お薬の時間です | ナノ


▼ こんな所で‐01

「ぅ……」

鉛を呑み込んだような重苦しさに悶えながら光は目を覚ました。

「……」

そしてまたすぐに目を閉じる。

寝起きが悪いのはいつものことだが、今日もまたすこぶる調子が悪い。

激しい倦怠感と、ゴーンと鐘が響いているような頭痛。

とても体を起こすことなんてできない光は気だるく寝返りをうって、より深く布団に潜り込んだ。


「……ん?」

……あれ? この感じ、つい昨日もあったような……。

ていうことは、ここは……。

「──っ!!」

今の状況を把握しようと昨日のことを思い起こした瞬間、たちまち意識が冴え渡り、光は体の不調を全て跳ね除けて飛び起きた。

辺りを見回すまでもなく、そこは楓の寝室だった。

光は身を包んでいた布団を怒りに任せて投げ飛ばし、勢いよく立ち上がって部屋のドアを乱暴に開け放った。


「あ、おはようございますー」

ただならぬ殺気を立たせて現れた光を、テーブルの上でヨガのラクダのポーズのような体勢をしていた楓が屈託のない笑顔で迎える。

もはやこの男に『何をやっているのですか?』なんてまともな質問を投げかけるのは馬鹿馬鹿しい。

光は無言のまま楓の元へと歩み寄り、そして握りしめていた拳を無防備に開いた脇腹へと思いきりぶち込んだ。

「こっっのクソ眼鏡がぁあああーーーっ!!」

「ぐっはぅ!!」

寝起きの女性から繰り出されたとは思えない重い一撃に、楓は息の詰まった呻きを漏らしながらテーブルから転がり落ちる。

光は転がった楓の元へとすぐさま駆けつけ、今度は背中に全身の力を込めた蹴りをくらわせた。

「ぐっへ! ゲホゲホッ! 寝起き早々激しいですねっ……ゴホッ!」

蹴られた弾みを利用してゴロゴロと転がりながら逃げる楓。

それを光が鬼の形相で追い掛け回す。

「逃げんじゃねぇ!クソボケ眼鏡っ!!」

「やだ!だって思ってた以上に痛いんだもん!」

「でぇいっ!」

「あぎゃっ」

楓の進む方向にテーブルを蹴り飛ばして逃げ道を塞ぐ。

そして光はテーブルに体をぶつけて動きを止めた楓にすかさず飛び掛かった。

「あうっ!痛い痛いっ耳ちぎれるーっ」

「死ねぇっ!!」

「ぎゃふっ!」

耳をひっぱって力づくで正面を向かせ、楓の頬に拳をめり込ませる。

手に伝わる骨や肉の感触や、吹き飛ぶ眼鏡、楓の呻き声に爽快感を覚えながら光は楓の髪を掴んで再び拳を振り上げた。

「ストップ! これ以上乱暴にされたら僕壊れちゃいますっ!」

「黙れっ、勝手に壊れろ。そして死ね!」

「悪い子には精子あげないですよっ!」

「そっ……!」

『そんなもんいるか』

そう切り返すはずが、突然呼吸が止まるほどの胸の痛みに襲われ、光は唇を噛み締めてズキズキと激しく脈動し始めた胸を押さえ込んだ。


「ふぅ……っ。昨日あれだけのことをしたのに、まだ自分の身体のことや立場がわかっていないんですか?」

「……っく……!」

「ちゃんと覚えてますよね? 昨日何をしたのか」

「……おっ、覚えてないっ」

「え、覚えてないんですか? 僕の目の前でオナニーしたことも、イきながら精子下さいって言っ」

「ああああっうるさい!そんなことしてないっ!!」

途端に声を荒げて楓の口を両手で塞ぎ込む。

昨夜の出来事を光は何から何まではっきりと記憶していた。

楓の言葉が引き金となり、無我夢中で楓の精液を求めて手のひらにむしゃぶりついた淫猥な自分が一気に脳裏を駆け巡る。

……あんなの私じゃないっ、全部こいつに飲まされた薬のせいだ!

そう言い聞かせても、次から次へと耐えがたいほどの羞恥心が込み上げ、血が煮え立ち顔から耳まで真っ赤に染まり尽くしていく。

「……」

「──ひッ!? ぅぎゃああっ!」

脳内にこびりつく昨夜の記憶をなんとか振り払おうともがいていたさなか

不意に手にぬるりと不気味な感触が伝い、それが楓の舌だと気づいた光は悲鳴を上げて飛び退いた。

「なっなんで舐めっ……ああああっキモいキモいキモいっ!」

「だってなかなか手どかしてくれないんだもん」

「キモいーーっ!手が腐るっ!!」

ぞわぞわと手を這いずりまわる舌の感触を消すため、光は台所に駆けつけておもむろに蛇口をひねった。

光が手を洗っている間に楓は吹き飛んだ眼鏡を拾い上げてかけ直し、やれやれと一呼吸吐く。

「記憶はちゃんと残ってるみたいですし、ちゃんと自分の現状を理解して受け入れて下さいね」

「……っ」

楓の精液がなくては生きられなくなった身体。

精液をもらうためならどんな恥辱にも応じて楓に服従するようになってしまった心。

その事実がプライドの異常に高い光にとってどんなに屈辱的なことか。

……しかし込み上がる憤りは、舌で味わった甘美な感覚を思い起こした途端にグラリと混濁した。

舌全体が熱くとろけ、頭の中までもグズグズに溶かされていくような恍惚感。

口いっぱいに広がる甘味はどんな高級なスイーツでも得ることのできない極上の味覚だった。

“またあの感覚を味わいたい”

無意識にそう願ってしまった光はハッと我に返って情欲をなぎ払い、乱暴に蛇口をひねって水を止めた。

「どうして、私をこんな目に合わせたのっ? 復讐のつもり?」

「まさかそんな。僕はあのお店で光にゃんに氷をぶっかけられて蹴り飛ばされたとき、バキュンとハートを射抜かれたんですよ」

「ちょっと待って! ひかるにゃんって何!?」

「光にゃんは可愛いからにゃんを付けたくなるんだにゃん」

「気持ち悪い!! 二度と私の名前を呼ぶな!」

「えぇーっ……寂しいにゃん」

「…でっ、なんで復讐でもないのにこんな最低なことを私にするわけっ?」

「僕のお手伝いさんになってもらいたくて。でも絶対断られて逃げられちゃうだろうから、なにがあっても僕から離れられないように薬を使わせて頂きました」

「お手伝いさんっ……!?」

「薬の開発に集中するために、家事とかを全部こなしてくれる人を探してたんですよ。そしてあなたに出会って、このお方しかいない!と思いまして」

「薬の開発ってなに……っ? ていうかあんたって何者なの!?」

「んー、まあそれらは追々お話するので、とりあえず台所に立ったついでにご飯作って下さい」

「……はっ!!?」

「インスタントラーメンでいいので。よろしくお願いします」

「なんで私がそんなもん作らなきゃいけないわけ!? バッカじゃないのっ!」

「僕昨日からまともにご飯食べてないんですよ」

「自分で作ればいいでしょ!」

「徹夜したし殴られたしでもうヘトヘトなので作る気力ありません」

「知るか!」

「……作ってくれないんですか?」

じゃあもう精液はあげないですよ。

そう言われるかと思い、光はとっさに身構えた。

再び胸の痛みに襲われて嫌でも言う事を聞くしかなくなってしまう。

……しかし楓は何も言わずにのそのそと四つん這いで移動し、部屋の隅に投げ出されたままになっていた光の買い物袋を手に取った。

「仕方ないから紙でも食べてます……」

「え? はっ? なにっ……ちょっ!」

弱々しく呟いて袋から取り出したのは数枚のレシート。

そして楓はその一枚をおもむろにムシャリと口にくわえた。

「きょわーーーっ!!? 何やってんのあんたっ!!」

「おもひろい叫び声が出まひたね」

「いやっ、ちょっ! 何やってんのって! そんなもん食うな気持ち悪い!!」

「僕、食べるものがなにもないときはこうやって紙を食べるんでふよ。紙もよく噛んで食べればおいひいでふよ」

「いやあぁっ!やめろっ気色悪い!ラーメン作るからっ!だから私の前でそんなおぞましいことすんな!」


そうして嫌々ながらご飯を作ることになった光。

自らの手で料理を作ることは当然初めてのことだ。

袋に書かれている作り方をまじまじと見つめ、コンロに楓と自分用の鍋を2つ置く。

そして水を入れてひたすら煮る。

初めての調理は失敗のしようがないほど簡単なものだった。


「はいっ!」

「……あら!普通ですね!」

テーブルに置かれた鍋を覗き込み、楓は驚いたような声を上げる。

「普通って何よ!?」

「いやあ、なんかもっとこう、漫画みたいに真っ黒に焼け焦げたり途中でコンロが爆発したりするかと思ってたので」

「私をどういう人間だと思ってんのよ!」

「いたいっ!」

割り箸でドスンと頭を突かれて悶絶する楓。

光はそんな楓を尻目に、新しい割り箸を取り出して自分用の鍋をテーブルに置き、淡々とラーメンをすすった。

安いインスタントラーメンらしいシンプルな風味が広がり、空腹を満たしていく。

私もやろうと思えば普通に料理できるのね。まぁ3分煮るだけだったけど。

そう心の中で自分に感心しながら二口目を口に運ぶ。

「……で。あんたって何者なわけ?」

「へ? あぁ、えーっと……あの部屋の中にあるドアのことはもう知ってますか?」

鍋に箸を入れようとした寸前で光に質問を投げかけられ、楓は箸でドアの方向を指す。

箸が向けられたのは小難しい書籍がぎっしりと詰まっている部屋。

その部屋の奥にあった怪しさ全開の鉄の扉のことだとすぐに理解した光は僅かに身を震わせた。

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