熱の条件 | ナノ






《あの、みんなと遊んでたのに、電話してごめんなさい…その、大したことじゃなくて、だ、大丈夫だったんですけど…えっと、お、襲われかけて…それで、不安になっちゃって…今は大丈夫です。僕が不注意してたのが悪くて、寝てたし…部屋の鍵、ちゃんとしめたから…あ、それだけで、ほんと、ごめんなさい…》

電話越しにそういう桜介の言葉に、アキラはもう何もかも投げ出して桜介の元へ向かいたくなった。
今みんなで決めた作戦も、せっかく隠している交際ももうどうでもいい。どうなったっていい。そんなの知らない。今すぐ桜介を抱きしめて慰めなければならない。
バレたっていい、制裁されてもいい。とにかく、桜介の所へ行かなくては…そんな気持ちが急いて、冷静になっていられない。

「すみません、桜のところに行かないと。何か危ない目に遭ったみたいで」
「は?ミッキー、危ない目に遭ったって…恵くんは何処にいるんだ」
「自室だよ。籠原先輩は八時まで留守にしているから一人でいるはずだ。俺が行って、慰めないと…」
「自室って、寮の自室だろ?君が行って恵くんの部屋に入るのを見られたらどうするんだ。ミッキーとは交流がない三年生の棟なんだぞ、一人で行ったら不自然に目立つだけだ」

鐐平の忠告に、そんなのは解っていると怒鳴りたくなった。今はもう目立つとかそういうのを気にしている場合ではないのだ。
桜介は大丈夫だと言っていたが、明らかに大丈夫ではない。冷静を装ってはいるが何を言っているのかよく分かっていないくらいにパニックを起こしているし、誰かに襲われたんだ、相当ショックを受けているに決まってる。
ああもうすぐにでも行ってやりたい。鐐平の言葉が煩わしい。

「官僚、それでも俺は行くよ。桜を一人にしておけない」
「三島くん、それなら俺と一緒に行きましょ。俺の部屋は恵くんの部屋から近いし、一度俺の部屋に入って、中から廊下の様子を伺って、人通り無くなったら恵くんの部屋に行くといいと思うよ」

顔を青くしているアキラを見て、西山が冷静に提案してくれた。スマートに立ち上がり、無駄の無い動きで荷物を纏める。

「西山先輩、でもルームメイトの方は…」
「大丈夫、心配要らない。俺のルームメイトはそこのデブだから」

日藤が僕やで、と手を挙げた。

***

雨が降っているせいなのか、食堂に行っているからなのか、幸い廊下は人が殆どいない状態で静かだった。何処かの部屋からは、ギャハハハ!というバカ笑いが聞こえる。そして別の部屋からは大音量でゲームをプレイしているのであろう、機会音が響いている。

一人の生徒がアキラと西山を見て「あれ、西山どうしたの?話題のイケメン転校生くんと一緒じゃん」と声をかけてきたが、咄嗟に「俺の叔母が昔、三島くんにピアノレッスンしてたんだよ。三島くんからそれ教えてもらって、じゃあ俺の部屋でお茶でもしましょってなったわけ」と、上手く嘘をついてくれたお陰でどうにかなった。
「それなら三島くん、今度俺ともメシ一緒してよー」なんて軽口を叩きながらその生徒は食堂へと走って行った。その彼が居なくなると、もう廊下には自分達しかいない。チャンスだ。
西山には部屋で待ってもらうよう伝え、桜介と嗣彦の部屋の扉を確かめる。
予め伝えておいたとおり、鍵は掛けられていない。そのままサッと開けると、体を部屋の中へ滑り込ませた。後ろ手でロックし、走るようにリビングへ飛び込んだ。
心臓が痛い。

−ガチャッ!

「桜、ごめん!」
「いえ、あの…ごめんなさ…」

乱暴にリビングの扉を開けると、部屋の隅で膝を抱え蹲る桜介がいた。
青白い顔をしてこちらを向き、唇を震わせている。
その表情が痛々しくてアキラは泣きそうになった。

紺色のルームウェアを来た彼は、頭からバスタオルを被っている。髪が濡れているからシャワーを浴びたのだろう。

あの時、自分は何を考えていたのだろうか。
黒い影に染められ、不気味に笑う桜介。自分を騙し、白河鷹臣を愛している桜介。
騙されている自分を嘲笑うような幻覚を抱いていた。その幻覚に気分が悪くなった。どうしようと思った。桜介は穢れていると。

『嗚呼、俺はバカだ…』

目の前の彼を見たら、そんなまやかしは嘘だとあっさり解る。口では大丈夫だと平静を装いながらも、心の中では傷ついている。下唇が真っ白になるくらいギュッと噛み。何かを堪える彼を見て、あんな妄想が出来るわけがない。
その小さな体を抱きしめ、これでもかと力強く腕を回した。ごめん、と伝えるように

「ああ、ごめん、俺のせいだ…ごめん桜…」
「そんなことないですっ。アキラくんは何も悪くありません、僕が悪いんです…その、未遂でしたし、だいじょぶ、です…すみません、呼び出したりして…」
「何を言ってるんだ…」

−そんな馬鹿なことを言うのはやめてくれ
未遂だとしても襲われたことにはかわりない。大したことがないなら、こんな震えないだろう。こんなに、血の気のない顔色にならないだろう。

「桜、何があったんだい。本当に大丈夫なの?怪我は?何処か痛いところは…」
「怪我はしてないです…でも、僕、アキラくんとの約束を…ひっく、ふ、うぅ…っ」