どっちだ(封平)
先程迄の目映い太陽は、一体何処に行ってしまったのだろうか。
超然と風に吹かれて鉛色の雲が流れ、日の光が差さぬ天下、基、日当たりの悪い黴臭い家屋はお陰様で暗くて臭くて堪らない。
燭台に灯る光だけが周囲を照らす道標。
其処に鎮座する影が二つ。
其の一つである劉封は、への字に曲げていた口から言葉を紡いだ。
「自害しろ、と。軍師殿に言われました」
対なすもう一つの影、関平は、神妙な顔付きで黙って彼の言葉を聞いていて、すると劉封は、自分を嘲笑うかの様に端正な面に薄っすらと笑みを浮かべる。
「私が全て悪いのですかね?私が悪い?だってね、関平殿。私だって人の子です。例え望んでいようとなかろうと、貴方のお父上が言われた言葉は、私にとって、余りにも辛辣だった」
そう言って劉封は、貴方になら私の気持ちがわかるでしょう?と最後に付け加えた。
含蓄のある言葉だった。
『既に嫡男がおられますのに、何故兄者におかれましては蜻蛉を養われるのですか。後々の禍となりかねぬ此の行為、拙者には理解し難い事だ』
其れは関羽が劉備に言った言葉で、まさか関羽も、皮肉にも此の言葉が自身の禍の種となるとは思っていなかっただろうし、劉封も自分が関羽を見殺しにしたと言う名目上、政治的な意味合いで諸葛亮から自害を言い渡されるとは思いもしなかった。
「…私だって人の子ですから。父上の、子ですから」
するとまたまた劉封は自分を嘲笑った。
先と異なると言えば、劉封が声を上げて笑っていると言う事と、そんな劉封を呵々大笑いする関平の声が混じっていると言う事。
其れに気付いた劉封はぴたりと笑うのを止め、其れでも関平は、双眼に薄っすらと涙を溜めて笑っている。
一頻り笑った後、関平は、
「拙者も人の子です。父上の“子”です」
すっと立ち上がり、関平は懐から刀を取り出して劉封の前に恭しく置いた。
劉封が其れを手に取り静かに抜刀すると、本来あるべき筈の刃が其処には無く―――――瞬間、劉封はごくり、と喉を鳴らし、厭に粘っこい汗が頬に流れた。
「拙者には貴方の気持ちはわかりません」
……ふと。
劉封が関平を見上げると、関平は誠真摯に、優しく柔らかに微笑み、瞳は爛々と光っていた。
「……誰が、拙者が養子と。誰が…、拙者が長子で興が次子だと言ったのですか」
其の言葉を聞いた瞬間、劉封ははっと息を飲み、甚だしく勘違いをしていた自分を心中激しく攻め立て、其れこそ本気で自分を嘲笑った。
軍神の“子”は自分と同じ所に立って等いない。自分を恨んでいる。“父”を見殺しにした自分に、苦しみ悶えて死ねと言っている。
細やかな宿り木としていた彼が全てを否定し、穢らわしいものを見る様な目で、自分を見下している。
嗚呼、崩れて行く。
数々の戦場を共に駆け抜けた日々が、彼と気持ちを共にした日々が…彼と同じ所に立っていた日々が、音を立てて崩れて行く。
すると、どうだろうか。
悲威なんてものは其処には無く、清々しい程何も残らなかった。
もし何かが残っているとすれば、其れは諦念だ。
「…孟達と共に魏に降れば良かったな」
「…強かな貴方らしい、愚かなお考えだ」
武骨な彼には不似合いな秋波が、何故か此の時だけ劉封には酷く蠱惑的に、淫靡に見えた。
そう思ったのも刹那の事。
関平は背を向けて立ち去り、劉封は柄に手を掛け、其の中に潜ませているものを全て飲み干し、思った。
強かなのは、一体どっちだ。
2009.6.4.終わり