▼ 第2話‐05
顔を向けた途端、夏見の両手が私の頬を勢い良く挟み込んだ。
目の前に星が散るような衝撃が引き、今度は手に覆われている頬がジンジンと痺れだす。
「いったぁ…っ!」
痛みに苦悶しながらも、私はとっさに閉じた目を見開いて夏見を睨み上げた。
「いきなり何す…っ…」
夏見の瞳が真っ直ぐに私を捕える。
腕1本分しか離れてない距離で見据えられ、私は声を発するどころか呼吸さえも上手にできなくなってしまった。
心音が、脈打つたびにどんどん大きく早くなっていく。
時間の感覚さえもおかしくなって、1秒がとてつもなく長く感じる。
「…っな…、に…?」
ぎこちない笑顔を無理やり作り、なんとか声を絞り出す。
すると、あっけなく頬から両手が引いていき、夏見の視線はまた万華鏡へと戻っていった。
「なんか、泣きそうだったから」
「…な…? えっ!?」
…なに? 何っ!?
どういうこと?
今のは何だったのっ!?
「なっなんで泣きそうだったからって頬っぺた叩くのさ!!」
「…闘魂注入」
「なんじゃそりゃ!!」
一人で混乱している私をよそに、夏見は私の切りかけのアクリルミラーを手元に寄せてカッターと定規を小慣れた手つきでミラーにあてがった。
「…広瀬」
「はいっ!?」
「グリセリン探してきて」
それはつまり、“切っといてやるから代わりに見つけてこい”ってこと?
「…っ…わかった…」
夏見のペースに振り回されっぱなしなのは癪だったけど、とても夏見のそばにはいられない精神状態だった私は素直に従い、席を立って準備室に向かった。
逃げ込むように急いで準備室のドアを閉め、その場におもむろにうずくまる。
「…っ…」
…キッ…
キス、されるかと思った…っ!
両手で押さえても、それを押し返すかのように胸の鼓動がバクバクと跳ね上がる。
夏見の顔が脳裏に焼き付いて離れない。
震える指先で頬を撫でる。
痛みはほとんど消えたけれど、夏見の手のひらの感触は未だにはっきりと残っていた。
…もうっ…もう! なんなのアイツ!?
ほんっっとに、行動が読めない!!
私がこうなることわかっててあんなことしたの!?
私をからかってるのっ?
ちくしょう!グリセリンじゃなくて塩酸持ってってやろうか!?
「はぁ…っ」
ダメだ、落ち着かなきゃ…っ。
何せ相手はあの夏見なんだから。
こんなことでいちいち動揺してたら身が持たない。
私は頭を激しく左右に振ってグチャグチャに乱れている思考を振り払い、深く一息ついて立ち上がった。
…なんだかんだで、あれは私を励まそうとしてくれてたのかな。
だとしたら、夏見って実はすっごい不器用な性格だったり…?
少し夏見のことがわかったような、逆にますます謎が深まったような…。
あまりにも掴みどころがなさすぎる。やっぱアイツは猫だ。猫男だ。
アクリルミラー切ってもらったら「よーしよしよし」ってムツゴロウさん並に思いっきり頭ワシワシしてやる。
そんな地味な復讐を企てながら、私は薬品棚へと向かった。
第2話‐終
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