First Valentine


 2月14日
 St. Valentine’s Day.

 女の子が想いを寄せる男の子にチョコレートを贈る。

 それはこの国だけの風習――。


「不二先輩…。何スか、これ」
 今日はバレンタインデー。いつもの部室、いつもより早い時間に呼びだされ、ドアを開けるなり笑顔と供に差し出されたモノ。
 リョーマの的をハズした質問に、クスクスと不二が笑った。
「何ってチョコレートだよ。越前、チョコ知らないの?」
「いや、チョコはわかるんだけど……」
 キレイにラッピングされた包みから微かに漏れる甘い香りで、中身がチョコレートだという事はわかっている。しかしなぜバレンタインのプレゼントにチョコレートなのかが、よくわからない。
 アメリカで育ったリョ−マは『バレンタインにチョコレートを贈る』という日本人の固定概念を知らない。恋人同士の世界的イベント日に、いきなりお菓子を渡されて、子ども扱いされたような気分だった。
 不満が顔に出ていたのか、急に不二が思い至ったように笑顔を見せた。
「ああ、越前は日本のバレンタインは初めてなんだ」
「日本の…って、なんか違うの?」
「あのね、日本では女の子が男にチョコをあげるっていうのが定番なんだ。もっとも僕たちはどっちも男だけど」
 そう言って、ちょっと照れたようにクスリと笑う。普段ならつい見惚れてしまいそうな笑顔だが、今のリョーマはそれどころではなかった。
「俺っ、今日は部活休みますっ!」
「え?越前?」
 不二が問いかけるより早く、リョーマは走り去ってしまった。


 少し離れた通りから青学の正門を目指して一人の少年が歩いて来る。白ランにオレンジ色の髪。かなりめだつ(笑)
 千石だ。いつにもましてニコニコと機嫌がよさそうだ。
「不二くん、俺にチョコくれるかな〜。まぁ、くれなかったら俺があげるからいーけど。って、あれ?」
 前方からリョーマがものすごいスピードで走って来るのが見えた。ほとんど猛ダッシュと言っていい勢いだ。
「おーい、越前くーん。て、ちょっとちょっとっ!」
 そのままダッシュで通り過ぎようとするリョーマの襟首を、あわててつかんで引き止めた。一瞬首が絞り、ひとしきり咳き込んだリョーマが、恨めしそうな涙目で千石を見あげた。
「なに?俺いそいでんだけど」
「ごめんごめん、でも無視するコトないでしょ。どーしたの?そんなに急いで」
「……。あんた部活は?」
「今日は部活ない日なんだ」
 …ウソツキ。もちろん不二に逢う為のサボリである。
「そういう君こそ部活どうしたの?今日は青学は練習日でしょ」
「…買い物」
「ありゃ、パシリ?」
「そーじゃなくてっ!!」
 ついムキになって叫んだ時、後ろから聞き慣れた大好きな声がとんできた。
「越前!」
不二が走って来る。
「あ〜、不二くん!」
「不二先輩…。なんで…?」
 嬉しそうな声をあげる千石と対照的に、リョーマが少し困惑したような表情をした。
「だって越前、急に帰っちゃうから。具合でも悪いのかと思って、心配で…」
(…具合が悪い?)
 思わず千石はリョーマを見た。普通、体調不良の人間は全力疾走したりしない。
「手塚には、そういう訳だから越前を家まで送って来るって言って来たよ。それに越前、僕のチョコも置いていっちゃったし」
「あ…」
 慌てて出て来たので忘れて来てしまったらしい。よりによって一番大切なものを…。
「はい、もう忘れないでね」
 改めてリョーマにチョコを渡す不二を見ながら、千石はカバンから出しかけたチョコを引っ込めた。
(なーんだ。そういうコトね…)
「不二くん、不二くん。一応訊くケド、俺にはチョコないの?」
「千石くん…。ごめん、今年は越前以外は…」
「あはは、わかってるよ。冗談、冗談」
 実はちょっとだけ本気だったが、さすがにそうは言えない。
「フフ、千石くんなら僕があげなくても、すでにたくさんもらってるんでしょ?」
「そんなコトないよ〜。俺、けっこう誠実なんだから。本命からしか貰わないって」
 …大ウソツキ。ついさっき、大きな紙袋3つ分の貰ったチョコを部室に放り込んで、私情入りまくった地味’Sの冷たい視線に見送られて来たばっかりだ。
「不二先輩」
 それまで黙って二人の会話を聞いていたリョーマが声をかけた。
「俺、行かなきゃならないとこがあるから。先輩は先に練習に戻って…」
「ち、ちょっと越前くんっ、こっち来てっ。あ、不二くんはそこで待っててね」
 言いおわる前に千石がリョーマを引っ張っていった。話し声が聞こえないくらいの場所まで来ると、ようやくリョーマの腕を離す。
「まったく、せっかくのバレンタインに恋人ほったらかしてどこに行こうっての。明日にするとか、一緒に行くとかじゃダメなのかい?」
「……チョコ」
「は?」
「不二先輩にあげるチョコ買いに行くんだ」
「え〜、用意してなかったの?」
 千石のあきれたような声にリョーマがムッとした顔をした。
「プレゼントは用意してたよ!でも日本じゃチョコを贈るなんて知らなかったんだ!」
「なんだ、プレゼントがあるなら、いいじゃないか」
「よくないよっ。メインがなきゃ意味ないじゃん」
「あのさぁ。こういうのって気持ちの問題なんだから…」
 拗ねた子供のようなリョーマが、なんだか微笑ましく感じてきた。恋敵のはずなのに、まるで弟を宥める兄のような心境になる。
「とにかくチョコにこだわらなくてもいいんじゃないかな。何もかも完璧にする必要ないよ」
「でも俺は完璧にしたいんだ」
 今年は不二と出会って、そして恋人になって初めてのバレンタインなのだ。完璧にととのえて、不二を喜ばせてあげたい。誰よりも誰よりも、自分こそが、あの人を最高に喜ばせる存在でありたい。
(やーれやれ。そんな顔されちゃ、協力してあげたくなっちゃうじゃん)
 思わず微笑して、千石はカバンの中からリボンのかかった箱を取り出した。不二に贈るつもりで奮発した、結構、値の張るチョコレート。
「越前くん。コレあげるから機嫌なおしなサイ」
 半ば強引にリョーマの手に持たせた。
「チョコレート。だからこのまま不二くんとデートしてきなよ」
「…もらいもんなんじゃないの?」
「違う違う。自分で買ったんだよ。本命にあげるつもりだったんだけど、もう必要なくなったからさ」
 それに最終的に不二に食べてもらえるなら、それも悪くない。多少むなしくはあるが…。
「……」
「ほら、行った行った!俺ももう帰るから。不二くんによろしく」
 そう言ってきびすをかえす。
「あのさ!」
 リョーマが、まるで怒っているかのような大きな声で呼び止めた。
「俺、べつに一人でも不二先輩とはうまくやれるから」
「うん」
「だけど一応お礼は言っとくよ」
 それだけ言うと、プイっと顔を背け、不二の方へ走って行った。照れていたのか、少しだけ赤らんだ顔が、千石には見えていた。


「越前。話は終わったのかい?」
「先輩、これ」
 さっき千石から受け取ったチョコを差し出した。
「千石サンから」
「千石くんから?」
 リョーマが頷いた。
「もらってやってよ」
「…そうだね。越前がいいならもらっておくよ」
 微笑んで、その箱を受け取った。
「先輩、俺も練習戻りますよ。その前にちょっと買い物付き合ってもらっていい?」
「いいよ。何買うんだい?」
 ニッと笑って答える。
「チョコレート」
 リョーマが不二に贈るチョコ選びに必死になっている頃、千石も練習に戻る為、山吹中テニス部の部室にいた。
 ふと、チョコレートでいっぱいの紙袋が目にとまる。義理、本命、いずれも色とりどりの包装紙やリボンで可愛らしく装飾されている。もらった時にはご満悦だった千石だが、今は却ってその量が虚しい。
「あ〜あ。なんでこうなるかねぇ。地味’Sの呪いかなぁ」
 違います。
 冗談か本気かわからない事を呟きながらジャージに着替え、テニスコートに行くと、南が驚いたような表情で話しかけてきた。
「千石!どうしたんだ?今日は本命とデートじゃなかったのか?」
「あはははは。フラレちゃったー」
「え!?」
 あっけらかんと応えられて、むしろ南の方が顔を引きつらせた。
「そ、そうか、残念だったな。だが気を落とすなよ。お前には紙袋3つ分の女の子たちがいるじゃないか。あの中に来年の本命がいるかもしれないぞ」
「いやー、でも俺の今年の本命って、女の子じゃなかったんだよねー」
「……は?」
「男の子だったの。本命」
 けろりと予想を遥かに越えたコトを言われ、南の顔がますます引きつった。
「でも慰めてくれるなんて、南ってばやさしーなー♪」
 ざざざーっと派手な音をたてて南があとずさった。
「おっ、俺はそっちの趣味はないからなっ!!」
「そんなコト言うなよ、南〜♪」
「うわぁぁぁっ!」
完全にからかわれているのだが、南は本気で逃げ出した。


 翌日、千石のもとに小さな包みが届く。

『千石くんへ

一日遅れちゃったけど
  happy Valentine

P.S.昨日はありがとう』

 チョコレートに添えられたメッセージカードに記された差出人の名前は、彼の今年の本命のものだった。


 END


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