忌酒です!(馬平)





 馬超が髪を結わえ直す為、紐を口に咥えていた時を嚆矢とする。
 馬超は唐突に紐を短く持ち、関平の目の前でゆっくりと其れを動かし始めた。
 普段なら関平も、何のつもりだと顰蹙するのだが、何故か追う様に視線を揺らし、連動して同じ様に頭も動いている。

「…従兄上」
「ちょっと待て。今大事な所なんだ」

 何がどう大事なのか是非ともご教授願いたい所だが、従兄は何かに集中すると周りが見えなくなる質で、然も一度言い出した事は頑として譲らない。其れを重々承知している馬岱は耳杯に酒を注ぎ、ぼんやりと其の光景を見つめていた。
 宴も闌とは言え、馬超が気兼ね無く酒に酔っているのは随分と久しい事。昔はそうでも無かったのだが、蜀に帰参する以前にお山の大将気分を根刮ぎ削がれ、猪突猛進さも勇猛さも、そして飽く迄も一歩距離を置いた人付き合いをし、馬超は人を信用する事が出来なくなってしまった。
 其れを…詳しい理由はわからないが、関平はそんな馬超の心を溶かし、今はこんなにも酒に酔っている。
 其れは馬岱にとって懐かしくも、待ち望んでいた光景だった。

「…!」

 突然、関平の身体がびくっ!と大きく震えた。
 どうしたのかと馬岱が視線を移して見ると、どうやら馬超が紐を隠してしまった事に驚いている様だ。

「うー…」

 相当驚いたのか、其れとも今迄追っていた玩具が急に無くなってしまったせいなのか。
 関平はがっくりと肩を落とし……どうしてかな、彼の逆立った髪もしょんぼりと下を向いてしまったかの様に見える。然も両の瞳も潤んでいて、其れは正しく、

「岱!」
「何ですか、急に大声」
「この犬飼いたい!」

 ぶっっ!!!

 余りの素っ頓狂な発言に、思いっきり頭を几に突っ伏してしまう馬岱。
 お蔭様でおでこが痛いし、変な涙が出てしまった。
 そんな馬岱を余所に馬超はぴょんと几上に飛び乗り、ぎゅうぅっと関平の頭を抱き締める。
 関平、ちょっと苦しそう。

「いいだろう?岱」
「いいとか…そう言う問題ではないでしょうに!」
「ちゃんと世話もするぞ?散歩も風呂も毛繕いも」
「関平殿の人権とか尊厳とか見事に踏みにじりましたね」

 もはや酒興の範囲では収拾出来ない発言に、此れがもし関公に知れたらと馬岱は全身に冷や汗を欠いてしまった。
 赤い顔を更に真っ赤にさせて……息子が七日で帰ったのなら赤兎に跨がった親父は一日で来るだろう。路条が無ければ関所の通過は認めんとか言った日には強行突破、薙刀一閃、顔良の二の舞い決定である。
 そうなる前に従兄に前言撤回させなければ!
 心中、強くそう誓う馬岱。
 と、其の時、馬岱の褌がぐいぐいと強く引っ張られた。何事かと馬岱が視線を落とすと――――…其処には、あほ面引っ提げてべったりと床に座り込む馬超がいた。

「なあなあなあなあー」
「頑是無い子供ですか、貴方は!そんな駄々が許せるのは精々十代前半迄ですよ!」

 ……と、語気鋭く叱咤され、流石の馬超も縮こまってしまった。
 其の姿を見た関平は、のそのそと四つん這いで馬超の傍迄歩みより、まるで慰める様に馬超の頬に頬擦りをし始める。
 普段見せない愛らしい、健気な行為は馬超の心を擽り……以前に泥酔状態なのだから顔に締まりがないのは当然である。馬超は半べそをかいていた面にぱぁっと笑顔を咲かせて、

「ほら、こいつも俺に懐いてる!」
「酔っ払っているだけです。従兄上もね」
「絶影よりも愛情を持って接するから」
「違う愛情を持って接してあげて下さい。てゆーか絶影は曹公のう」
「ばちょーどのー」

 舌たるい口調で情人の名を呼び、関平は馬超に抱き付いた。そして一度にっこりと微笑み…流石は酔っ払い。
 先の失礼極まりない発言を肯定するかの様に馬超の首や髪、頭をくんくんと匂い始め……何と何の躊躇いもなく馬超の頬をぺろぺろと舐め出したのだ!

「はははっ!擽ったい」

 何がはははだ。
 ……なんか此のつっこみ、横山光輝の「むむむ」「何がむむむだ!」珍問答に似ている気がする。そう思うと、やはり馬超を説得するには李恢で無ければいけないのか。何故あの珍問答で馬超は蜀に降る気になったのかは未だに不明だが、馬岱は本気で李恢を呼びに行こうかと考え、然し斯様な羞恥を人に見られるのも嫌である。
 どうする俺、どうする俺、と某広告放送の様に悶々と悩む馬岱だが…

「…っ」

 頬だけでは飽き足らなかったのか、関平は頬から目尻へ、目尻から額へ、額から鼻梁を丁寧に舐め上げ、此れが最後と言わんばかりに馬超の唇をぺろぺろと舐める。
 少々ざらつく、然ししっとりとした生暖かい感触は馬超の感情を高揚させるには十分……基、酔っているからこその無礼講。
 後はもう、押し倒して服従のぽーずしかあるまい!
 馬超は関平を押し倒そうと勢い良く立ち上がり――――馬岱は、其処ら辺に転がっている銚子を手に取った。

「へいーーーーっ!!」
「はよ寝ろ此の酔っ払っい!!」

 ぱっりーーーん!!

 まるでイ○ロー並みのふるすいんぐを躊躇無く馬超に喰らわす馬岱。
 重いし速いし、幾ら錦馬超と畏怖される馬超とて酔っ払っているのだから回避する事も出来ず、意識を手放し其のまま関平の胸に倒れ込んでしまう。
 当然、馬超と同じくらい泥酔状態の関平は後ろに倒れ込み――――…

「あだっ!」

 見事、後頭部を床にぶつけてしまい気を失ってしまった。
 後に残ったのは、すやすやと居心地の良い寝息を立てる馬鹿っぷる二人と、ぜえぜえと乱れた息を整えながらある決断をする従弟の姿だった。





――――――――



 明けて翌日、早朝の事。
 几上に並べられた朝餉は美味そうな匂いを漂わせていて……然し馬超と関平は真っ青な顔で腹を擦っていた。まるで胃をぎゅっと絞られた様な感覚が常に付き纏い、空の筈の胃から何か得体の知れないものが込み上げて来る。喉は焼ける様に熱いし、頭はがんがんするし。何故か後頭部辺りが滅茶苦茶痛い。
 所謂二日酔いと言う奴に二人は襲われていた。

「白湯です」

 そんな二人の前に現れた馬岱の面は爽やかそのもの。寧ろ眩しいくらいだ。

「あ、ありがとうございます…」

 関平はしゃがれた声で礼を言い、馬超は話すのも気持ち悪いらしく、返事もせず唯うんうんと唸っていた。
 大の大人が不埒で情けない事ではあるが、馬岱は此れと言って気を悪くした風でもなく、唯々微笑して二人が喉を潤わせているのを見ているだけ。
 そして一拍間を置いて、

「幾ら治世が敷かれているとは言え蜀は平定されたばかりです。然も土地柄、辺境の地とあって、実質、未だ地盤は固まっておりません。其れなのに毎夜毎夜酒を煽るのはどうかと岱は思うのです」

 自国の情勢を上げ、始終笑みを湛えたままやんわりと二人を諌める馬岱。
 実直で素直な関平は真摯に其れを受け止め、面目無さそうに頭を伏せるが、馬超は不貞腐れた面で態とらしく音を立てて白湯を飲み、馬岱の言葉を聞いている。
 要はふんぞり反っている訳なのだが……馬超は一つ、重大な事を忘れていた。
 此の家の台所実権を握っているのは他の誰でもない――――此の馬岱であると言う事を。

「因って!今時分より禁酒生活をして頂きます!」

 ばしゃ。

「っぁつ!?」

 何を思ったのか、突然馬超が関平の顔目掛けて白湯をぶっかけた!
 被害者である関平は涙目になりながら両手で顔を覆い、加害者である馬超は素知らぬ顔で関平の肩に手を置いて、

「熱いか?平」
「熱いに決まっているだろうに!」

 其れを聞いた瞬間、馬超は頭を抱えて嘆き出した。
 其の様子から察するに今の行為は『キミのほっぺたつねって夢か現実か確認したんだよ。どう?痛かった?』的なものの様だ。
 ほっぺつねるくらいならまだ可愛いげがあるが……白湯をぶっかけるとは質が悪い。

「岱…一体俺が何をしたと…!」

 二日酔いなんて何処吹く風、熱さで苦しむ関平に関しては素無視である。
 と言うのも馬超にとって晩酌とは一日の区切りを付ける、言わば自分へのご褒美の様なもの。一日誠実(かどうかは不明だが)に働いた後に呑む酒は最高の贅沢であり、至福の時なのだ。
 其れなのに禁酒宣告とは…従弟は鬼だ!

「言え、岱!」
「其れは追々話して差し上げます。取り敢えず禁酒して下さい。つかし ろ !」
「うぅ…た、岱…」

 泣き縋る様に抗議の声を発する馬超だが、人間、やって出来ない事はそうはありませんと満面笑顔で言われ………
 此れぞ兵法三十六計第十計、笑裏蔵刀の計。
 柔和な笑みの裏に鋭い眼光を見た馬超は約一ヶ月間、禁酒生活を余儀無くされたそうな……




















2009.3.29.終わり





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -