しげなその指の運びに何度も胸の奥がくすぐられるように痺れ、吐息が抑えられなくなっていく。
手首をひと撫でして、再び手のひらへと登って…、そして夏見の指は私の指の間に差し入った。
「…っふあ!!」
背筋に走る疼きが最高潮に達した瞬間、ギュッと力強く手を握られ、私は堪え切れず夏見の唇を振り切って甘ったるい声を上げてしまった。
ただ手を触られただけなのに…なんでこんな…っ
私は顔を深く俯かせて手で口を塞いだ。
恥ずかしくて恥ずかしくて、とても夏見に顔を向けることなんてできなかった。
とにかくこの状況から逃げ出したくて、窮屈に折り曲げている体をもごもごと動かす。
すると、握られている手に今度は柔らかな感触が押し当てられた。
「…ゃ…っ!」
反射的に体が強張る。
その感触は、ついさっき自分の唇で感じていたのと同じものだった。
夏見の唇が人差し指を捕え、覗いた舌がイタズラに指先をくすぐる。
舌はそのまま滑らかに側面を伝って付け根へと移動していく。
「あっ…!」
そこで歯を立てられ、腕全体にまで駆け上がった淡い疼きに私はブルッと激しく身震いした。
歯の当たったところを癒すように舌がクルリと這い回り、そして不意をついて再び硬い刺激が指に襲いかかる。
「っう…! …ん…っ!」
さっきよりも強く深く、夏見の歯が指に食い込んでいく。
ゾクゾクと熱い痛みが体中の神経を逆立てて、脳内を掻き乱す。
何度も体が跳ね上がって呼吸がどんどん荒くなってしまう。
キスをされて手を弄られただけなのに、私はおかしいくらいに感じていた。
体が夏見を欲してどんどん熱を上げる。
その熱に頭の中が真っ白に溶かされてしまいそうだった。
…でもダメ、このまま流されちゃダメだ…っ
ギリギリに保っていた理性を奮い立たせて、私は吐息のこぼれる口を開いた。
「な、つみ…っ」
──ピリリリリッ!
全く気迫のない涙声で“もうやめて”と言いかけたそのとき、床に転がっていた携帯がけたたましい音を鳴り響かせた。
…きっとカズヤだ。
そうわかっても、とても携帯に手を伸ばすことはできなかった。
耳を刺す着信音が私をますます追い詰める。
どうしよう。早く、この状況から抜け出さなきゃ、早く…っ
「…電話、出る?」
「…っあ…!」
手首を甘噛みされて私はまたしても甲高い声を漏らしてしまった。
睨みつけてやりたい気にもなったけど、やっぱり夏見と顔を合わせる勇気は起きない。
「出ないの?」
「……っ」
そろそろと手の甲に舌を這わせながら、夏見はいつもと変わらない口調でそう呟く。
出れるはずがないのに、どうしてそんなことを意地悪く聞くの?
…私を試しているの?
彼氏じゃなくて、自分を選ぶかどうか?
…いや、そんなわけない。
自分の考えを否定しようとしても、胸の内ではどんどん期待が膨れ上がっていた。
“夏見は、私のことが好きなの…?”
一度その結論にたどり着くと、もう心の暴走は止まらなくなってしまった。
違う違う違う。自惚れちゃダメだ。
夏見が私なんか好きになるはずない。
それに、私にはカズヤがいる。
彼氏がいるのに他の男に気移りするなんて、私みたいな女がそんなことしたら罰が当たる。
期待や罪悪感でグチャグチャになっている脳内に、鳴り止まない携帯の音や、手に与えられている甘い刺激が混ぜ込まれて私はどうしたらいいかわからず泣き出してしまいそうだった。
自分一人で考えてたってどうしようもない。
私は意を決して、硬く塞いでいた口を再び開いた。
「なんで…っ、こんなことするのっ…?」
必死にそう振り絞ると、夏見がピタリと動きを止めた。
「なんでって…、わかるだろ」
いつも通りの無機質な言い方だけど、その口調は少し呆れているようにも聞こえた。
「わ、わかんないよ…っ!」
「わかれよ」
「わかんないってば! だって、夏見はいっつも何考えてるか全然わかんないもんっ…!」
…とその時、部屋いっぱいに高圧的な音を響かせていた携帯がピタリと鳴り止んだ。
不機嫌そうに携帯を睨みつけているカズヤが瞬時に脳裏に浮かぶ。
ドクンッと心臓が委縮して、鼓動するたびに体が冷え渡っていく。
…どうしよう。カズヤ、絶対怒ってる…
「彼氏のこと考えてる?」
「…ぃた…っ!」
ビックリするくらい手を強く握られ、不安にさらわれそうになっていた意識が狭い狭い教卓の中へと引きずり戻された。
「そんなに好き?」
その声色は、さっきよりも“呆れ”の色が濃くなっているようだった。
「そりゃあ…彼氏だもんっ。…好きだよ…っ!」
自分に言い聞かせるためにも、私はそう強く言い放った。
…すると、夏見が私の手をあっけなく手放した。
突然解放された手には夏見の体温や疼きが深く残っている。
その手をどうしたらいいかわからず、宙に浮かせたままぎこちなく自分の元へと引き寄せた。
そして呆然としている私を置いて、夏見は窮屈そうに教卓から抜け出した。
私も慌ててあとに続いて教卓を出る。
体にうまく力が入らないけど、なんとか携帯を拾って立ち上がった。
「…お幸せに」
「へっ…?」
背を向けている夏見に冷たくそう言い捨てられ、私はその場に心もとないまま立ちすくむ。
黙って背中を見つめても彼の意図はさっぱり読めない。
顔を合わせてたって、何を考えてるかなんてわかるはずもないけど。
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