みどりとあか(趙陸)





 久方振りに休みが合った日だった。と、言っても陸遜は使者として成都に訪れ、客人として持て成しを受けている身上、執務を熟すのは自分の意思で、休もうと思えばいつでも休める。然し趙雲は違った。平定したばかりの、そして数々の途端を味わって来た彼は自国の為、長年の悲願が叶ったと言う嬉しさ、何より実直な彼は誠誠実に働いていた。
 そんな趙雲が陸遜の為に公休を取り、連れて来たのが此処だった。

「凄い…凄く綺麗…!」

 深い渓谷に位置する秘境、九寨溝。
 原始林を背景に大小様々な湖が点在し、翠海と呼ばれ湖は碧く澄んでとても幻想的。幸運な事に季節は冬で、静寂に包まれた白銀の世界を堪能出来る景勝地区だ。
 二人は其の九寨溝で最も美しいと言われている湖、五彩池に訪れていた。

「気に入った?伯言」
「はい、はい!有り難う御座います、子龍殿!」

 まるで子供の様に無邪気にはしゃぎ、白銀の絨毯に足跡を残して行く陸遜。
 趙雲も趙雲で此の絶景に感動し、情人が喜ぶ姿を見て自ずと笑みが溢れていた。

「凍結している道もある。転ばない様に」
「大丈夫です!子龍殿、早く…わわっ!」
「は、伯言!?」

 べしゃ!と派手な音を立てて、前のめりに倒れてしまう陸遜。趙雲は慌てて陸遜に駆け寄ろうとするが、陸遜は直ぐ様起き上がり、雪を払う事無く五彩池に向かって歩き出した。
 子供は風の子と言うが、全く逞しい子である。
 其れは陸遜にとって見るもの触れるもの、全てが新鮮だからだ。此の雪景色も、白銀の絨毯に足跡を残すのも…凍った湖を見るのも。

「あ、あれ?」

 趙雲が馬の手綱を近くの木に結っている時だ。
 陸遜は五彩池の手前で立ち止まり、趙雲に向かって声を上げた。

「子龍殿、此の湖、凍っていません!」

 趙雲は陸遜の傍まで歩み寄り、双眼に映る湖は確かに凍っておらず…其れが此の湖の神秘的なところだ。
 五彩池の更に先、九寨溝最深の長海と言う湖は、冬になると一面凍結する事があるのだが、何故か直ぐ傍にある五彩池は不思議と凍らない。凍結しない、澄み切った棚田状に点在する湖面は碧く、翡翠の様な色を湛えていて、其れは水に含まれる塵等に石灰が付着して沈殿する為に生まれる色。大体石灰は白いのだから堤も底も当然白に染まり、だからこそ碧や翡翠といった色が下流に行けば行く程映えるのだ。

「碧い…綺麗な、緑…」

 言葉等、不要の景勝だ。
 趙雲と陸遜の様にほう…と息を溢す者もいれば、はっと息を飲む者もいる景勝で、原始林に被る雪と其処から顔を覗かせる木々が白黒の世界を造りだし、夏や秋に見る深緑や紅葉の色に混ざらない純潔さを湛えている。
 欠点と言えば空模様か。
 平素から天候の変化が激しく、常快晴とは限らない岷山山脈の気候は、夜になれば身体の芯から冷える厳しいものとなり、何がそんなに不服なのか、唐突に雨が降り出す。
 然し人は求める。
 人工的な美しさより、大自然が生み出す絶対的な存在に感動を受けるのだ。

「…溶けてしまいたい」

 其れは感動の果てに生まれた言葉なのか、不思議な表現をするのだなと趙雲は思った。
 感動を言葉で表現するのは個々其々の感性で、果てに生まれる言葉は其の時の心境によって変化する。
 趙雲は、彼はどの様な心情で言葉を放ったのだろうと陸遜に視線を移し――――其処にいた陸遜は遠心的に湖を望み、琥珀色の瞳は憂いていた。

「此の湖に溶けてしまえたら、私は緑色になれる」

 夢見心地な気分は、とても刹那的だった。
 手を握り締めると冷えきった自分の体温を嫌と言う程感じ…“現実”と言う二文字が、陸遜の胸に重くのし掛かる。

「伯言…」

 自分を呼ぶ、掠れた声が聞こえた。同時に、同じくらい冷えきった趙雲の手が陸遜の手に添えられ、二人の手がじんわりと熱を取り戻して行く。
 陸遜が趙雲に視線を移すと、趙雲の面は悲戚に満ちていて――――刹那、趙雲は陸遜の身体を抱き締め、陸遜の頬には涙が伝った。
 混ざり混ざり合って、溶けて生まれる色は緑色。分かっていたのに望んでしまったのは、満足感の果てに生まれた虚しさのせいか。其れともひた隠しにしていた淡い願いを感動が引き出したのか。

 共に居たいだけなのに。
 然し彼の瞳が、優しさが。
 眼前に広がる碧と緑が言う。

 溶けたって、赤は緑になれないのだよ、と。




















2009.2.25.終わり

素敵サイト様に贈った2万打お祝い文です。
陸様、2万打おめでとうございます。





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