5.
明日、左之さんに会っても普通な顔してられるかな。なんて思いながら布団へ入る前に空を見上げた。雲が無い空は濃い青が広がって星が煌めく。
同じ場所からじゃなくても、もしかすると左之さんだって同じ空を見てるかもしれない。そう思うと、今日は穏健な気持ちで瞼を落とす事が出来た。
「んー…1日ぶりの早起き!」
それから翌日を迎えたアタシは、昨日散々眠ったお陰から朝日が昇って直ぐに眼が覚めた。寧ろ早く起き過ぎて何するのって話し。
だけど流石にもう寝る気分じゃないし…とりあえず普段出来ない場所の掃除でもして時間を潰せば、左之さんが来てくれる時間になるかな。
「うん。掃除したら気持ち良いし、綺麗になったら左之さんも驚くかもしれないよね!」
よし、気合いを入れてお握りをひとつ口に放り込んだら雑巾片手に家中の埃と闘った。
お行儀は宜しくないけど机に昇って天井を叩いて、手の届かない箪笥の上もしっかり拭いて、普段使わない布団だって天日干し。あっちへこっちへ手足を動かせば既に時間はお昼を過ぎていた。
「もうお日様があんな場所にある…」
何かに集中してると時間が経つの早い。全ての掃除が出来た訳じゃないけど、とりあえずは満足出来る範囲まで出来たし。今日はこれで終わりにしてお昼ご飯を食べて、あとは左之さんを待ってよう。もしかするとご飯食べてる間に来るかもだよね。いつもこれくらいか、夕方に来てくれるもん。
もう少しで、会える。
毎日楽しみにしてた事に変わりはないけど今日はもっと特別っていうか…。上手く言葉には出来ないけど、緊張と喜悦が折り交ざった感覚。
「はぁ…楽しみ……」
だけど……。
そんなアタシの思いを裏切る様に、左之さんは姿を見せないまま太陽は茜色に染まって夕暮れを知らせた。
「…今日は、忙しいのかな」
どうして来ないの?今日はゆっくり話しがしたかったのに。
やっぱり昨日アタシが眠り呆けてたから?それとも今になって、あの時の事を後悔、してるの…?口付けなんかして舞い上がってるアタシに愛想尽かせた…?
考え始めたら陰鬱な思考は止まらなくて。不安ばっかり広がってく。
アタシが嫌われたのか、ただ忙しいだけなのか。それとも左之さんに何かあった、のか。
「此処で待ってたってアタシには分かんない…」
嫌われたのなら辛い。忙しいのなら仕方ない。何かあったんだとすれば…無事かどうかだけでも確かめたい。
気が付けばアタシは新選組屯所がある方向へと足を進めてた。屯所は女禁な場所だから行ったところで迷惑になるかもしれないし、左之さんだって居るのかどうかも分かんない。だけどどうして会えないのか、その理由だけでも確かめたかった。それがどれだけ我儘かって事くらい理解はしてるけど…今日は厭に胸騒ぎがして、左之さんに会わなきゃいけない気がしたんだ。
「、はぁはぁっ……」
暫らく走れば必然と見えて来る目的地、それを前に少しだけ息を整えてると浅葱色の隊服を纏った見知った顔があった。
あれは、平助、君?
「へ、平助君…!」
『ん……、名前!?何で此処に、』
アタシが此処へ来たのが初めてだったからか、平助君の顔は一瞬にして瞠若に変わる。だけど平助君の顔色は驚いた、それだけじゃ無い様に見えて。
「あ、あの…」
『えっと、名前って言えば左之さんだよな…?』
「う、うん…」
『さ、左之さんさ、今ちょっと隊務で出てて居ないんだ!せっかく来てくれたとこ悪いんだけど……』
ごめんな?
平助君の落ち度なんて全く無いのに伏せ目がちに囁いた言葉は罪悪感でいっぱいな、今にも消えてしまいそうな声だった。
アタシが勝手に来ただけで平助君が気にする必要は無い。せめてそれだけは伝えなきゃいけないと思って口を開いた瞬間。
「あの、平助く――」
『平助!帰って来たなら早く広間に来いよ、もう飯の時間―――……』
『あ、』
「さの…さん…?」
『っ、』
隊務で居ないんだって聞いたばかりの左之さんが、屯所の門からひょっこり顔を出した。それも、アタシを視界に入れるなり酷く眉を寄せて。
「い、居たんだ、左之さん…」
『あー…えっと……』
『………………』
聞きたい事は沢山あった。何をしてたのか、無事なのか、アタシをどう思ってるのか…。
でも、眼を泳がせた平助君と、明らかに怪訝を見せる左之さんを見れば言葉なんて出て来なかった。
『あ、あれー!左之さんもう帰ってたのかよ!まだ居ないもんだと思ってたんだけどさ!』
『平助。もういい』
『左之さん、』
『……名前』
「、」
『俺決めたんだわ』
「え…?」
『もうお前には会わない』
「―――っ」
“だから帰ってくれ”
冗談だと思いたかったのに視線も合わせてくれない左之さんの横顔は冗談じゃない事を物語ってて。
動揺から憂愁に表情を変えた平助君を見たら、さっきの嘘が精一杯の優しさだったんだって気付いた。
厭な胸騒ぎは、最悪の形で的中した。
(20110415)
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