22.
暫く響いてた名前の声、それが消えたのを確認したらそっとドアを開けた。偉く重かったドアやけど、すぐそこに居るのは分かってたから、彼女を起こさへん様になるべく動かさへん様にほんの少しだけ開けてリビングへ出た。
「眼、オサムちゃんの所為で腫れてしもたんやなぁ…」
ごめん、また謝って、丸くなった背中に毛布を掛けてやる。せめて身体の気遣いだけはさせて、そんな祈りを込めて。
『ほんまは嬉しかったから、ありがとうな?』
呟いてみても彼女が笑う事は無い。寝てるんやから当然なんやけどソレが寂しいと思うのは贅沢な話しや。
見合いを気にしてくれて、俺に彼女や奥さんが出来るのが嫌やって言うてくれた。意味が違ったとしてもそれだけで十分や。
ただ、面と向かって言われると歯止め効かへんなるから、冷たく当たってごめんな?
「………まだ起きたらあかんでぇ」
彼女の頭を撫でて、腫れてしもた目蓋も撫でて、これは全部俺の所為。そう実感すれば携帯のカメラを起動させた。
静寂の部屋で厭に響く機械音を前に起きへんか心配やったけど、よっぽど泣き過ぎたんかそれも杞憂やった。
「…これは、オサムちゃんの戒めやねんでぇ?」
護ると決めてから初めて破った、これからも破るかもしれへん、それでも遠くから見守ると決めた戒めや。
ほんま女々しくてごめんな、って謝ってばっかやけど。今更名前ちゃんの為に出来る事って、このくらいしか無いんや。分かってくれとは言わへんからいっそキライになって。キライになって名前ちゃんから離れてくれたら……、そう思って待ち受けに設定した後、財前へのメールを打った。
それから数時間、流石に競馬場へも行く気にならへんかった俺は今日は静かやろう部室で煙草を吹かしてた。何もやる気せえへんし、何処に行く事も出来ひんし。
まあ俺はええねんけど、早く名前ちゃんと財前が上手く行ってくれたら良いのにって。せやけどまた白石から小言がありそうやんなぁ。白石は容赦無いから今度は凹むかもしれへんわ、そんな阿呆な事を浮かべて天井を見てると不意にキィ…とドアの音が聞こえた。まさか噂をすれば何とやら、白石が自主練にでも来てしもたんかと振り向くと、
「しら―――――、」
『オサムちゃん…』
名前ちゃんが、物凄い顰めっ面して立ってた。
財前は?何で俺が此処に居るって分かった?
疑問は浮かぶけど口にはしたらあかん。何があったかは分からへんけど、早く財前んとこに行かすべきや。
『アタシ、』
「財前が待ってるやろ?早く行ったり?」
『、』
「オサムちゃん仕事残ってるから終わらさなあかんねん。邪魔したらあかんよ?」
『…またそんな事、言う』
「またって…そら今迄少し甘やかし過ぎたとは思うけど普通やでぇ?」
『普通じゃない!』
「、」
『アタシとオサムちゃんは普通じゃない、光が言ってた』
「、まさかそれで喧嘩した…?」
『してない!でも別れた!』
「は、」
『アタシ、フラれて来たから話し聞いてよ…』
なんでそうなんねん。俺は財前が迎えに行って丸く収まると思ったのに別れたってどういう事や。しかもフラれたって、財前から別れるって言うたん?
好きなくせに遠慮した?それとも俺の存在が億劫になった?
『彼氏辞めますって、言われたんだよ…?』
「俺の、所為なんか?」
『そうだよ全部オサムちゃんの所為』
「……………………」
それで文句言いに来た?
せやな。それならそれでええ。全部俺の所為にして俺を憎んだら良い。
その後は何とかしたるから。
『どうしてくれるの?せっかく光と付き合えたのに』
「…………………」
『何とか言ってよ』
「…何て言うたら満足するん?」
『っ、』
「悪かったって謝ればええんか?それか仲取り持ったるって言えばええんか?」
俺の声に顔色が変わって、昨夜見た泣き顔が過ぎる。また、泣かせてしまうんや。でもこうするしかない、影で掌に爪を立てて仮面を被る。
何度言うたかも分からへん、早く帰れの言葉を口にしようとした瞬間、ふんわり懐かしくも甘い薫りが広がった。
「――――――」
『オサムちゃんと仲取り持つって、言わなきゃ許さない…』
小さい身体で目一杯腕に力を込めて俺を包む。たった数日やのに、久しぶりに感じる彼女の薫りと暖かさで頭が真っ白になった。
俺と仲を取り持つって、どういう意味なん…?
『アタシは知らなかった…オサムちゃんが居なくなるのが嫌だった事も、オサムちゃんが他の人のモノになるのが嫌だった事も』
「…………………」
『アタシは養子だから、オサムちゃんにもパパにもママにも嫌われたくなくて、だけどオサムちゃんが優しいのもずっと一緒なのも普通だと思ってた。でも違うんだって離れて分かったんだよ、オサムちゃんが特別だって光が教えてくれたんだよ…?』
「――――――」
せやけど財前はもっと特別やろ?
俺は家族愛で、財前は違うもっと―――
『光は好きだけどオサムちゃんがお見合いした時それどころじゃなくて、光の事置いて逃げ出した。順番なんか付けられないけど、それってオサムちゃんが凄く特別なんじゃないの?アタシ、オサムちゃんが綺麗な格好してるの見て悔しかったよ、アタシは知らないのにって嫉妬して、オサムちゃんの事はアタシだけ知ってれば良いのにって思ったんだよ
、それって、』
好きって事じゃないの?
そこまで言われたらもう、仮面なんか被ってらへんかった。縋り付く身体をきつく抱き締めて、例え痛いと言われても離す気は起きへんかった。
『オサムちゃん、』
「…そんなん言うたら、知らへんで?」
『何を?』
「オサムちゃん、もう財前に渡したりせえへんよって」
『…良いと思う、よ?』
「ほんまに後悔せえへん?こんなオッサンでええんか?小さい頃からずっと一緒やったのに飽きへんのか?」
『だから一緒が良いのに』
「せや、な…」
戻ってくるなんて思わへんかった。突き放して、ツラい思いさせて、それやのに財前より俺が良いなんて言ってくれると思わへんかった。
今迄何年も散々堪えてた想いが膨れ上がる。
『あのね、オサムちゃん…』
「んー?」
『アタシつらかったよ』
「ごめんな」
『だからね、責任取って欲しい』
「どうしたらええんか?」
『結婚、する!』
「――――、え」
『これからもずっとオサムちゃんのカレー食べさせてね』
そんなもん、嫌っちゅう程食わせたる。もう要らん言うても作ったる。
せやからこれ以上、嬉しい事言わんといて。泣きたくなる、から。
『あと!待ち受けは2人で写ってるやつに変えて』
「、それは、ちょっと無理、かもしれへんなぁ…」
『何で!』
「今はまだ、な」
『え?』
「名前ちゃん」
『、はい?』
もう彼女を泣かさへん事を戒めに、明日は財前と白石に喜んで小言を言われようと思う。
彼女が俺を抱き締めて、俺が彼女を抱き締めて、この先の未来を信じたから。
「愛してたよ、昔も、今も」
end.
(20121002)
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