▼ 第3話‐01
これでこの理科室での秘め事も最後になるんだ。
万華鏡の完成を喜びながら、私はそんな寂しさを内心で噛み締めていた。
「…わー! 綺麗綺麗!」
夏見の作った万華鏡を覗くと、夏見らしい寒色系の世界が広がっていた。
憎らしいことに、私よりもずっと配色や素材選びのセンスがある。
「私の、どう?」
「普通」
「…あぁ…、うん、普通ですよね」
愛想のないコメントにがっかりしつつ、私は万華鏡を置いて窓を眺めた。
外はまだまだ明るい。
カズヤが友達と遊ぶと言って何もしないで帰っていったおかげで時間はたっぷりある。
「このあと作る予定のものって何かあるの?」
「…鏡、もう使わないから勝手に使っていいって」
「えっ!? 先生に聞いたの?」
「うん」
「じゃあしばらくは万華鏡作り一筋?」
「多分」
そこで私は、またここで一緒に物作りができるかもしれない…という浅ましい期待を抱いてしまった。
…いや、でもさすがにもうウザがられるだろう。
「そっかぁ…。完成したら見せてねっ?」
『私も一緒に作りたい』その一言を飲み込んで、私は上っ面な笑顔で当たり障りのない言葉を吐いた。
「オイルマーブル作る」
「オイルマーブル?」
「ガラスの玉の中にグリセリンと具材が入ってるやつ」
「へぇー! 凄い! ガラス細工できるのっ?」
「とんぼ玉とか…簡単なものなら」
「えええっ!すごいすごい!」
「球体の中にキノコ入ってるとんぼ玉作れる」
「あっそれ知ってる!気になってたやつだ! いいなぁーっ私も前々からガラス細工やってみたかったんだよねー」
「…やる?」
「へっ?」
「大体の道具は残ってる」
「え? ど、どこに?」
「家」
…まっ…
待って、ちょっと待って
…それは…っ
“俺ん家でとんぼ玉作り教えてやるよ”って言ってると解釈して宜しいのでしょうかっ!?
「…なつっ…」
──ガチャガチャッ!
「っ!!?」
『夏見の家に行ってもいいの?』そう聞こうとした瞬間、理科室のドアが乱暴な音を立てて揺れ動いた。
「あー、やっぱ鍵かかってるよー」
「ま、こんなのヘアピンで開くべ」
外から聞こえてくるのは2人の男女の声だった。
私と夏見は顔を見合わせる。
こればかしは夏見も動揺をしているのか、いつもの眠たそうな面持ちが少し強張っているように見えた。
もし入ってこられたら面倒なことになるかもしれない。
どうすればいいかわからずオロオロしていると、夏見が私の腕を力強く引っ張った。
──ガチャンッ
「ほら開いたー」
「さっすが」
ドアの開く音を聞き、私はギュッと目を閉じる。
…どうしよう。心臓が破裂しそう。
鼓動をおかしくさせているのは2人が室内に入ってきたから、というだけじゃない。
夏見に連れられ、私たちは教卓の中に潜り込んでいた。
大きな造りとはいえ、高校生2人が隠れるにはかなり体を寄せ合わさなきゃいけない。
夏見の呼吸の振動が伝わってくるほどの密着感に、私の心臓は爆発寸前だった。
「リトマス紙リトマス紙ー」
教卓の中に人が潜んでいるなんて露知らず、理科室に不法侵入した2人はガサゴソとあちこちの棚をあさっているらしい。
「ないなーい!リトマス紙どこだーっ」
「あの引き出しの中探した?」
「まだー」
一人の足音がこちらへ徐々に近づいてくる。
きっと、教卓のすぐそばにある引き出しへと向かってきているのだろう。
どんどん濃くなっていく人の気配に心臓が飛び出しそうなくらい脈打つ。
「……あー!あった!」
引き出しを開けたと同時に男子生徒が大声を張り上げ、私は思わず体をビクつかせてしまった。
「よっしゃーリトマス紙ゲットだぜ」
「このくらい持ってってもバレないっしょ」
そして目的のものを手に入れた2人は、騒々しく笑い合いながら理科室を出て行った。
…ピッキングまでしてリトマス紙を盗むなんて…一体何に使うんだろう…。
──ピリリリリッ
「ひぃっ!?」
一難が去りホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、突如けたたましく電子音が鳴り響き、私は狭い教卓の中でビクンッと激しく身体を跳ね上がらせた。
「ごめんっ! 私の携帯だっ!」
慌ててポケットから携帯を取り出して開く。
着信はカズヤからだった。
「あっ」
今は出るべきじゃない。そう思うよりも先に、私はつい条件反射で通話ボタンを押してしまっていた。
「もしもしーっ?」
やけに上機嫌そうなカズヤの声が耳に響く。
「…もしもし?」
「今どこ?」
「え、えっと…学校」
「これからラブホ行かね?」
「…え!? 何?いきなりどうしたのっ?」
「麻雀で大勝ちしてさー、余裕でラブホ行けるくらい稼いできたんだよ」
「へー…そうなんだ…」
「行くだろ?」
「えっ? …えっと…」
カズヤの突然の誘いにグラグラと心が揺さぶられる。
野外や校内でしかしたことがなかったから、普通のホテルに誘われるのはすごく嬉しかった。
普段なら迷わず「行く」と返事をしてただろう。
…でも、
でも、今は…
もっと…夏見と一緒に…
「──…っ!?」
気の迷いに同調して一点に定まらない視線をふと夏見に向けたその瞬間、ひやりと冷たい夏見の手が私の頬を掴んだ。
瞬きをする間もなく顔を引かれ、そして唇に押し当たった柔らかい感触に私は目を見開いた。
頬に染み込んでくる夏見の手のひらの温度、顔をくすぐる細やかな髪、…重ねられた唇。
真っ白になった脳内が今自分の身に何が起こっているかを理解したと同時に、止まったかと思った心臓が体内を震わせるほどに大きく脈打ち始めた。
「…ッ…!!」
唇をそっと舐められ、ぞくぞくっと背筋が震え上がる。
携帯から「もしもし?」とカズヤの声が聞こえ、私はとっさに通話終了ボタンを押した。
「ん…っ!」
夏見の舌先が、唇を割り開いて私の口内へと侵入する。
そのヌルリとした淫猥な感触にますます身体が騒ぎ立ち、わななく手から携帯が滑り落ちた。
ゴトッと響いた携帯の硬い音に、思わず体が跳ね上がる。
瞬時に脳裏によぎったカズヤの姿。
けれど、力のこもった夏見の手に一層強く引き寄せられると、たちまちその姿は白く掻き消されていった。
深くまで伸びた夏見の舌が、戸惑う私の舌を起こして絡みつく。
狭い教卓の中に満ちる淫らな水音と息遣い。
羞恥や背徳感に襲われ、私はギュッとキツく目をつぶった。
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