『触るな危険』の後日談 今日はいつもより早めに練習場に着いた。別に特別な理由があったわけじゃないけど、強いて言うなら早く起きてしまったからということになる。寒い朝に目が覚めてしまって、損した気分になったことは言うまでもない。けれど、 「おはようございます!」 車を降りたところで後ろから名前ちゃんの声がした。彼女はよく気がつくし優しいし、こんなことを言うとキザったらしいけど春のあったかい日みたいに穏やかで良い子だ。こんな寒い日に朝一で名前ちゃんに会えるなんて早起きは三文の得とか上手いこと言ったもんだな、なんてしみじみもする。ただ一つ彼女に対して腑に落ちないことがあるとすれば、ガミさんと付き合っていることだろうか…何故こんな良い子が、と常々思っている。 「世良さん早いですね」 そんな失礼なことを考えているとは知らず、名前ちゃんは爽やかに走り寄ってくる。 「名前ちゃんこそ早いじゃん。電車で来てんでしょ?」 そう問いかけると彼女は表情を曇らせて、そして困ったようにため息を吐いた。 「実は昨日チカンに遭っちゃって…」 「―って言ってましたよ」 俺が何故こんなことをガミさんに報告しているかというと、偶然俺と名前ちゃんが話しているところを見たガミさんに問い質されたからだ。その顔はいつも通りの良い笑顔だったけど、俺にはわかった…この人ホントはスゲー嫉妬深い。 「え?チカンって、名前が?」 「はあ…そうみたいっス」 何をそんなに驚くことがあるんだろう。普段あれほどセクハラをしておいてガミさんスゲー棚上げだなあなんて思った時だ。 「…ぶっ殺す」 今まで聞いたことがない声が発せられて、思わずビビった。今のホントにガミさんかと顔を見上げれば、彼は静かにブチ切れていた。 「あの、どうしたんですか?」 気がつけば背後に名前ちゃんが立っていた。ガミさんのあまりの迫力に気がつかなかったけど、今の殺気立った空気に彼女も少し違和感があったようだ。怪訝な顔で俺たちを見ている。眉毛がハの字に下がってるのが可哀想だ。初めてこんなに怒ったガミさんを見て、さぞ不安だろう。 そんな名前ちゃんの肩に手を伸ばしぎゅっと愛しそうに抱きいたかと思うと、ガミさんはおもむろに口を開いた。 「名前、一緒に暮らそうか」 「は?」 当の彼女を差し置いて、思わずアホみたいな声が出た。そんな俺には目もくれず、ガミさんは彼女だけを見ている。ガン無視である。 「俺はお前が俺以外に触られるのが我慢できないんだよ。痴漢なんて尚更だ」 ゆっくりとした口調で諭すように彼女に語りかけるガミさんは、男らしくてかなり格好良かった。だがしかし、だからって同棲する理由にはならないだろ、と胸中でツッコミを入れる。 「あの、それは電車の時間を変えれば済むことですから…」 「俺にお前を守らせてほしいんだよ」 これからずっとな、と言葉を締めくくったガミさん。これってもしかしてプロポーズじゃね?と気づいたときには既に二人の世界が広がっていた。 できれば俺がいないところでやってほしかったとうんざりしながらその場を後にする。おそらくそう遠くない未来に備え、俺はご祝儀の額を考えることにした。 END :111118 戻る |