さくらいろ(馬平)






 一面銀世界と褒め讃えられた白梅の花が散り、其の香りが最早思い出となってしまった頃、今度は華やかな桜の花が林緑を賑わせた。
 人々が桜を愛でる最大の魅力は、色だ。
 当時の野生種は小振りで姿も良くないが、其れでも絹の様に艶やかで美しい花弁を肴に酒を嗜むと、情緒満開で風情がある。一種の花に完璧な美しさを求めるのは倭人だけだと言われているが、花を愛でる心は万国共通。軍神の息子も風に吹かれて舞う花弁を見て、桜の花を片手に馬超殿と一酌酌み交わすのも悪くないと思い、後日、情人の邸に訪れる約束をした。然し―――――嗚呼、明日ありと思う心の仇桜とはよく言ったものだな、と、精悍な面に僅かな陰りを見せながら、関平は素っ裸になってしまった桜の木と足元に散らばる残骸を唯唯見つめていた。
 今日艶やかに咲いていても、明日も咲いているとは限らない。桜は刹那的な花で、一夜で散ってしまう事もある。
 昨夜は本に強風で、木々を揺らし戸を叩き…剰つしとしとと雨迄降っていた。
 其の結果が、此の残骸。
 執務に追われているからと言って、酒を飲む時間くらいは作れただろうに。想い人も其れは其れは楽しみにしていて、関平は何とも申し訳無い気持ちで、其の日の夜、馬超邸を訪れた。通された煙亭には馬超の故郷の料理、酒好きの馬超が選んだ上質の酒が用意され…、何故か耳杯が三つある。周囲の風景は新緑が彩り、灯籠に映し出された葉桜を目の当たりにすると、優婉な淡い桃色が益々懐かしく思い、鬱屈とした気分になる。

「珍しいな。お前が塞ぎ込むなんて」

 唐突に背後から声を掛けられ、鬱々とした気分を振り払う様に関平が首を振って振り返ってみると、

「へっ!?」

 ひらひら、ひらひら。
 今年はもう愛でる事は叶わないと思っていた桜の瓣が、頭上から舞い落ちて来たのだ。

「な、なんで…」

 先程迄の鬱屈とした気分は一体何処に行ったのか。頭の中にも面にも疑問符を浮かべて関平が馬超に視線を移すと、其処には、満開に開花した桜の枝を携える馬超の姿があった。

「お、折ったのですか!?」
「うん?」

 喫驚して問う関平とは反して、昨日、軍師殿が雨が降るとぼやいていたからな、と、馬超は悪びれた素振りを見せず、平然と言って退けた。
 関平には信じられない行為と発言だった。
 桜の花の優婉さには一種の尊敬の念が向けられる。『何人たりともこの木の一枝を折りたる者、指一本失うべし』と言う文句から其れは推測出来るし、桜の木の下には志半ばで此の世を去った者達が眠っているとも言われ、事実、桜の果実には微量だが、猛毒中の猛毒である青酸が含まれている。

(何と、罰当たりな)

 桜の木を傷付ける。
 其れは優婉な桜の花の幽遠の祟りを受ける愚かな所業。其の真意は定かでは無いが、知らず知らずの内に人々の心に根付いた思想だ。実直さで有名な関平も其の考えの持ち主で、馬超にはいつかきっと罰が当たると本気で思った。

「…見上げるのも良いが、こうやって見下ろすのも、中々…」

 持っていた桜の枝を耳杯に差し、満足げに微笑む馬超。そして枝の代わりに銚子を取って、残った二つの耳杯に酒を注ぎながら、早う席に着けと関平を促し、関平は、祟りを危惧しない馬超が此の上無く不思議で堪らず、眉を顰めて馬超と対座する。

 其の時の事、ふわりと一陣の風が頬を撫で、桜の房を揺らした。

 すると桃色の花弁が風に舞い落ちて来て、ふわりと杯の中で浮かぶ。絹の様に艶やかな瓣が酒に浮かぶ様は此の上無く美しく―――――此の人に此れ以上の罰を与える事は出来ないよ。
 そう桜の花が言っている様に、関平は感じた。そして絢爛華やかな馬超の姿は正に桜の花、彼の人生はまるで桜の実の様で。桜の実は小さくて酸っぱく、余り沢山の実を付けない。…そう言うと、どうにもこうにも馬超を貶している様で申し訳無いのだが。きっと桜も自分と同じ匂いがする人間を呪う事なんてしないだろう。…いや。風流だ乙だと言いながら、一片とはけち臭い。どうせなら一房寄越せ、と花を毟り取って酒の上に浮かべる馬超を見て、こんな失礼な奴にくれてやる罰なんかないよ、と言っているのかも知れない。
 何ともはや、関平の頭の中で展開される桜との会話なのだが、誠滑稽な光景である。

「…何がそんなに可笑しい」
「だ、だって…ぷ、くくっ」

 身体を丸めて必死に笑いを堪えるも、小刻み肩を震わす関平の姿は、馬超の機嫌を損ねるのに十分だった。
 一頻り笑った後、関平の中にあった祟りや背徳感と言うものは最早泡沫と化していたが、替わりに飛び込んできたのは忿懣やる方ない馬超の怒気。まるで戦場で放つ殺気の様なものを全身に感じ、馬超に視線を移してみると、馬超の面には冷ややかな笑みが。

「いえ、あの、」

 行動と感情が伴わないのは、此れ程恐ろしいものなのかと、関平は怖じけづく。

「ええ、っと…!ば、馬超殿の酒は見事な桜酒ですね!」
「囀るな、厭味にしか聞こえん」
「い、いひゃい!」

 此の関平と言う男、精悍な顔付きをしている癖に割と肉付きが良く、頬を引っ張ると面白いくらい伸びる。馬超は限界ぎりぎりまで関平の頬を引っ張り、其の長さは小指程。関平は涙目になりながら甘んじて其の体罰を受け入れた。

「…相変わらずよく伸びるな」
「は、はは…」

 頬を引っ張ると言う時点で本気で怒っている訳では無いのだが、何ともはや、揶揄された時の羞恥に似た怒りが泡沫と消え、馬超の面に穏やかな笑みが咲く。…関平の面には空笑いが湛えられているが。
 其れから何刻と経ったか。
 二人は酒を片手に傍らの桜を愛で、他愛の無い話に花を咲かせた。合間に腕相撲もした。馬超が勝つ様にも思えたが、どうやら腕力に関しては関平が勝る様で、勝利の女神は関平に微笑んだ。其の勝敗に納得のいかない馬超は何度も再戦を申し込んだが、結果は同じで、最終的には関平が態と負けて終止符が打たれた。其の時の馬超の燥ぎ様はまるで童子の様に無邪気で純粋で。詩を詠んだりもした。然し、此の二人が詠むと崇高で厳かな詩が、全く嫋やかさを感じられず、笑いにしかならないのが残念なところだ。
 春酣とは行かなかったものの、宴闌と為り、中々有意義な時間を過ごす事が出来た。
 すると、やはり悔やまれるのは此の新緑。周囲を埋め尽くす此の若々しい新緑が桃色の花弁だったらどんなに良かった事か。来年こそは桜の花を片手に彼と酒を酌み交わしたい。―――――同じ失敗は二度はしない。そう馬超に伝えると、馬超は一笑して、

「何も花は此の時期だけのものではあるまい?春に咲く花は華やかで美しいが、秋に咲く花には趣があり、此れもまた乙なものよ」

 風も一休みしているのか、先程まで頬を撫でた風も、今は吹き抜けない。其れにも関わらず、耳杯に差された桜は、はらりはらりと瓣を散らす。馬超は其れに一瞥をくれ、苦笑混じりに微笑んだ。

「…お前は本に魯鈍な男よの」

 ―――――其処には、もしかしたら得も言われぬ切なさが隠れていたのかも知れない。
 然し面には優しく柔和な笑みが湛えれ、揶揄されてはいるが鷹揚な口調からは、其れは余りにも漠然的過ぎて、関平は感じ得る事が出来なかった。唯、妖艶でとても儚げで、本当に桜の花の様なお人だ、と、ぼんやりと思って見蕩れていただけ。

「…要はな、今を楽しめと言う事だ」

 関平が意識を覚醒させた時には、馬超は意地悪く笑って関平の隣にふわりと舞う様に座していた。どきり、と胸が高陽したが、火照った身体にそよそよと吹く風、鼻を擽る新緑の薫り、耳に優しく響く虫の音が少しだけ体温を下げてくれ、聢りと馬超を見る事が出来た。対して馬超は、酒の所為か雰囲気に絆されたのか、耄けた切れ長の瞳で関平を見詰めている。
 ぴたり、と関平の頬に両手が添えられる。そしてゆっくり、ゆっくりと馬超の面が近付いて来て、

「…何か言い包められている感じが致します」
「…お前な、こう言う時は酒の所為にして黙って受け入れるものだぞ?」

 関平が空気を読めない男と言う事は馬超も百も承知だが、はあ…、と態とらしく大きく溜め息を付いて関平を批難した。其の息を嗅いで、あ、酒臭い、と、きょとんとした面で言う関平は本当に空気の読めない男の骨頂だ。
 馬超は添えていた両手に思いっきり力を入れて関平の頬を挟む。ふぎゅ、と情けない声を発する関平の面は、まるで蛸のよう。

「だから好機を逃すのだ」

 そう言われて、関平は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
 自分が気にしている欠点を敢えて言われると本当に不愉快だ。然し此処で臍を曲げると唯の性悪人間。腐っても男なら示さなければ為らない。
 関平は意を決して馬超の手を解き、ぷちゅり、と、馬超の唇に自分の唇を軽く押し当てた。
 互いに柔らかく温かい、確かな感触を嗜んだのは、本の一瞬。

「…拙者は、必ずや好機を掴む男になった見せまする」

 ほんのりと頬を薄紅色に染めて微笑む関平の行為と言葉は、稀なるもの。平素は情けなく歯切れの悪い物言いしかしない男の癖に。不覚にも胸が高鳴ってしまった。其れを気取られない様に、馬超は薄い唇を上げてにやりと笑う。

「まるで桜だな。お前は桜の様な男だ」
「何を。馬超殿の頬も桜色に染まっておりますが」

 …どうやら隠そうにも隠せないところに出ていたらしく、澄ました面が急に情けなく思え、馬超は両手を挙げて降参の意を示した。傍ら、関平がくすりと笑って、馬超は関平の額にこつんと自分の額をくっ付ける。暫し二人は照れ臭そうに見詰め合い、どちらからとも言わずゆっくりと唇を重ねた。
 今年の桜はもう見る事は叶わないけれども、後悔したところで何も変わらない。後悔するくらいなら見方を少し変えてみればいい。例えば、互いに同じ刻を過ごせるのなら、と。馬超はそう言いたかったのかも知れない。
 だって。
 そう思えたのならば、どんな季節も景色も、此の空間の色沢は春麗ら。

 君想う気持ちは、ずっと桜色だ。



















2010.4.20.終わり

一体何がしたかったんでしょうね、私。しかし、この敗北は次への布石です!
桃樺様に捧げるお誕生日&退院祝いの駄文です。最初は羽平で書き進めていたのですが、駄文を保存していたケータイがお亡くなりになってしまって(汗)
大変遅くなりましたが、桃樺様、お誕生日&退院、おめでとうございます!桃樺様が元気になられて良かった…!





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