▼ 第3話‐04
「な、なっ、何!?」
「寒いから」
返す言葉が浮かばず、グルグルと思考を巡らせていると、玄関に近づいてくる足音が聞こえてきて、私は反射的に「うわーっ」と叫んで彼を突き飛ばした。
「どうしたのっ!?」
「なんでもな…って、タオル持ってきすぎ!!」
悲鳴を聞いて雪崩れのように走り入ってきた2人が両手に抱えている大量のバスタオルを目にして私は再度声を張り上げた。
目まぐるしいこと続きで頭の中を整理する余裕が無い。
とにかく一人になって落ち着こうと、受け取ったタオルで手早く体を拭いてそそくさと浴室へと駆け込んだ。
肌に貼りつく服を脱いで浴室に入り、シャワーをひねる。
冷えた体にお湯の熱が染み入って、細胞がとろけていくような心地に思わず深いため息を吐く。
シャワーに身を委ねながら未だ宗太の手の感触が残っている手のひらに視線を落とす。
不意に気恥ずかしさが蘇って私はギュッと手を握り締めた。
…落ち着け私。冷静になれ。
頭を振って、改めて公園で自分が言った言葉を思い返す。
『今まで我慢してきたぶん、私にワガママ言っていいから』
…そう、そうだ。宗太は私のこの言葉を素直に受け入れてくれたんだ。
…せっかく彼の方から心を開いてくれたのに…。
完全に取り乱して突き放すことしかできなかった自分を悔やみ、もう一度深いため息を吐き出す。
しっかりしなきゃ。
私たちは姉弟なんだから。照れる必要なんかないじゃない。
弟を支える強いお姉ちゃんにならなきゃ。
よしっ、と気を引き締めて私は浴室を出た。
バスタオルが置いてある所に私の着替えが積み重なっている。
きっとお母さんが持ってきてくれたのだろう。
それに着替えて髪を乾かし、リビングに向かう。
「えっ、まだ起きてたの!?」
お母さんとお父さんがソファーに座っているのが目に映り、私は慌てて駆け寄った。
2人ともだいぶ眠たそうだ。
「…宗太は?」
「もう寝るって。2階に行っちゃった」
「そっか。…ごめんなさい、こんな時間まで…」
時計を見ると1時をとっくに過ぎていた。
2人とも明日も仕事なのに…。
申し訳なく頭を下げると、お母さんがそっと頭を撫でてくれた。
「…ありがとう。本当に、ありがとう」
「へ…っ? 私、何もしてないよ?」
「ううん。宗太の顔が今まで見たことないくらい柔らかくなってた。柚希が宗太の抱え込んでたものを取り払ってくれたんだね」
お母さんに改まってそう言われると、嬉しさや照れくささが入り乱れて胸の中心が熱くなった。
…本当に、私は彼を救うことができたのかな。
もっとちゃんと話がしたいな。明日、普通に顔を合わせてくれるかな…。
「あっ!そうだ、身体は大丈夫なの? 風邪悪くなってないっ?」
「え?あ、あーっ。風邪ひいてたなんてすっかり忘れてた」
「今日はゆっくり休んで。明日学校休んでいいからね」
「うん。身体は全然大丈夫だよ。じゃあ、お休みなさい」
心配するお母さんに快活を振りまくように手を振って2階に上がる。
まだ起きてるかと宗太の部屋をノックしようと思ったけど、寝てたら悪いと思い留まって真っ直ぐ自分の部屋に入った。
電気も付けないで一目散にベッドに向かう。
布団に入ったら1分もしないで眠れそう。
ふかふかと体を包まれる至福の癒しを求めて私はベッドに倒れ込んだ。
「…っ!!!」
体に感じたふかふかもふもふとは程遠い感触。
当然布団のことしか考えていなかった私はその恐ろしいまでの異物感に声を失うほど驚愕して飛び上がった。
突き出そうになる心臓を抑えて盛り上がっている布団に触れる。
それは明らかに人がいる感触だった。
意を決して布団を捲り上げると、体の大きな男が小さく背中を丸めて眠っていた。
「宗太っ、なんでここにいるのっ!?」
「……寒い」
「ふゎっ!!」
答えになってない返答と共に手を引かれ、私はなされるがままに宗太の懐にもたれ込んだ。
「ぅわっ、冷た…っ!」
抱きつかれたことよりも、感じた冷気に驚いて声を上げる。
宗太の体は服越しでもわかるくらいに冷え切っていた。
「宗太もシャワー浴びてきなよっ…」
「こうしてれば暖まる」
そう言って宗太はぬいぐるみを抱くみたいに私をぎゅっと抱き締める。
…えぇと、こういうときって“お姉ちゃん”ってどうすればいいんだろう?
『暖まったらちゃんと自分の部屋で寝るんだよ』って言えばいいの?
でもそれまでずっとこのまま!? …ああっ、心臓うるさい!
耳に心臓が移動したのかというくらい騒がしく鳴る鼓動に耐え切れず、目をきつく閉じる。
暴走する心臓のせいで、呼吸までおかしくなってしまいそうだ。
…ドキドキするなんておかしいよ、だって宗太は弟なんだから…っ家族なんだから…!
息を押し殺して、何とか平常心を保とうと何度も自分にそう言い聞かせていると、不意に雨の匂いが鼻先をかすめた。
「……っ!!」
肩口に触れた冷たい唇。
そのままチロリと舌に撫でられ、電気が流れるみたいに体中に甘い痺れが広がった。
「っ…う…!」
首筋をなぞる舌は火照った私の身体よりもだいぶ体温が低くて、その冷たさのせいで余計にゾクゾクと全身がざわついてしまう。
…それに、こんなに優しく体に触れられるのは初めてだった。
今までの怒りをぶつけるだけの行為とは違う甘えるような唇の運びに胸の奥が熱く掻き乱される。
「っい、ゃ…!」
このままじゃまたいつもみたいに流れに気圧されてしまうと、私は唇を噛み締めて体を捩じらせた。
「もうダメだよ、こんな事…っ!」
振り絞った声は嫌悪を感じるくらい甘ったるいトーンだった。
こんな声じゃ逆に誘ってるみたいだ。
当然宗太は私の制止なんて聞き入れず、中途半端に抵抗する私を咎めるかのように肩に緩く歯を立てた。
「っあ…! ダメ、だってば…宗太…っ!」
「嫌だ」
「…っどうして」
「好きだから」
ギシッとベッドが軋んで、また微かに雨の匂いが漂う。
今の一言で完全に思考を奪われてしまった私を仰向けに転がすと、宗太は固まり尽くしている私の上に乗って力無く私の胸元に頭を伏せた。
「…好きだ」
ポツリと吐き出された言葉が胸を深く突き刺す。
「…わっ…私たち、姉弟だよ…?」
カラカラになった喉からそんなありきたりなセリフをこぼすと、宗太は頭を起こして私を真っ直ぐに見据えた。
とてもまともに顔なんて見られない私はとっさに目を背ける。
「そういうしがらみに縛られんのはもう嫌だ」
「っ…でも、でも…」
「素直にワガママ言っていいって言ったのは…柚希だろ」
「……っ」
彼の口から出た私の名前が心臓を跳ね上がらせる。胸が張り詰めて息ができない。
「…初めて、自分の存在を認められた気がした。ずっと押し殺してた弱くて惨めな自分を全部受け入れてもらえた気がした。
…もう我慢なんてしない。柚希を俺だけのものにしたい。俺だけを見てて欲しい。誰にも渡したくない」
カァッと一気に頭に血が上るのがわかった。
宗太の言葉が胸に染み入って、身震いしそうになるくらい体中が震え上がる。
「…でも、柚希にとって俺はただの弟でしかないのか?」
悲しみの入り混じった声色に思わず彼を見上げる。
暗がりに鈍く光る哀切に満ちた瞳は公園での姿を思い起こさせた。
prev / next