愛でる理由(馬平)





 俺達が犬を愛でるとは、誠可笑しな話だ。
 何故なら犬は供物であり家畜、動物性蛋白質を摂取する為の重要な栄養源、血は薬効が期待でき、捨てるところが無い貴重な食材としてしか見ていないからだ。
 人肉を捌いて客人に振る舞う事を美挙として扱われる此の時代、犬畜生を喰うのは当たり前。市場に行けば犬肉を煮込んだ食い物が品に並び、俺は何度も平と咀嚼し、味わった。
 其れなのに、何故俺は“犬”に斯様なものを買って来てしまったのか。不思議でならなかった。

「おかえりなさい、馬超殿!」

 飾り毛のあるそり耳をぴんっと立て、ふわふわの毛に覆われた尻尾を千切れんばかりに振り、鎮座して俺の帰りを出迎える平。
 別に桎梏して邸に閉じ込めている訳でも、出迎えもやらせている訳ではない。平がこんな姿では絶対に邸から出ないと言い張り、出迎えも勝手にやっている事で――――何故斯様な突然変異が起きてしまったのか。
 嚆矢はこうだ。
 未だ成都の気候に慣れぬ平は風邪を引き、拗らせ、其処に于吉と名乗る老人が現れた。于吉は水を薬に代える偉業を成し得たと巷では有名で、

「駄目元です。水には護符しか入っていないそうですから、飲ませてみては如何でしょうか」

 と、岱に言われ、何とも胡散臭げな水を飲ませた結果が……此れだった。

「…ああ、ただいま」
「はい!」

 その返事が「わん!」としか聞こえないのは、果たして俺だけだろうか。いや、平の後ろで岱が困った様に笑っているのだから俺だけではないと思う。然も平素なら「恥ずかしいのでやめて下さい」と言うくせに、今の平は頭を撫でてやらないと其処から動こうとしない。

「……?」

 微動せず、困惑した面で見下ろしている俺を不審に思ったのだろう。平は首を傾げ、頭に疑問符を浮かべながら俺を見つめている。
 ……普段との隔たりが有りすぎる。
 平素の平は温厚で、自分の言いたい事の半分も言えない情けない奴で、其の分、臍を曲げたらうんざりするくらい口喧しい奴になる。そんな人間が自分の欲求を叶えて欲しいが為、こんなことをする等…、然も質が悪い事に、

「従兄上、泣かした」
「…泣かしていない」
「泣いているではありませんか」

 斯様な姿になってから涙腺までも弱くなってしまったらしく、泣涕している訳ではないのだが、俺を見つめる平の瞳はしっとりと濡れていた。
 …ああ、調子が狂う。
 此れだったら、まだ横できゃんきゃん口煩く説教されていた方がましだ。馬の方が利口だ、扱いやすい。犬等鬱陶しい、好ま…

「関平殿、あーんなおっかない面をしていますが、従兄上は犬が大好きなのですよ」

 …何と言う事を。
 視線で岱を咎めるが、温厚なくせに従弟は随分と胆が据わっており、此の程度の制止等利きやしない。
 加えて“大好き”と言う言葉に反応したのか、平は双眼を見開いて岱を見つめ、尻尾が喜びを示している。

「…甘やかすな、岱。犬等食い物にしかならん。機嫌を取ってどうする」
「…食う」

 逸早く俺の言葉に反応したのは、平だった。
 平はぴんと立ったそり耳を、揺れていた尻尾を、逆立った髪をもしゅんと下に向け、上目遣いに俺を見つめる。よくよく見れば小刻みに身体が震えていて、まるで仔犬の様だった。

「馬超殿は、拙者も食べてしまわれるのですか…?」

 褥で其れをしてくれたら、さぞかし扇情的で、食欲をそそられる光景になるだろうに。然し此の状況での其れは俺には対処出来ないし、寧ろ苦手だ。
 こう言うのは俺の様な無骨者より、岱の様な柔軟な人間が適任だと、俺は視線を流して岱に助けを求める。
 岱は、世話が焼けますねと溜め息をついて、

「関平殿、確かに私たちの中には漢民族の血が流れていますが、四割は羌族の血です」

 ぽんぽんと撫でる様に平の頭に手を置き、柔和な笑みを湛えて、諭す様に言葉を綴る岱。
 おかげで平の身体の震えが止まり、興味津々と言わんばかりに、平はそり耳をぴんっと立てている。

「羌族は犬を食べません。供物にもしません。寧ろ友として、共に狩りをし、生活します。犬を食す等…許せない背徳です」

 ――――犬を供物に、食べると言う行為は、漢民族の風習で、西北地域にいる遊牧民族である鮮卑や突厥、羌族は犬に狩りをさせ、友として接する。特に突厥族の祖先は狼と言われ、犬は親族。犬を食す事はご法度なのである。
 育ちも、此の身体に流れる血の半分も漢民族のものだが、残りは羌族の血。犬を食すが、其れは漢民族の前だけで、羌族の前では口にせぬ様にしているし、心の底では、

「従兄上が関平殿を食べる訳が…、嫌いになる訳がありません」

 俺の意思、と言うよりも、俺の中に流れる羌族の血がそうさせる。…久しく忘れていた想いではあるが。

「其の証拠に、ほら。どうやら関平殿にお土産あるみたいですよ。甘い香りがしますので、饅頭ではないでしょうか」

 にやにやと笑って、俺の手にある包みを指差す岱。
 何と嫌味ったらしい従弟か。従兄をからかって、何が面白い。

「こ、此れは…お前にだな…」
「珍しい事もあるものだ。そんな事、一度もした事ないくせに」

 此れが身内と情人の差ですかねえ…と、態とらしく嘆いて場を去って行く岱。
 一々言う事が勘に触る従弟だと、舌打ちしたのは俺。

「馬超殿、拙者を食べ」
「喰うか、馬鹿者!」

 ………………しまった。
 折角岱に平の機嫌を直して貰ったと言うのに、振り出しに戻してしまった。
 寧ろ状況は更に悪化し、平は身体を縮込め、双眼からは今にも涙が溢れ落ちそう。

「あー…何だ、其の…、饅頭、喰うか!?」

 犬は食い物が好き、とは短絡的な発想かも知れないが、俺は慌てて包みを解いて平に饅頭を手渡す。
 買った時は湯気が出て美味そうだったが、随分と時間が経ってしまった為、饅頭は冷めきっていた。

「ありがとうございます!」

 其れでも嬉しそうに面を綻ばせて、もぐもぐと饅頭を頬張る平の姿は幸せそのもの。慌てて食べるものだから、口角に餡が付いてしまっている。
 ほっと安堵の息を付いて、平の口に付いた餡を指で取ってやると、

「美味でした、馬超殿」

 無邪気に笑って俺に抱き着き、服従していますと言わんばかりに、ぺろぺろと俺の口を舐める平。
 其れこそ普段の平からでは想像出来ない大胆な行為で、少々胸が高鳴る。其れを隠す様に俺は平を抱き寄せ、其の肩に面を沈めてみる。
 すると、仄かにだが故郷の匂いがした。
 超然とした風に頬を撫でられ、青々と茂った草原を犬と共に駆け、狩りをする。そして同じ飯を食い、同じ床で眠った記憶が、鮮明な様で霞んで脳裏に過る。
 全てが上手くいっていた頃と違って、成都に腰を落ち着けるまで色々とあった。
 挙兵、裏切り、曹公による一族惨殺、敗走に敗走を重ね、果ては眼前で妻子を殺され……故郷を思い出す暇も、ゆとりも無かった。

「…ばちょ、どの?」
「もう少し、このまま…」

 涙はかろうじて睫毛の手前、鼻の奥がつんと痛い。
 漢民族と共に安穏と暮らしていたら、こんな感情に浸る事は無かっただろう。
 何せ犬は供物であり家畜、動物性蛋白質を摂取する為の重要な栄養源、血は薬効が期待でき、捨てるところが無い貴重な食材。
 其の概念を否定しない。
 然しながら此の匂いを肌で感じ、平を慕わしく思えば思うほど、俺は此の犬を愛でてしまうのだ。




















2009.7.17.終わり

セブンスヘブン様からリクエストを頂きました。
犬平が何気に人気で、犬平を全力でプッシュしている管理人は嬉しい現象です(笑)
セブンスヘブン様、リクエストありがとうございました。






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