恵桜介・私立大和中等学校へ入学


その人は、突然現れて僕の日常をめちゃくちゃにしていった。


入学してすぐの実力テストが終了し、結果が貼りだされたその日の夜。いきなり部屋のドアを開けたかと思うと、白河鷹臣は高らかに恵桜介へと宣言した。

「今日からお前は俺の恋人だ。俺の部屋に来い」

と。
眼鏡をかけた、気の弱そうで真面目そうなルームメイトは、突然の上級生の訪問−しかも相手はあの白河鷹臣である−に、おしっこをチビらせる勢いで怯え、目で「恵くん何やったんだよぉ」と問い掛けてきた。
その顔に「何もしていない、知らない」と返したかったが、彼があまりにビクビクしている上に、鷹臣が力強く強引だったものだから、桜介は何も言えないまま拐われてしまったのである。

−そこから地獄のような日々が始まったのだ。−


鷹臣の部屋に着くなり、桜介はふかふかな黒いレザーソファに座らされ、隣に座る鷹臣に肩を抱かれた。
まだ、身長が152センチしかない小さな少年からしたら、183センチの鷹臣は巨人にしか思えない程大きい。その上に外国人のマッチョのような分厚い体躯に、すっぽりと肩のでっぱりを包むごつごつした手と、桁外れの体格が恐ろしくて仕方がなかった。
頭一つ分以上鷹臣の顔は高い位置にあるし、もやしのようにひょろひょろで貧弱な桜介とは違い、彼はゴリラのように横幅も厚みもある。
上級生が「あのゴリラ野郎」と悪口を言っていたのを聞いたが、今、まさにその通りだと実感した。鷹臣と自分を同じ中学生と思ってはならない。
もし彼にサンドバッグ代わりにされてしまったら、体中の骨が粉砕するだろう。
それくらい、すぐ隣に居る男のオーラと巨体は異常だ。

しかも桜介は鷹臣の噂をもう十分耳にしているのだ。
良くない噂を、沢山…

『小学生の頃から喧嘩が強くて、ある小学校を潰したけど、お金の力で表沙汰にはしなかったって長瀬くんが言っているのを聞いたし、島田くんも、近くの西高生と何度も喧嘩してボコボコにしてるって言ってた。田村くんが、近くを走っていた暴走族を煩いって理由で一晩で潰したって言ってたよね…暴走族って何人くらいいるんだろ?五十人くらい?ともかく、白河先輩はそれを一人で……そ、それに白河先輩が大和にいるのは、問題を起こすなら身内の学校内にしろってお父さんである理事長からの命令らしいし…』

ほかにも、もっといっぱい…数えられないくらい白河鷹臣の噂は聞いたのだ。
しかも、その噂はどれも信憑性があるように思えるから恐ろしい。この類希なる体つきがその証拠だ。
桜介はぶるりと身震いした。

『もう、どうしよう。こんな人が僕に何の用があるんだろう…』

鷹臣が桜介を拐う理由…薄々だが、予想は出来る。
桜介は自身が周りの生徒と毛色が違うことを自覚しているのだ。
女のような顔をしているし、色素が薄く、ハーフっぽい顔立ちだ。身長も小さいし、男らしくない、まだ幼い頼りない体つきなので、女子にしか見えない。
そのせいか、同級生達に可愛い可愛いと持て囃されている。

きっと鷹臣はそれが気に食わないのだろう。一年のくせに目立つことすんじゃねーよと。

『だ、だからきっと、これからいっぱい殴られちゃうんだ…一年生のくせに、ち、調子にのったから…だから…』

何処の世界でも、入ってきたばかりの奴が目立つと煙たがられる。嫌われる。
東京の小学校に入学した時もそうだった。気の弱い桜介は初めのうちは馴染めず、あまり友達ができなかったし、陰口だって言われていた。勉強も最初は苦戦したから、余計に馬鹿にされていたと思う。
今回もそうなのかもしれない。いや、今回はそんなものよりもっと酷いに決まっている。

真っ青な顔で自分の白い膝を見るとガクガクと震えていて、行儀良く乗せられた両手も同じようにガクガクしているし、指が白くなるくらい力強く拳を作っていた。
それくらい、緊張してしまっていて、ピクリとも動けない。
それが良いのか、鷹臣は体をベタベタと触ってくるし…恐怖は余計募った。


「恵、俺のことは知ってんだろ?なんだって俺様は有名人だからな」
「…っ!」

耳元で囁かれ、肩が跳ねてしまう。
がさつで暴力的な噂ばかり目立つくせに、彼の声は甘ったるくセクシーで、上品な上になめらかだ。
ビターチョコレートを艶やかに溶かしたような甘さとほろ苦さ、色気があり、桜介は思わず、赤面してしまった。
中学三年生なのに、充分に大人の色気がある鷹臣は、刺激的過ぎるのだ。

「し、知ってます…!し、白河鷹臣先輩ですよね…」
「そ。白河鷹臣先輩だぜ?でも、恵はもっと前の俺を知ってるはずだ。…な?俺らはザルツブルクで会ってる」
「ザルツブルク…?」

鷹臣の口から飛び出した突然の地名に驚く。
ザルツブルク…オーストリアだ。は?オーストリアがどうしたというのだ。何故そんなところ?