▼ 白濁液は蜜の味‐01
……どうして私ばっかりこんな目に。
一体いつから私の運命は狂い始めたんだろう。
……いや、きっと生まれる前から……馬鹿の精子と馬鹿の卵子が合わさったその瞬間から、私は不幸の道を歩かされていたのかもしれない。
深い深い夢の中で光は屈折した過去を振り返る。
光が生まれたとき、両親はまだ17歳だった。
授かった命に『光姫(キラリヒメ)』なんて非常識な名前をつけるような、誰もが認める愚か者同士だ。
当然、光は待ち望まれてできたわけではなかった。
「“ちょっとした不注意”でポロリとできちまった」
2人は恥じらいも反省した様子も見せず、さも面白いことのように周囲に報告していた。
そんなその時の勢いだけで無計画に子供を作ってしまった彼らにもちろん生活能力などはなく、アルバイトを転々としながら親にありったけの援助をしてもらってなんとか細々と生活を続けていた。
しかし光が5歳になったとき、突然、身の周りのもの全てが目まぐるしく一変したのだ。
親元から離れ、新築の一戸建てに移り住み
限界がきていた古い軽自動車は一気にピカピカの高級車へと変身した。
着るものも食べるものも何もかもが高価なものに変わり、まだ幼かった光でも自分たちに何かとんでもないことが起こったんだと理解できた。
まるで魔法にでもかかってしまったような変貌っぷり。
──その魔法の源は、一等の宝くじだった。
しかも買ったものではなくたまたま拾ったもの。
人生大逆転の幸運に見舞われ、光の両親は文字通り狂喜乱舞し、そしてその勢いに乗って外車専門の中古車販売会社を設立。
それなりに経営がうまくいき、さらに調子に乗った2人は趣味がてらにダーツバーを開店させた。
……それまではまだ良かったのかもしれない。
何の苦労もせずに大金を得た2人はたちどころに狂っていった。
そして、店から大量の薬物が見つかったのは2か月ほど前。
その日を境に、光の身の周りは再び一変したのであった。
・ ・ ・ ・ ・
「ぅ……」
鉛を呑み込んだような重苦しさに悶えながら光は目を覚ました。
「……」
そしてまたすぐに目を閉じる。
寝起きが悪いのはいつものことだが、今日はすこぶる調子が悪い。
激しい倦怠感と、ゴーンと鐘が響いているような頭痛。
とても体を起こすことなんてできない光は気だるく寝返りをうって、より深く布団に潜り込んだ。
「……ん?」
……布団?
なんで私、布団で寝てるの?
ていうかここどこ……?
「──っ!!」
今の状況を把握しようと昨日のことを思い起こした瞬間、たちまち意識が冴え渡り、光は体の不調を全て跳ね除けて飛び起きた。
そしてぼやける目を擦って辺りを見回す。
衣類の入った透明のチェストボックスに、色んな物がごちゃごちゃに山積みになっているデスク。
殺伐とした室内は昨日光が上がり込んだ居間と雰囲気が全く同じだった。
そして自分が今の今まで寝ていた布団から忌々しいあの男の匂いがほのかに香り、光は吐き気を催しながら慌てて這い出した。
……ここはアイツの寝室か。
で、アイツはどこっ?
見つけたら骨が割れるまで殴る!!
勢いよく開けたドアの先は居間になっていた。
途端に昨日の記憶がよみがえり、光は血を吹き出さんばかりに唇を噛み締める。
おかしな薬まで使ってこの私をあんな目に合わせるなんて……あのキモメガネザルッ絶対許さない!!
殴って殴って殴って、喉仏潰して、縛り上げてゆっくりとちんこを削ぎ落としてやる……っ!
物騒な計画を練りながら光は血眼になって男の姿を探した。
トイレと浴室と玄関を周り、寝室とは別のドアを警戒しつつ中を開け放つ。
中はまるで図書館の一角のように、びっしりと本の詰まった本棚たちに埋め尽くされていた。
『人体解剖図』『薬理学』『脳と神経のメカニズム』など、光には難しすぎるタイトルの本ばかりだ。
……アイツがこんなの読むの……?
もしかして、カバーだけで本当の中身は全部エロ本とか?
医学本を読む男の姿が全く想像できず、光は怪訝な表情を浮かべて立ち並ぶ本を流し見していく。
そして一番奥の本棚まで到達したそのとき、さらに異様なものが目に飛び込んできた。
「なに、これ……っ」
光を絶句させたのは、目の前に佇む鉄製の扉だった。
本棚に隠れるようにして存在するその扉は物々しい雰囲気を放ち、誰一人も通しはしないというように固く閉ざされている。
ドアノブの上には0〜9までの数字ボタンが並ぶパネルが取り付けられていた。
ただの鍵ではなく、大層なことにパスワード式になっているらしい。
試しに適当にボタンを押してみる。
すると「ビビッ」と小さな電子音がパネルから響いた。
だが、当然ドアノブをひねってみても扉はビクとも動かない。
なんなのここ……すんごい気になる。
しかしパスワードが解らなければ中には入れない。
モヤモヤと扉への興味を吹っ切れずにいるが、光は仕方なく部屋をあとにした。
一階は開かずの間以外全て探し尽くした。次は二階だ。
しかし、二階には2つの部屋があったもののどちらも荷物すら置かれていない空っぽの状態だった。
やはり、あの扉の中にいるのだろうか。
だとしたら自分の力ではもうどうすることもできない。
散々探し回ったあげく、打つ手のなくなってしまった光は居間のテーブルにガクリとうなだれた。
暴力的な復讐など諦めて警察に駆け込むのが一番の得策なのかもしれない。
だが、光には警察に行けない理由があった。
あの馬鹿親の娘だということがもしバレたら、一緒に薬物を使用してたのではないかという疑いのため、検査をさせられることになるかもしれない。
光はそんなものに手を出したことは一度もない。
……しかし、昨日飲まされた得体の知れない薬が気がかりだった。
その薬のせいで何かおかしな反応が出てしまったら……とてつもなく面倒な事態に発展してしまうことだろう。
光は再び強く唇を噛んで男に殺意を燃やす。
男の憎たらしい笑い顔。肌を這っていく手の感触。
薬を飲まされたあとは意識が曖昧になっていたものの、そのおぞましい感覚だけははっきりと残っていた。
……っあ! そういえば、中出しなんてされてないよね!?
一番恐れるべきことに気づき、光はおもむろに立ち上がった。
胸を触られていたところまではかろうじて意識はあった。
けれどそれ以降の記憶はパッタリと途絶えている。
あの状況で男が胸だけ弄って終わりとするわけがない。
きっと最後まで事は行われたはず……。
光はいてもたってもいられず、トイレに駆け込んだ。
そして下着をおろして膣内に自らの指をなりふり構わず深く突き刺して掻き回し、その指を確認する。
だが、入念に何度も試しても白い濁りは見られなかった。
大、丈夫……だよねっ……?
僅かに安堵した光はついでに用も足して、手を洗いに洗面台へと向かった。
ザーーッと溢れる蛇口の水の音を聞きながら、憎悪の冷めやまない頭でこれからどうするべきかを考える。
とにかく男がいなくては復讐のしようがない。
部屋のどこかに隠れて、男が姿を現したところを奇襲するか……。
だが、いつこの部屋に戻ってくるのか検討もつかない男をいつまでも黙って待っていられるほど光の気は長くなかった。
……お腹空いたな……。
考えのまとまらない光の脳内を空腹がさらに掻き乱していく。
ここにあるものは色んな意味で怪しいから絶対食べたくない。
でも何か買うお金もないし……。
あ、そういえば、アイツが昨日持ってた財布どこにあるんだろ?
お金を盗むということを当たり前のように思いついた光は、一番見込みがありそうな寝室へと駆け込んだ。
そして机の上を探すと、すぐにお目当ての物は見つかった。
カエルのキャラクターが刺繍されている子供臭いデザインの長財布だ。
光は遠慮もせず中に入っている金額を確認する。
「……えっ!? 何これ……っ!」
思わず声を上げて我が目を疑う光。
そこには信じがたい量の一万円札が詰め込まれていた。
……はち、きゅう、じゅう……12万っ!?
枚数を数え終え、光は改めて愕然とする。
に、偽札じゃないよねっ? ……うん。多分本物だ。
やっぱりアイツって金持ちだったの?
いや、給料が入ったばっかりとか……?
ますます謎めいていく男の素性。
しかし光はそれ以上深くは考えなかった。
これだけあれば何でも買える。
あれだけ酷い事されたんだから、慰謝料として貰って当然でしょ?
まあ10万ちょっとじゃ全然足りないけど。前金ってことで。
勝手にそう言い張り、突然舞い降りた大金にたちまち心浮かせた光は財布を握りしめて意気揚々と家を飛び出していった。
・ ・ ・ ・ ・
タクシーに乗って繁華街に向かい、まずはドラッグストアに寄って下着と化粧品類を買いあさる。
そしてその近くにあったラブホテルに入り、大きな湯船で疲れ切った心と身体を癒して、数日溜まった汚れを綺麗に洗い落とした。
新品の下着に履き替えて、じっくりと時間をかけて身だしなみを整え、小奇麗になった鏡の中の自分を見て満足げに微笑む。
次は服買いに行こっ。 あ、でも先にご飯食べたいな。
欲に突き動かされるまま、光は立ち寄ったカフェで好きなものを好きなだけ食べ、洋服店でとりあえず身に着ける分の服とコートを購入して着替えた。
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